16. 友人枠は死守しました
「……ごめんね、もう一度言ってくれる?」
クラウドは困惑した表情で聞き返す。
彼を屋上に呼び出したイザベルは、ゆっくりと言葉を繰り返した。
「真犯人は、わたくしの専属執事でもあるリシャールが仕組んだことだったの。だけど安心して、もう彼がフローリア様に危害を加えることはないわ」
裏付け確認も済んでいる。イザベルの懸念事項は一つ消えたと言っていい。
満足げなイザベルとは対照的に、クラウドの表情は硬い。
「そう断言するってことは、何か根拠があるの?」
まだ疑いは完全に晴れていないらしい。
クラウドの不安を払拭するべく、イザベルは言い切る。
「ええ。取り引きしたの。嫌がらせがぴたりとなくなったことは、フローリア様本人にも確認済みよ」
「……わかった、信じるよ。他でもない、イザベルが言うことなら」
「ありがとう」
やっと信じてもらえたとホッとしたのも束の間、鋭い質問が飛んできた。
「でも、よくわかったね? 君の執事がそう簡単にバレるような真似、するとは思えないけれど」
中等部では、リシャールは授業中を除いて、常に後ろに付き従っていた。主人であるイザベルの世話をしていたため、当然クラウドとの面識もある。
したがって、有能な執事ぶりは語るまでもない。だからこその疑問だろう。
ここで下手な嘘をついたところで、いい方向に話が転ぶとは思えない。そう判断したイザベルは、事実をありのままに伝えることにした。
「それは、時の運が味方してくれたからですわ!」
「……なるほどね。イザベルなら、予想の斜め上のことをしてもおかしくない。それで偶然、知ってしまったわけだね」
身もふたもない言い方だが、おおむね当たっている。反論の余地はない。
「ざっくりまとめると、そんな感じです……」
うなだれながら肯定すると、クラウドは眼鏡を一旦外し、ポケットから眼鏡拭きを取り出した。
緩慢な動作で眼鏡を拭きながら、雑談の延長のように淡々と言う。
「実はナタリア派が実行犯であることまではつかんでいたんだ」
「え! そうだったの?」
「うん。ジェシカにちょっと協力してもらって、網を張ってたんだ」
「なんてこと……盲点でしたわ。初めからジェシカに頼ればよかったのね」
ジェシカは学園一の情報通だ。彼女に協力を仰げば、もっと早く情報が手に入っていただろう。そのぶん、情報料は高くつきそうだけど。
ふと、ピカピカに磨かれた黒縁眼鏡をかけ直したクラウドと目が合う。
藍色の瞳は、夜の海のような深い色で、そのまま吸い込まれそうな錯覚に陥る。
クラウドは言葉を選ぶように逡巡し、やがて口を開く。
「直接の証拠も押さえてある。ただ、実行犯に命令している人が割り出せなくて困っていたんだよね」
「……ごめんなさい。それがうちの執事みたいで……」
正確には執事見習いだけれども。いや、今はそんなこと関係ないか。
「イザベルが謝ることじゃないよ。本当に、君が彼の仲間でないのなら」
「違うわ! わたくしにだって、フローリア様は大事な友人だもの! 今後は手を出さないように、リシャールにもちゃんと釘を刺したわ」
「それを聞いて安心したよ」
笑顔を向けられ、なぜかイザベルは背筋が冷たくなった。
(何だかこれ、見覚えがあるわね……。あ、リシャールの「限りなくブラックのピュアを装った笑顔」と同じなんだわ……!)
まさか、試されていたのか。本当に裏切り者ではないか否かを。
血の気が引くイザベルに、笑顔をキープしたままのクラウドが優しく問いかける。
「ところで、取り引きって言っていたけど。一体、何の取り引きをしたの?」
「あ……それは、その」
彼の目的は単なる嫌がらせではない。イザベルの評判を落とし、ジークフリートから婚約破棄させることだった。
フローリアを助けるため、イザベルはフェアな勝負を挑んだ。おかげで無用な対立をする羽目になってしまったのだが。
どう説明すればいいのか困っていると、クラウドが助け舟を出す。
「俺としては、フローリアが無事で、イザベルも問題ないならそれでいいんだけど。ただ……何か困ったら、ちゃんと言うんだよ?」
労わるような視線を向けられ、イザベルは感動に浸る。
今まで築き上げてきた絆がもたらす友情とは、なんと素晴らしいのだろう。
(クラウドの友人枠は死守できたはず。残る問題は……リシャールの目的を暴くことだけど、これは一筋縄ではいかないだろうし。どうしようかしら)
*
翌日、お昼のサロンにはレオンの姿があった。
むすっとした顔で、腕を組む姿は孤高の王子らしい。同級生は遠巻きに見るものが大半で、ごく少数がレオンの前でも臆せず世間話をしていた。その少数は、先輩のお姉さま方だ。
好奇心旺盛な彼女たちは楽しそうに話しかけているが、対するレオンの表情はやや引きつっている。それでも逃げ出さないだけ進歩だ。
サロンの入り口から見つめているイザベルに気がつくと、レオンは俊敏に立ち上がった。失礼、と断りを入れて大股で歩いてくる。
「言っておくが、お前に諭されたからじゃないからな。次期国王となる兄上の面目を保つためにも、サロンにも顔を出そうと思ったまでだ」
まだなにも言っていないのに、レオンは自分から言い訳をはじめた。これは相当、いたたまれなかったのだろう。
とはいえ、慣れないサロンの空気に耐えたとは健気なものだ。これまでは、めったに顔を出さなかったのに、その努力は賞賛に値する。
イザベルは大きくうなずき、レオンを称えた。
「もちろん、わかっております。ご立派ですわ」
「我が子の成長を慈しむような目で見るのはよせ。お前、俺をなんだと思っている」
はたから聞いたら喧嘩腰と思われるかもしれないが、ツンデレ特有の言動を訳すると、恥ずかしがっているだけだ。
(ああもう、よかった。レオン王子も少しずつ変わろうとしてくれている)
イザベルは慈愛に満ちた瞳を向けた。
「友人として、うれしい限りですわ」
「……友人か」
「ええ、友人です。あ、それとも腐れ縁のほうがお好みでしたか」
「そんなわけないだろう! お前、わかってて言っているな!?」
レオンは噛みつくような勢いで言い返す。女生徒が一目散に逃げ出すような険悪な顔つきだったが、いつも怒っている顔を見慣れているため、効果はまったくない。
「そういえば、もうすぐお誕生日でしたよね? 何かほしいものとか、ありますか?」
「……特には思いつかないな。何も困っていないし、特別にほしいと思うものはない」
予想どおりの答えが返ってきて、イザベルは微笑で受け止めた。
「例年と変わらない回答、ありがとうございます。まったく参考になりませんでしたわ」
「……悪いな、いつも」
「いいえ? これも友人の腕の見せ所ですから。それよりも、レオン王子は気分によって授業をサボるような真似、もうしないでくださいよ」
「……善処しよう」
気まずそうに視線をそらすレオンを見て、イザベルは両手を合わせる。
「そうですね。王子にしたら、サロンに来るのも大進歩ですものね。ご褒美に、頭をなでなでしてあげましょうか」
「不要だ! その手もひっこめろ!」
「残念ですわ……。一度、その素敵な金髪にさわってみたかったのですが」
「……い……一回ぐらいなら許す」
「まあ、本当ですか? うれしい! ではちょっと、失礼しますね」
許可が出たので、遠慮なく手を伸ばす。しかし、彼の頭までは腕が届かず、見かねたレオンが身近のソファに座ってくれた。
(こういう気遣いが自然とできることが、レオン王子の魅力よね。ゲームだけだと、わからなかったけれど……)
ツンデレ王子が待っている間に、さっさと目的を果たさなければ。
「じゃあ、行きますよ……!」
「余計な気合いを入れるな。早く終わらせてくれ」
うんざりするような声は聞かなかったフリをして、イザベルは金髪をそっと撫でた。
想像よりも柔らかい髪質に驚きつつ、手ぐしの要領で指を絡ませてみる。
ほつれた髪に引っかかることもなく、試しにつまみ上げた髪の毛はするりと指の間を抜けた。
「ふさふさしているのに、指どおりもなめらかですね。まあ、なんて上質な毛並みなんでしょう」
「待て、まるで犬に対する褒め方になっていないか?」
「気のせいです」
ああ、ふかふか……。
光加減でキラキラと輝く髪も、一段と神々しい。
「これは撫でるだけで癒やし効果がありますね。ずっと触っていたいぐらいです。はあ、この毛並み……やっぱりいいですわ」
「おい、やっぱり人扱いされていない気がするぞ」
「気のせいです」
同じ言葉を繰り返す。大事なことだからだ。
たとえ、前世で飼っていた愛犬を思い出していたとしても、本音は隠さねばならない。これは、レオンのプライドを守るための優しい嘘なのだ。
しばらくイザベルの好きなようにさせていたレオンだが、数分たっても撫でられ続けることに焦れたのか、苛立ったように手を振り払う。
「もう十分だろう!」
「……残念です。もっとモフモフしたかったのに」
「やっぱり犬扱いじゃないか。……もういい、お前には何も期待しない」
「あら。何かを期待していたのですか?」
「言葉のあやだ!」
怒鳴られても全然怖くない。生暖かい目で何事もなかったように流した。
だが、それがいけなかったのか、レオンは舌打ちをしてイザベルの右手を取った。
「王子……?」
「イザベルは態度はでかいのに、手はこんなに小さいのな。指も細いし……」
しげしげと見つめられ、イザベルは息が詰まった。
男らしい角ばった手と比較すると、自分の小さい手は子供みたいだ。その事実が男女差を否応なく感じさせ、手に汗がにじむ。
前世もそうだが、同世代の男子とこうした直接的なふれあいは皆無だ。
真面目な婚約者は節度を守り、一定の距離を詰めるような真似はしてこなかった。過剰なスキンシップを一方的にしてくる兄は家族枠だ。
(っていうか、この状況は……いたたまれない)
レオンは、ぷにぷにと感触を確かめるように指を挟んだり揉んだりしてくる。物珍しそうに確かめる様子に悪気はない。そもそも意趣返しという当初の目的を忘れている可能性もある。
「あの、そろそろ……」
「失礼。レオン殿下、少し彼女をお借りしても?」
声をかぶせた先に視線を向けると、仏頂面の婚約者がたたずんでいた。
「ジークフリート様!」
「君は目を離すと、すぐにふらつく。早くしないと、食べる時間がなくなるぞ」
自然な動作で腰に手を回され、そのままサロンのテーブル席へ案内される。おとなしく着席すると、ジークフリートがその横に座る。
テーブルクロスの上には、シェフが手間暇かけた創作料理が並んでいた。彩りも鮮やかだ。旬の野菜を使って花をかたどった料理は、見るだけでも価値があるほど、芸術性が高い。
ちらりと横をうかがってみると、視線に気づいたジークフリートが優雅に笑う。自分にも他人にも厳しい彼が、たまに見せる微笑。
それを見ることができる条件はふたつ。好感度が半分以上、かつ、愛を囁くイベントシーンだ。
そこまで思い出したところで、耳にふっと息が吹きかけられる。
「君の席は僕の横だろう?」
「っ……!」
内緒話のように囁かれ、イザベルの心拍数は急上昇した。心なしか顔も赤い気がする。
(くっ……さすがは白薔薇の貴公子ね。生で聞くと破壊力がすさまじいったらないわ! 平常心が保てない)
内心大慌ての自分とは違い、ジークフリートは涼しい顔でランチを満喫していた。
文句を言いたくても、どの言葉も口のなかで空回りしてしまう。
イザベルは反撃するのを諦め、フォークを手に取った。なんとも居心地が悪い中、料理を口に運ぶ。
しかしながら、いつもは舌鼓を打つシェフ自慢の手料理でさえ、まったく味がわからなかった。
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