第16話 捜査官とマルタイ

 ファントムコンサルティング社の入るオフィスビルは、東西に走る国道に面していました。片側二車線、中央分離帯もある道路の道幅は約十五メートルで、九時をまわった今、交通量はそれ程多くありません。田中さんを自宅から尾行していた捜査官は、オフィスビルの向かいのコインパーキングに路駐した車の後部座席に乗り込んで、田中さんのオフィスの窓を双眼鏡で見ていました。四月も終わりに近づき、放っておくと車内は三十度近くまで上がってしまいます。隠密行動中につき、窓を全開にしたくとも叶わず、運転席にいるもう一人の捜査官は時々エンジンをかけてエアコンで車内を冷やしていました。後部座席の捜査官は、出社早々、田中さんのオフィスの窓が開けられたのに気づきましたが、特に不審には思いませんでした。


「そこの花屋の娘ね、可愛いんですよ。顔はともかくね、スタイルはいいし、なんかもう花屋さんってだけで、おんなのこーって感じで」運転席の捜査官が言いました。

「馬鹿お前、監視対象が違うだろ」

「そりゃそうなんですけどね。こう何も起こらないと退屈で。早く開店時間にならないかなあ」

「確かに今回のマルタイは、無味乾燥もいいとこだな」

「そうですよ。パッサパサの乾燥剤って感じ。もっとこう、色っぽい被疑者の愛人とかだったら、面白いんですけどね。あー、でも、僕はあの花屋の娘が見れるからいいや。先輩奥さんいましたっけ?」

「別居中だ」

「えー、もったいない。でも、ラブラブだった時もあったんでしょ? 花とか送ったりしたことあります?」

「何の話だよ」

「だから、花ですって。僕、花なんて買ったことないなあ。この仕事終わったらあの娘んとこ行って、花買おうかな。あー、でも、花買うのって『僕、恋人がいます』って言ってるようなもんですよね」

「花にもよるだろ。墓参り用のとか、母の日のとかあるだろ」

「おー、先輩頭いい。んー、だけどそれだと僕を印象付けるチャンス、二回しかないですよね。何度も墓参りってわけにいかないし。三回めに花束買って『これを君に♡』なんて言ったら引かれちゃうかなあ。多分絶対引かれちゃいますよ。あー、もう、どうしよう」

「うるさい、知るか」

「あ、来た。今、出勤かあ。私服もいいよなあ」

同僚につられて、後部座席の捜査官も、つい、店の鍵を開けようとしてる花屋の店員の後ろ姿に目をやりました。顔が見えないなと思った時、どこからか奇妙な高く軽い音がして、店員が驚いた顔で振り向きました。

「なんだ?」

 店員の視線をなぞって振り返った捜査官は、監視対象のビルの割れた自動ドアと、そこから走り出てくる田中さんを見ました。田中さんは道路を横切り、必死でこちらに来ようとしています。

「せ、先輩、あれ、撃たれてますよ」

「田中!」

 捜査官は車道側のスライドドアを開けました。


 左車線を西に進んでいた乗用車の運転手は、路肩の白いワゴン車のドアが急に開き、人が身を乗り出したのにぎょっとして、とっさに右に避けました。そして、直後に中央分離帯から走り出て来た人に気づいてブレーキを踏みました。


 ブレーキは間に合わず、田中さんの体は、人形のようにボンネットに跳ね上がり、それから道路に叩きつけられました。


 

「頭を強く打って、意識不明の重体です」

 捜査官は電話口で報告しました。

「銃弾による怪我はかすり傷で、あとはみな交通事故による外傷とのことです」

「病院の警護は?」

「はい、警官二人をつけてもらいました。田中の家族もここに来ていましたが、先ほどホテルに移動して、そっちにも二人警護がついています」

「また襲撃があるかもしれない。くれぐれも、用心してくれ」

「わかりました。……そちらの状況は?」

「目撃者は二人の男を見たと言っている。そのうちの大きい方が銃を何度も撃っていたと。実際七発は確実に撃ってる。顔は遠くて見えなかったそうだ。ビル内監視カメラの映像は全て消去済みで、田中のオフィスには、署名入りの遺書があった。PCの中身は遺書の文書ファイル以外はほとんど空だったそうだ。ハードディスクごと中身を入れ替えたんじゃないかって、鑑識が言ってる。室内に田中のもの以外の指紋は出ていない」

「自殺に見せかけて殺すつもりだったんでしょうね」

「そうだな。あとは、催涙スプレーを使用した痕跡があって、缶も見つかっている。田中の指紋付きのな」

「相手はプロのようですね」

「そのようだな、やり口も引き方も見事だが、今回は田中の思わぬ反撃にあって、……まあ失敗したわけだ。田中も自滅したが」

「田中の意識が戻ったとしても、裏帳簿のデータはもう残ってないかもしれないですね。自宅の方も空振りだったんですよね」

「ああ、PCは完全に空で、メディアの類も出なかった。田中が喋ったとして、その証言だけでどこまで立件できるか怪しいもんだ。やはり、もう一度徹底的にルンタを探すか」

「出て来ますかね、今更」

「やれるだけやるしかなかろう。明日からかかってくれ」

「了解です」

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