第5話 ルンタ、家出少年と出会う

 ホームのベンチにはギターケースを抱えた少年が座っていました。大抵の人が、電車を待っているか、歩いているかの中で、彼一人だけが青白い顔をぼうっとさせて人々を眺めていました。音楽をやるといって、田舎の家を飛び出て来たのはいいものの、住むところも仕事もなく、ネットカフェに泊まるお金も無くなって、これからどうしたものか途方に暮れていたのです。もう、あきらめて家に電話をかけ、迎えに来てもらうしかないかもしれません。

 家出少年は、たった今到着した電車から、たくさんの人とともにルンタが降りてきたのに驚きました。ルンタはまっすぐに少年の前まで来て止まりました。ゴミ箱型のランプが赤く灯りました。

「ああ、ゴミがいっぱいなんだね」

 少年が思わずルンタを持ち上げている間に、ドアが閉まり、電車は行ってしまいました。少年はしばらく考えていましたが、一つ大きく呼吸すると、ルンタを抱えたまま立ち上がりました。


 一時間ほどして、ルンタと家出少年は大きな公園にいました。ここには有名な野外音楽堂があって、休日にはよく大きなコンサートが開かれます。いつかここでライブをするのが少年の夢でした。今日は門に鍵がかかっていて、会場には入れませんが、外から様子を見ることはできます。

「せめて、ここで一曲作って帰ろう」

 少年はルンタを石畳におろしてボタンを押しました。音楽堂の前の広場は丸いくぼみになっていて、ルンタはその円の中を縦横無尽に掃除し始めました。少年はケースからギターとノートを取り出してくぼみの縁に腰掛け、適当に思いつくままコードを鳴らし始めました。目はルンタに向けられていましたが、実際には何か違うものを見ていました。しばらく色々なコードの並びを試した後、気に入ったものの上に一本の旋律を小声で乗せて行きます。まだ歌詞のない歌声は次第にのびのびとして、通りかかった外国人が何を思ったのか、ルンタの上に小銭を置いて行きました。


「どうして言葉がないの?」

 突然話しかけられて、家出少年は我に返りました。振り返ると肩越しに女の子が覗き込んでいます。もちろん、知らない子です。どこかの高校の制服を着ています。

「え?」

「どうして? 歌なのに、歌詞がないの?」

「あ、ああ、まだ作ってないから」

「ふーん。メロディーが先なんだ」

「あれ? お金が乗ってる」

 ルンタの上の小銭に気づいて少年は驚きました。いつの間にかルンタは止まっています。

「さっきから、いろんな人が乗せてってるのよ。全然気づいてなかったの? なんか入ってたもんね、自分の世界に。……にしても、なんでルンタ?」

「う、さっき拾ったんだ。駅で」

「へ、へえ。……ねえ、私も一緒に歌詞つけていい? 気に入らなかったらボツにしてもいいから」

「うーん、まあ、いいけど、きみ、歌う人?」

「ん、歌って踊る人」


 出会ったばかりの二人は、最初はぎこちなく、次第にああでもないこうでもないと議論しつつ、夕方までかかって詩を作りました。ルンタは二人の横で小銭を乗せたままじっとしていました。満足する詩が出来上がると、二人は立ち上がって、通行人に向かって演奏を始めました。最初のうちはただ通り過ぎるだけだった人々が、少しずつ立ち止まり、ルンタの上の小銭は、こぼれ落ちそうなくらいに増えました。


 歌が終わって、一瞬静まりかえり、それから拍手が湧き起こりました。少年は、呆然と見知らぬ人々を見、それから女の子の顔を見ました。女の子は少し濡れたような目で少年を見返し、それから笑って、聴衆に向かって大げさなお辞儀をしました。と、そこへ、人だかりをかき分けて、怖いお兄さんたちがやって来ました。

「誰にことわって、商売してるんじゃ、ああ?」

 漫画で見るのと同じセリフです。

「逃げるよ」

 女の子はあっという間に人混みに紛れてしまいました。

 家出少年も、必死にギターケースをつかんで駆け出しました。あとにはお金のたくさん乗ったルンタだけが残されました。怖いお兄さんたちは、内心なんじゃこりゃあと思ったかもしれませんが、顔には出さず、一番下の弟分が小銭を回収し、ルンタを拾いあげました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る