第4話 譲れない想い (二)
「……っかし、エグいこと考えますね」
「ん? "エグい"とは? どういう意味かな?」
がやがやと騒がしい店内で、いつものの調子を少しも崩すことなくスーツ姿の斎田が聞き返す。
「二人とも推薦することは出来ないから、模擬面接して選抜する――ってやつですよ! あんなの……あんなの、あいつら二人の関係ぶっ壊すに決まってるじゃないですか」
斎田とは正反対にすでに酒で顔を上気させた新見は、勢いに任せて普段なら聞きにくいことを口にする。
「……なるほど。新見君は今度の件をそんな風に考えているのですか……私とは少し違う考え方のようだ」
それでも斎田は少しも取り乱したりすることなく、穏やかに返す。その後で、自分のグラスに残っていたペールエールに口をつけ、ふぅと息を吐いて、隣に座りすっかり酔いが回った大柄の男の顔を横目で見る。
「……あの二人って斎田さんのCREST(大型競争的研究費の一つ)で同時期に雇われたじゃないですか……でもね、歳は中村の方が3つ上なんですよ……中村は焦りと藤山に先を越されたくないって思うだろうし、藤山は藤山で中村の事情を意識してしまうだろうし……それに滝澤のことだって……」
新見はぶつぶつとまだ続けている。おそらく、本人も自分が言っていることが取りとめもないことは理解しているのだろう、徐々に声は小さくなっていく。
「なるほど……そうか、君は滝澤君のことには気づいていなかったのか……ならあえて今、話すことでもないですね。しかし、私は間違ったことをしているつもりはないんですよ、新見君。
それに、藤山君と中村君のことだって、究極的に言ってしまえば――まさにそんなことはどうでもいいことで、何歳になろうがポスドクとして働く人は実際にいるし、年齢の順番通りに大学教員になれるわけでもないですからね。
今回の件は、共同研究者として一緒に仕事してきて、これからもコラボを続ける吉田先生の依頼ですし、より適任と思える人物を紹介したいという気持ちもある……本当は、新見君もわかってるんでしょ?」
斎田は自分の方を見ずに「わかってますよ、そのくらい」と答える新見を見て、ふふと少しだけ吹き出した後で続ける。
「教員公募に落ちた後で忘れたころにやってくるあの薄っぺらい粗末な大学の封筒の中の"お祈り文書"を一枚、また一枚と何枚も何十枚も集めれば……あるいはポスドクになって、一年、また一年と経験年数だけをただ積み重ねれば、いずれ大学教員になれるというのであれ良いですけど
――――はっきり言って、そんなものはありません。
彼らは……いえ、当然私たちもですが、自分たちが計画して、計算して、実験して、必死で書いて、出版してきた論文などの研究業績と今現在行っている研究の内容、それに大学教員なら教育についての実績や能力、それらでしか相手に自分の"価値"を伝えることは出来ないんですよ。
例えば、今回のような研究者としてのポジションだったり、研究費の獲得だったり、さまざまな場面でそれら個々人の価値を競争するというようなことが発生するわけです。他の職業と比べるということは、あまり意味のないことですので嫌いなのですが、そういう意味では、研究者というのはシビアな『勝ち』『負け』という一面を持った世界――ということですね。もちろん、それだけではないのも確かですが。もし、彼らがその研究職の一つの側面である競争にとても耐えられないのだとしたら、早めにキャリアパスの軌道修正を教えてあげるのも教育者としての私の責任です」
斎田がそう言い終わる頃にはすっかり出来上がってしまった新見は、額をカウンターテーブルにくっつけて、「わ、わかゃってるんんですよ、そ、そのくらァい」とだいぶ呂律が怪しくなっていた。斎田はそれを見て、もう一度、口元を緩めて笑い、続きを話す。
「ふふ、しかし君のような"真っすぐ"な人間がラボに居てくれて良かった。私は昔から冷酷だと言われてましてね。確かに、このような案件は取り扱い方を少し間違うと、アカデミック・ハラスメントとして問題になりかねないですからね。そういう意味でも、私以外に君も見ている状況で公平に決めておきたいと思ったんです――――と、もう聞いていないか」
『譲れない想い(承前)』
「…………あの、藤山君……ちょっと、いい?」
そう中村に呼び出されて連れていかれた学科共通の会議室には、水上が居て深刻そうな顔で僕の顔を睨んでいる。僕は一緒に会議室に入った中村が申し訳なさそうにうつむいているのを見て、だいたい水上が言いたい内容がわかってしまっていた。
それから、もう五分も誰も何も話せないでいた。
「率直に言う。藤山、今度の公募案件、降りてくれないか?」
最初に口を開いたのは水上だった。
「……それは何故?」
僕は予想通りの質問に、怒りや困惑よりも、どこか寂しさを覚えて水上の顔をじっと睨み返す。
「何でって――お前はまだ若いじゃないか! 俺よりも一つ下だろ? でも、中村は……あゆみは、もう挑戦できる"ギリギリ"の範囲なんだ、だから!」
この二人は恋人同士で、それで僕にこういうことを言っているんだということはわかる。
それに、本当は水上の言う『だから』の意味も僕にはわかっていた。
残念だけど、30歳を過ぎて歳を重ねていけば重ねるほど、教員公募が難しくなるという現実は確かにある。公的機関が運営している教員公募情報サイトであるJrecinに『雇用対策法施行規則第1条の3第1項第3号のイの適用により,長期勤続によるキャリア形成を図るため、35歳以下のものが望ましい』とはっきり書いてある求人さえ、今では珍しくもない。
僕よりも3つも年上でそれほど業績が芳しくない中村の現在の状況から考えれば、確かに水上が言うように中村に斎田教授の推薦を譲るというのも一理はあるように思える。
でも、僕は――――
『誰にも譲れない想いってやつは――ちゃんとお前のなかにあるか?』
新見さんのあの言葉がずっと胸の奥で引っかかっていた。
僕にそんな想いがあるのか、ずっと疑問だった。でも、少なくとも僕はこんな僕たち以外に誰もいない薄暗い会議室で、自分の将来を決めたくはない――そう思って、水上と中村の顔をしっかりと見て、答える。
「悪いけど、その提案には従えない。僕は……僕はちゃんと斎田先生の前に立って、自分の想いを伝えたい」
僕の――自分でもびっくりするくらいにはっきりと意志を込めた――言葉に、水上も中村も一瞬言葉を失う。
「…………お、お前!! そんな――」
ひょっとしたら、水上は『薄情なことを』と続けたかったのかもしれない。知り合ってそれほど長いわけではないけど、水上は周りの人間のことを思いやることができる人間で、今は自分の彼女のことを助けたくてしょうがないのだ。それだって、僕にもちゃんと伝わってる。
でも、その水上の想いを遮ったのは僕ではなく――中村本人だった。
「もう、もうやめて、たっくん! ……もう、やめて……やっぱり、こんなの間違ってるよ……」
「で、でも!」
中村は水上の言葉に首を横に振る。
「……それに、私も藤山君と同じ気持ちだよ。私もちゃんと斎田先生の前に自分の足で立って、本当に教員公募に出しても大丈夫なのか、見てもらいたい」
中村はそう言った後で、くるりと身をひるがえして、今度は僕の顔をしっかりと見つめる。僕は真っすぐ中村の顔から視線を外さずに、それに応える。
「それにね、藤山君。私、ちゃんと……正々堂々と君と"戦って"、自分の研究を斎田先生に認めてもらってから、このラボを出ていきたい。だから……真剣勝負だね、藤山君」
そう少しだけ困った顔で笑いながらいった中村の顔は、力強くて――そしてどこか儚げにも見えた。
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