あの夏の雲

青の夜空

「わた菓子って何だか雲みたいだね」


 そう言った君は手に持った綿菓子を口に

含める。入道雲を象るそれは僕が知る唯一の彼女の好物だ。


 人混みで歩くのも一苦労な夏祭り。

蒸し暑くジメッとした風が流れる中で、

周りの人は柔らかい光の提灯に囲まれて

笑顔で歩いている。


「綿に似てたから綿菓子なんでしょ?」


悠大ゆうだいは考えが固いね」


澄田すみださんが柔らかすぎるんだよ」


陽葵ひまり


 澄田さんじゃなくてね、と彼女はジッと

僕を見つめて言い放つ。


「‥陽葵さん」


「 "さん"もいらないよ? 」


 彼女の目から逃げるように僕は顔を背けた。逃げた逃げた、と後ろからヤジが飛ぶが構わなかった。


「それよりも悠大、何か私に言うことが

あるんじゃない? 」


「まだ会って3週間も経たない男を呼び捨てにするのは早いんじゃないですか? 」


「それは悠大が私に言いたいことじゃん」


 そうじゃなくて、と憎々しげにこちらを

見つめる彼女。その姿を見れば彼女の言いたいことは分かっていた。


「綺麗な浴衣姿だと思いますよ」


「ちゃんとこっち見て言って」


「‥綺麗です」


 そう言うとニンマリとした笑顔を浮かべて

許す、と彼女は高らかに宣言する。


 転校してきて3週間経ち、僕はクラスの

誰とも仲良くしようとは思っていなかった。

ましてやクラスの人気者の彼女となんて。


 実は僕は高校2年生にして転校はもう3回も

経験している。1回目は小学生の低学年ということもあったため、泣きに泣いて親を困らせたが2回目の時には、また〜?と言いつつ

そこまで落胆していない自分になった。


 だから3回目の今の高校では、大学に入るまでの1年間の付き合いの友達など空高くにある雲のように薄く消えていくと考え、

誰とも関わりを持つつもりが無かった。


 だが今、隣にいる女の子。

澄田 陽葵のせいで僕は多少なりともこの土地と関わりを持ってしまった。


■■■


「転校ってどんな感じなの?」


 僕が転校してきて1週間が経ったある日、

彼女は突然に僕の机の前に立ってきた。


「どんな感じって、質問が少しアバウトすぎない?」


「何でもいいの、悲しかったとか辛いとか

ワクワクするとか気持ちを教えてくれるだけでいいの」


 空気となっている僕に話しかけ、唐突に

質問を投げかける彼女の目は真剣な眼差しだった。


「澄田さんが考えてる感情を全部混ぜたような気持ちになるよ」


 煩わしいのを突き放すように、そう言って僕は読んでた文庫本を閉じ、トイレへと歩いて行った。


■■■


 この一回の会話とも言えない触れ合いから、彼女は事あるごとに僕に喋りかけるようになった。


 僕を見かけるたびに大きな声で挨拶してくるし、教室での読書の時間は彼女のくだらない話を聞く時間へとすり替えられた。


 澄田さんはサラッとした黒髪ショートで

身長が高く、小麦色の肌で高校生にしては

整った顔をしていた。そのため、クラスで

注目され影響力のある人物の1人だった。


 そんな彼女に目をつけられるなど僕から

したら、たまったものではない。


 そう思って彼女を避けてきたのだが、

彼女の無尽蔵のエネルギーの前に帰宅部の

僕の体力が持つはずもなく。クラスみんなで行く夏祭りに強制的に参加させられる事と

なった。


「クラスのみんなと逸れたけどいいの?」


「悠大は私と2人きりじゃ嫌?」


「嫌ってわけじゃないけど‥ 」


 じゃあいいじゃん。そう言って前を向いて歩いていく彼女の後ろ姿は悔しいが綺麗だ。


 焼けた肌にビビットな青色の浴衣が合い、

淡い黄色の花の髪飾りが普段の彼女とは

違って‥ って何を見惚れてるんだ自分は!?


「静かな場所に行きたかったんだよ」


 こちらを見ないで彼女は呟くように僕に

話す。


「だったら夏祭りなんて来なかったら良いじゃん」


「1人はさみしいよ」


 聞こえるようにでもなく独り言のように

話す彼女は屋台がひしめき合う大通りから

外れて人気のない場所へと進んでいく。


 喧騒とした音が限りなく小さくなり、

森の中にポツンと置かれた木のベンチに座る僕たち。


 目の前には街の夜景が一望でき、地方の

田舎のため灯の数は少ないが、ロウソクの

ように弱く優しい光はここならではの夜景を映し出していた。


 隣に座る彼女の手には一口だけ齧られた綿菓子がずっといる。


「食べないの?」


「何だかもったいなくて」


「食べない方がもったいないよ」


 うるさいなぁ、と少しだけ彼女は口に含める。


「綿菓子が好きなの?」


「いや別にそういうわけじゃないよ」


 ただ‥と口の中の綿菓子を溶かしてから

彼女は僕の顔を見る。


「わた菓子ってって感じがしない?」


「りんご飴とかチョコバナナも夏だと思うよ」


「私の中ではりんご飴とかはって感じになるのよ」


「そんな違いがある? 」


「全然違うよ」


 知れば知るほど彼女は不思議な人だと思う。クラスで楽しそうに輪の中心にいる人が

誰とも絡もうとしない余所者に話しかけ、

強引に祭に連れてくるなんて、考えられない。


 そんな僕の戸惑いをどこ吹く風と彼女は

僕を連れ回す。


「夏の雲って大きいよね」


「夏だからね」


「適当にうなづいているだけでしょ」


「そんな事ないよ」


 ほら、また。

そういう彼女はつまらそうに僕を睨む。


「それよりも知ってる?あの空高くにある

雲のこと何て言うか」


「積乱雲でしょ」


「そうじゃなくて、山のように高く積もっている雲のこと」


「雲の峰のこと?」


 そう、と頷いた彼女は綿菓子を僕の前に

出して話し始める。


「ここからあの雲の距離が‥あれ?

 どれくらいだっけ?」


「350km」


 目を大きく開けて彼女はこちらを見つめる。


「大体20〜50kmぐらいは水平距離で見れるよ」


「やけに詳しいね悠大」


「たまたまだよ」


 彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて、僕を

じっと見つめていた。


 僕は空を見上げて夏の夜空にそびえる雲が

やけに高く見えることを知った。


「悠大も意外と隅に置けないね」


「そんなことないよ」


 何かを察した彼女は悪い笑顔で僕のプライベートに入り込もうとしてきた。


 それを華麗にいなすと彼女は鬱憤を晴らすように僕に話しかける。


 TVの特集で見たばかりか本で知ったのか

彼女は僕に雲のウンチクを教えようとした。


 「だからあの雲は、ここから300km離れた場所でも見ることができるんだよ」


 その一言で僕は確信めいたものを感じ、

彼女の言動を唐突に理解してしまった。


 楽しげに話す澄田さんの奥底にある不安の

気配が僕に鮮明に姿を見せた。


 その後の雲の話を終えた彼女に僕は静かなトーンで尋ねた。


の日程はいつなの?」


「‥‥ 」


 先ほどまでおしゃべりだった彼女は

急に口が重くなった。


 そして、不器用に口を動かした。


「やっぱり分かるんだね、さすが転校の

ベテラン」


 別にベテランになりたくてなった訳ではないため、褒められてもあまり嬉しくない。


 一方で彼女の曇っていた顔が少し晴れていた。


「夏休み終わる前の日に引っ越しだよ」


「場所は?」


「北海道」


 北海道か‥


「遠いよね、だからみんなと思い出作りたくて祭とか来てみたんだけど、何か辛くてさ」


 天を仰いで足をブラブラさせながら、彼女は今日を思い返していた。


「心が上手く整理できないんだよね‥

悠大はどうやって心の中のモヤモヤを抑えてるの?」


 彼女はずっと上を向いたまま僕にそう尋ねた。


 その理由に気づいた僕は彼女が見ている

景色を眺めながら答える。


「忘れる、かな」


「忘れるの?」


「その場所での楽しい思い出があるから辛いんだよ、それならいっそ忘れてしまった方がいい」


 その言葉を聞いた彼女は僕の方に向いて、少し俯いて話しかける。


「今までそうしてきたの?」


「そうだよ」


「これからも‥ ?」


「そうだね」


 すると、僕の言葉を聞いた澄田さんは急にこちらを向いて潤んだ瞳で睨んできた。


「じゃあ悠大は今日、私と祭に来たことも

忘れるっていうの!?」


「人は忘れるから生きていけるんだよ」


 怖い面持ちで睨み続ける彼女から僕は視線を逸らし、夜景に意識を移していた。


 隣で澄田さんが、

「そう、そっちがその気なら‥ 」

とボソボソと呟いているが気にしない。


 そういえば今日は打ち上げ花火が上がる

らしい、田舎の祭に似つかわしくない

本格的な花火で遠くから人が見に来る程の

ものだと聞いた。


 そんなことを考えていると、ベンチに乗せていた僕の手にソッと小さな手が重なった。


 驚いて振り向いた僕の鼻に彼女の甘い匂いが香り、先ほどよりも彼女が近くにいることを知った。


 どこかでドーンと花火の腹に響く心地よい音が鳴り響いた時、僕と彼女の唇と唇が触れる。


 ゆっくりと澄田さんのぬくもりが伝わり

彼女という存在が、心が、僕に流れ込むようだった。


「これでも忘れられる?」


 少し綻んだ笑顔を浮かべる彼女の頬は

りんご飴のように紅く染まっていた。


 上昇する体温と柔らかな感触だけが僕の頭にこびりつくように強く残り、他のことは

何も考えられなかった。


 上がった花火に照らされた夜空が澄み切った青空だった事だけを、僕はやけに覚えている。

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あの夏の雲 @tanajun

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