第8話 パリ・コンミューンの残したもの

【パリ・コンミューンの残したもの】

3月18日の勝利のあと、なぜベルサイユに即刻、国民軍を進撃させなかったのか。

パリ・コンミューンは決定的な勝利の機会を逃し、ティエールに時間を与えてしまった。と指摘する歴史家は多い。また、フランス銀行、証券取引所をそのままにして、ベルサイユ政府の経済的基盤を押さえることが出来なかったことも指摘される。

パリは、コミューンの中央委員会は、起きた勝利に戸惑っていた。自らの合法性に拘っていた。合法性を与えるコミューンの選挙を優先し、中央委員会はそれまでの暫定の役割であると自らを任じた。すでに実態としては権力を保持した機関であったにも関わらずである。パリのみの政府であろうとした。リヨンにもマルセイユにも呼びかけた。コミューンの連合としてフランスを考えた。中世の自治都市の遺物を夢見ていたのである。


コンミューンとは何か。蜂起した人々が単に政治的決定に関するにとどまらず、日常性の次元においても、自分たちの生活と歴史の主人公になろうとする感動と意欲を持ったことを私たちは見る。マルクスは語っている。「コミューンのもっとも偉大な社会的方策は、活動するコミューンの存在自体であった。……パリは全て真実であり、ベルサイユは全て虚偽であった」と。


コミューンはブルジョア民主主義が30年以上かかって、不完全にしか達成できなかったプログラム、すなわち教会と国家の分離――非宗教的義務教育――労働組合法――労働法規その他を提起し、一時的にせよ実現したのである。コミューン派はこのような民主主義的・社会的共和国の発展を促進しつつ、ベルサイユ側と和解し、妥協することであったかもしれない。だが、こうした《成功》は、本質的なものを覆い隠すことになったであろう。それこそ、最大の失敗ではなかったろうか。


フランスの大革命以来の政治的混乱は共和政の確立で収まったが、帝国主義の20世紀となり、フランスはドイツとの2度の戦争になる。それは2国の間だけでは収まらず、世界大戦を経験することになる。

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