第6話 パリコミューン

【3月18日前の状況は】

ナポレオン帝政に対する不満は敗戦への怒りとなって爆発し、民衆は立法院に殺到、フランス第二帝政の失権を迫った。1870年9月4日、革命派の跳躍に危機感を抱いた穏健派の議員が共和国宣言を行って、トロシュを首班とする仮政府が樹立された。しかし、和平の早期実現を望む仮政府と、徹底抗戦を要求するパリ民衆との対立は激しいものとなっていった。

仮政府下でも戦争は続行され、急遽、国民衛兵が召集されパリ防衛にあたることとなった。 王政復古の可能性を示唆するブルジョア色の濃い仮政府の成立に裏切りを感じたパリ労働者の代表者たちは、仮政府と市政の監視のため、各区に監視委員会を設置し、各区4名づつの監視委からなる「パリ二十区共和主義中央委員会(以下、パリ中央と略称)」を発足させた。


10月31日、ブルージェとメッス要塞が陥落して兵力17万を擁するフランソワ・バゼーヌ元帥率いる守備軍は降伏、プロイセンが本格的にフランスの軍事的抵抗能力を粉砕したのである。「パリ中央」のメンバーは、政府の退陣と徹底抗戦を要求するために市庁舎に行進することが決議され、無数の群衆そして指揮権から離脱した3千名もの軍の一部が合流して市庁舎を占拠した。そしてトロシュと会見して仮政府の停止、市会選挙と選挙管理委員の招集を求めた。

トロシュは退陣こそ呑まなかったが、市会選挙の実施を約束して事態を切り抜け、巻き返しのチャンスを得ようとした。親政府派の軍が市庁舎に奇襲をかけ市庁舎を取り囲んだ。革命派は市会選挙実施と報復しないことを条件に市庁舎を退去した。仮政府は革命派と交わした約束を裏切り、ブランキ、フルーランスらの革命派指導者に逮捕令状を発し、市会選挙ではなく区長選挙として実施する。


11月4日、仮政府の信任投票とパリ20区の区長選挙が実施され、仮政府が続投を果たす一方で、政府支持のブルジョア派が過半数で当選したが、労働者地区では逮捕された反乱分子が多数当選する異常事態が発生した。インター派、急進派、ジャコバン革命派、ブランキ派らから区長あるいは助役が選出された。

プロイセンに包囲されたパリのその年の冬は寒波が到来し、燃料と食糧不足が深刻となった。陸の孤島と化したパリ、この包囲中の仮政府による配給制はお粗末なもので、金持ちが隠匿物資で生活を守る一方、市中ではねずみや猫、犬の動物が食料として取引される状況に追い込まれた。こうした危急存亡の情勢はパリを革命的に変えていった。


長い戦時生活の困窮と仮政府の軍事的失策に絶望した民衆の怒りはついに爆発し、「10月31日蜂起」に参加してマザスの牢獄に投獄されていたブランキ、フルーランスのもとに駆け付け、彼らを解放した。プロイセン軍の圧力、民心の離反と革命派の台頭に追いつめられた仮政府は、とうとう音を上げ、トロシュを解任し、プロイセンと休戦協定に調印した。

そして即座に新政府樹立に向けて、2月8日には国民議会の選挙がおこなわれた。パリでは共和派、革命派の躍進が見られた。だが、地方ではブルボン、オルレアン、ボナパルト派をはじめとする王党諸派が躍進して共和派に優位を占めるかたちになった。そして、ボルドーに国民議会を招集、オルレアン派のアドルフ・ティエールを「行政長官」とする国防政府が誕生した。


ティエールは王政復古の可能性をちらつかせ、議会の多数を占める王党派を抱き込む。こうして成立した新政府はすぐさまプロイセンとの和平交渉を担う。2月26日、講和条約が締結され、そして、3月18日になったわけである。

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