第5話 パリ・コンミューン

(7) パリ・コンミューン


パリ・コミューンは、1871年3月18日から同年5月28日までの短期間、中央政府に反旗を翻し、パリを支配した政治権力である。歴史上初めて労働者や小ブルジョアが主体となった権力であった。3月28日、パリはコミューンを宣言するが、ベルサイユ政府軍により5月28日鎮圧され、セーヌ川は血に染められた。


パリ・コンミューンの主役は、名もない労働者を中心としたパリ市民であった。ミラボー、ダントン、そしてロベスピエールもいなかった。一方ベルサイユ政府には老練にして経験豊富な政治家ルイ・アドルフ・ティエールがいた。パリ・コンミューンを語るとき、3月18日の出来事と、このティエールについて書いた方がわかりやすいと考える。


【3月18日の出来事】

全ては3月18日、土曜日に始まった。

この日、まだ夜も明けないうちに、政府司令官ヴィノワ将軍指揮下の2万の兵士が行進を始めていた。ティエールの命令によって国民軍の手から大砲、その他の火器を取り上げるためである。パリはまだ眠っていた。警察隊や憲兵隊に先導されたシュビェル師団4千名はモンマルトルに向かった。大砲の番をしていたのは5、6名の国民軍兵士であった。大砲はなんなく奪うことができた。

しかしこれらの正規軍は決して精鋭な部隊ではなかった。若くて経験のない兵士が多く、宿営地が労働者の街ベルヴィルにあったことから、労働者の住民たちとも親しかった。二日前にパリに着いたばかりで、装備も貧弱なら糧食にも事欠き、寒さと疲労で士気も上がらなかった。この大砲を廃兵院まで曳いて行かねばならないのに、必要な馬が着いていない。これだけの大砲(400門と云われている)を運ぶのに何頭の馬がいるのだろう。兵士たちはイライラしながらこれを待った。


待つこと2時間、激しい警鐘の音とせわしい太鼓の音でパリが目覚める。窓が開き、何事と尋ねる顔がのぞく。作業服のボタンをはめながら駆けて行く男たちのあとから、婦人や子供たちが足早に続く。群衆がつめかける。急を聞いた国民兵が駆けつけてくる。政府軍の将校が発砲を命じる。群衆は兵士たちをなじり、女たちは前に出て身を投げ出す。予期せぬ出来事に、部隊の兵士は混乱し、発砲の命令にも、振りをするだけである。別の将校は「打つな、女や子供がいる」と違う命令を発したという。

駆けつけた政府の猟兵隊、憲兵隊の援軍も、国民軍の猛烈な射撃の前で立ち往生する。やがて丘の上は群衆で埋め尽くされ、孤立した兵士たちとの間で交歓が始まる。他の方面に向かった政府軍の状態も似たような状態で、まともに戦闘した形跡はなかった。政府軍の将軍の一部は捕まり、6月蜂起のときに弾圧した将軍一人は殺害された。


そもそも、この大砲はパリ市民の寄付でこしらえたものであった。締結されたプロイセンとの講和の内容は、アルザス・ロレーヌ地方の割譲、50億フランの賠償金支払い、プロイセン軍によるパリの象徴的占領を内容とするものであった。

屈辱的な講和に反対するパリと、あくまでプロシャとの講和に執着するティエール。両者の対立は決定的になっていた。2月19日、パリ代表は、ブルジョアジーの特権の廃止、ブルジョアジーの支配階級としての失権、労働者の政治的支配、コミューン政府の樹立を約束した。国民衛兵はプロイセン軍のパリ入城への抵抗呼びかけ、武装解除を拒み、プロイセンに武器が押収されるのを防ぐため大砲を女子子供も含んだ多数のパリ民衆と共にモンマルトル、ベルヴィルのなどの労働者地区へと移設していたのである。


大砲が奪回できず、パリの現状を考えて、ティエールは議会と政府をべルサイユに移すことを決断する。パリはコンミューンを宣言する。


『全20区中央委員会の宣言』

「パリは3月18日の革命によって、国民衛兵の自発的で勇気ある努力によって、パリの自治、すなわちパリの警察力、治安および財政を組織する力を取り戻した……

われわれが平和的に達成しょうと努めている革命とコミューンの思想の勝利を確かなものにするために、その一般的原理を定め、諸君の代理人が実現し擁護すべきプログラムを明文化することが重要である。家族が社会の萌芽であるように、コミューンはすべての政体の基礎である」として、プログラムを列記する。その中の一部を抜粋しておく。


話すこと、書くこと、集会を開くこと、団結することの完全な自由。

個人の尊重と個人の思想の不可侵。

すべての官吏と司法官に適用される選挙の原理。

警視庁の廃止、コミューンの直接命令のもとにおかれる国民衛兵が実施する都市の巡視。

パリについては、市民の自由にとっては危険であり、社会経済にとって負担となる常備軍の廃止。

包括的、職業的、非宗教的教育の普及。

失業や破産を含む、あらゆる社会的災害に対するコミューンの保証制度の組織。

賃金制度や恐るべき貧困状態を永遠に解決するため、また流血をともなう要求とその致命的な結果である内戦の再来を永遠に避けるために、資本、労働用具、販路、信用などを生産者に提供するもっとも適当な手段を絶えず、熱心に探究すること。


*コミューン議会のさまざまな傾向〈党派〉議員数90人

ブランキ派:革命的な暴力を肯定。革命の酵母となり、コミューンの活動の中核になる。

革命家諸派:急進ジャコバン派、ロマン的社会主義者等

インターナショナル派:多数はプルードン主義者、2,3人がマルクスと関係がある。

急進派:社会主義を明確に位置付けていないが、民主的、社会的共和政の支持者

穏健共和派:自由主義者と反動派、まもなく去るか、ベェルサイユ側につく。

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