第4話 

(6) 普仏戦争

1870年、プロイセン(普)とフランス(仏)の戦争。プロイセンが勝利しドイツ帝国を成立させる。フランスでは第二帝政が倒れ、パリ=コミューンを経て第三共和政に移行。


スペインの王位継承問題に端を発した両国の対立であるが、ナポレオン時代のフランスに復讐することで、ドイツ統一の主導権を握ろうとしたプロイセンのビスマルクが、フランスのナポレオン3世を挑発して戦争に持ち込んだという側面が強い。

結果としてプロイセン軍の大勝に終わり、翌71年、ドイツ帝国が成立した。またフランスでは第二帝政が倒れ、臨時政府が講和しようとしたことに、屈辱的講和に反対したパリ市民・労働者がパリ=コミューンを樹立したが、鎮圧されて、ブルジョワ共和派による第三共和政に移行する。


【戦争の経過】

フランスとの戦争となって他のドイツ諸侯国(バイエルンなど)もプロイセン軍に加わり、全ドイツとフランスの戦争の様相となった。戦争は、圧倒的に優勢な兵力と火器を有し、輸送と兵站(後方支援)の準備を終えていたプロイセン側がフランス領内に進撃し、9月1日スダンの戦いで、ナポレオン3世が8万3千の将兵と共に降伏し、退位して亡命、フランス第二帝政は崩壊した。


【戦争の結果】

スダンの戦いで皇帝が捕虜となったことを知ったパリ市民は、暴動を起こして宮廷に乱入、第二帝政は崩壊し、臨時政府が成立した。パリに迫ったプロイセン軍は、翌1871年1月18日にベルサイユ宮殿を占領し、そこでドイツ帝国の皇帝戴冠式を行い、その10日後にパリは開城した。

2月26日、フランス臨時政府(行政長官ティエール)は、50億フランの賠償金と、アルザス・ロレーヌを割譲する条件で講和した。勝ち誇ったプロイセンは、3月1日、パリに入城した。パリ市民は抗議の黒旗を窓に垂らした。フランス臨時政府の屈辱的な講和に反対したパリ市民は、パリ=コミューンを組織して、史上はじめて、労働者を中心にひた権力を樹立する。しかし、臨時政府側とドイツ軍によって包囲され、5月に崩壊した。こうしてフランスはブルジョワ共和政の第三共和政となる。


【普仏戦争と他のヨーロッパ諸国】

なお、普仏戦争に際し、イギリスのグラッドストン内閣は不介入の姿勢に終始し、ロシアのアレクサンドル2世はその隙に南下政策を再開させる。またフランス軍が敗れ、ローマ駐留軍(イタリア統一戦争からローマ教皇を守る名目でナポレオン3世が派遣していた)が撤退したため、イタリア王国軍がローマ教皇領占領し、イタリア統一が完成したのもこの結果である。

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