第六話 炎を飲み込むように
決めた通り、朝の早い時間に起きて朝食をとり、ウォール・バンガーを走らせた。
まだ明けきらない空は相変わらず厚い灰色の雲を多く漂わせていたが、その隙間から天に続く階段のように伸びる光が、これから先の僅かな希望を照らしているように感じられた。
二時間ほども走っただろうか、初めて人とすれ違った。それは老人で、たったひとりで同じ方角に向かって歩いていた。上着を重ね着して持ち物は小さなバッグだけ。ウォール・バンガーに気づくとしばらく足を止めてこちらに顔を向けていたが、その表情は見えなかった。
南に向かう街道は全く整地されておらず、何度も繰り返されている往復によって均されているだけにすぎない。しかしそこを歩いていけば、少なくとも同胞団の勢力地に入ることが出来る。
ただ目立つウォール・バンガーで街道を走ると余計なトラブルを招く恐れがあるので、二百メートルくらい離れたところを並走しているのだった。
それから三十分ほど走ると、今度は親子連れらしい五人がいた。大人の男女、そして女の子が二人と男の子がひとり。彼らもこちらに気づくと立ち止まって眺めていた。子供たちにはしゃいだ様子はない。
「なんか……警戒されてますね……」
リコットが少し悲しそうに言う。
そうね、とルシルは返したが、当然だと思えた。戦争が始まって真っ先に破壊されているはずの
それから次々と人とすれ違うようになった。ルシルは安堵した。ようやく街から逃げ出した人たちに追いついたのだ。
ただ、相変わらず警戒し不信感を露にする人々に、ウォール・バンガーで近づくわけにはいかなかった。
さらに二時間ほど走って、人の集団が続くようになった時、遠くに光が見えた。チカチカと点滅を繰り返し、それにかなり遅れて、軽い乾いた音が響いた。ザワザワとした人の声も聞こえてくる。ウォール・バンガーの頭部にあたる複合カメラは、音声もクリアに拾ってくれた。
「戦闘? 撃ち合いかな……」
リコットが隣でモニターを覗きながら言った。ズームにして確認する。
戦闘ではなかった。確かにアンダー・コマンドらしき戦闘服を着た男たちが銃を撃っていた。悲鳴を上げて逃げまどう人々を背後から撃ち続ける、一方的な殺戮だった。
「ルシル!」
「わかってる!」
許せない! みんなを助けなきゃ! 二人の意見は同じだった。
出力をあげ、ペダルを踏み込んでそこに向かって突撃する。アンダー・コマンドたちは最初、何が近づいてくるのかわからなかったようだ。彼らのど真ん中に突っ込んで、初めて彼らはウォール・バンガーを敵だと認識した。
一斉に銃が向けられる。その先端から火花が散った。
「ひいぃっ!」
リコットが恐怖で頭を押さえてそこにしゃがみ込む。だが厚い装甲は銃弾を弾き飛ばした。軽い金属音がまるで小鳥が木の幹をつつくドラミングのように響く。
「リコット、大丈夫よ! このウォール・バンガーなら銃撃なんてびくともしない!」
ゆっくりと顔を上げたリコットの目には涙が溜まっていたが、それを理解して瞳を拭った。
レバーのひとつを握って、ぐっと捩じるように振る。ウォール・バンガーの折り畳んでいた腕が伸びた。それは一度、威嚇するように天へと向かった後、横に大きく振った。
兵士たちの頭上を腕が通りすぎて、彼らは慌ててそこから飛び退いた。何人かは銃撃を続けていたが、そこに腕を向けると同じように退いていく。
だがそれで逃げてくれるわけではなかった。距離をとってから再び銃を放つ。
「この……いい加減に……」
ルシルにはふつふつと怒りが沸き上がっていた。こんな連中のために人が死んでいる、こいつらは人を殺している。
その時、リコットがルシルの腕を掴んだ。まだ彼女の恐怖は治まっていないのか、胸に手をあててルシルの体温を自分に流し込むかのように呼吸を荒くしていた。
不意にあの時の記憶が蘇ってきた。
従業員に襲われ、アンダー・コマンドたちになぶり物にされた、あの忌まわしい時。歪んだ笑みが目の前にあって、全身を押さえ付けられ、体の中に荒々しく侵入し暴れ回った痛みと悔しさ。
だが兵士の背中越しに自分を見たとき、そこにいたのはルシルではなかった。痛めつけられ凌辱されるリコットがそこで泣き叫んでいたのだ。
許せない、よくもリコットを……。
レバーにあるスティックを親指で捏ね、ウォール・バンガーの腕を振り回す。その先に兵士がいた。
ルシルの想像以上に腕は思い通りになった。慌てて避ける兵士の動きは滑稽なほど緩慢だった。
許せない、許せない、よくも、よくも!
怒りで頭が沸騰する。
お前たちがリコットを! 許せない! 殺してやる!
足をもつらせ、兵士が無様によろけた。それは格好の餌食だった。ルシルは腕を振り上げた。
ゆっくりとした動作に見えるが、その質量による破壊力は凄まじい。直径が二十センチ近くある鉄の塊である。
「うおぉっ!」
ルシルは気勢を発してその腕を兵士の頭上へと叩きつけた。
「だ、だめ、ルシル!」
リコットが叫ぶ。
だがもう遅かった。腕は兵士の頭を潰し、その勢いで体を地面に打ち据えた。兵士の体は踏みつぶされた蛙のように大地に張りついていた。
「ルシル……どうして……」
何か恐ろしいものでもみるかのように、リコットは後退った。
「どうして、って……」
あたしはあなたのために倒したのに!
ルシルはそう叫びたかった。どうしてなんて言われるのは意味がわからない。
それでも他の兵士たちの銃撃は止まらない。ルシルはウォール・バンガーを右に後退させて、その勢いのまま地面に近い軌道で腕を横に薙いだ。それに二人の兵士が巻き込まれた。ひとりは頭を打ち付けて地面を縦に転がり、もうひとりは横腹を抉るようにあたって体をくの字にさせ、数メートル吹き飛んだ。二人はそれきり動かなくなった。
尚も銃撃する兵士の体を、三本指のアームで掴む。ぐっと握ると、兵士の体はグシャッと難なく潰れた。それを残った兵士たちの中に放り込むと、彼らは恐慌状態となり、散り散りになって逃げていった。
「あはは、やった、やったわ! リコット、やっつけたわよ!」
しかし興奮したルシルに、リコットが怯えた表情で言った。
「何で……」
「何で?」
「どうして……殺したの?」
どうして殺した? そんなのリコットのためじゃない! あなたを凌辱したやつらをやっつけたのよ!
リコットの言葉の意味がさっぱりわからなかった。そうでなくても無抵抗な人たちを背後から銃撃するような連中である。死んで当然だ。
しかしカメラを振ってみて、兵士の遺体を捉えた時、ルシルは頭から冷水をぶちまけられたような気分になった。はしゃいでいた気持ちは一気にどん底まで落ちて、急に恐怖で震えが巻き起こった。
これ……あたしがやった? みんな、あたしが殺した……。
自分のしたことをようやく実感した。
人を殺したのだ。人殺し、相手が誰であってもどんな理由があったとしても、ルシルは人の命を奪ったのである。
どうしよう、とリコットを見る。しかしリコットは一歩引いて、今にも泣きだしそうに唇を震わせていた。
待って! リコット、あたしはあなたのために、あなたのことだけを思って……。
しかしリコットとの間には、巨大な分厚い見えない壁のようなものが立ちはだかっていた。彼女に伸ばした手は宙を彷徨って何も掴めなかった。
愕然とするルシルの前で、モニターには生き残った人々が集まってきていた。そこに視線を移すと、安堵や感謝、感嘆の表情が幾つもあった。
でもそれはルシルをどれほども慰めることはなかった。
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