忘れてしまった約束。

 連れて来られたのは、俺たちの高校とは少し離れた所にある私立高校だった。


「ここに居るのか?」

「ああ。ここで先生やってるらしいぜ」

 よりによって教師か。

 しかもこの学校はたしか、知り合いが通っているはずだ。

 もしここの生徒たちが、片桐の友人から何か影響を受けていたら──……いや、関係無い。どうせ帰るんだ、俺たちには関係無いはずだ。


「こっちの世界って、元の世界と日付変わらないんだな。今日、始業式やってたみたいだし」

 ここへ来る途中、学校周辺には下校中とみられる生徒たちがチラホラいた。グラウンドや体育館の方向からは運動部の掛け声が響いている。

 午後は授業が無い学校らしい。

「オレらにとっては好都合だな。授業やってねーなら職員室とかにいるだろ、多分」

 部活の顧問とかだったら探す必要も出てくると思うが、まあ、帰ってはいないだろう。


「じゃあその人呼んでくれ。俺たちだと学校入れないだろうし」

「連絡先はわからん。スケアクロウ突っ込ませて適当にジェスチャーしてみろよ」

 そんなことしたら襲われるだろ。

 というか、スケアクロウは壁を抜けられない。欠損したら咒素がゴッソリ持っていかれるのがわかったし、あまり雑に使いたくないな。


「顔はわかってるんだろ? まずは俺たちで職員室覗くぞ」

 職員室と思われる部屋の窓に、さりげなく近づき、さりげなく覗き込む。

 雑然とした室内からは、忙しない雰囲気が窓越しでも伝わってくる。

 見回していると、金髪の女子生徒が目についた。職員室に呼ばれて怒られているのだろうか。

 ……いや、見覚えのある横顔だ。格好は随分様変わりしているが、見間違えるはずがない。


 彼女は相武あいぶさんだ。下の名前は忘れた。


「なあ生真、あの金髪の子──」

 後ろを振り返るが、誰も付いてきていなかった。

 あの野郎。コントやってるわけじゃねえんだぞ。

 視線を戻すと、相武さんと向かい合っているアンティーク調のメガネを掛けた教師が、俺を凝視していた。

 その顔は強張っていて、まるで化け物を見てしまったかのような表情だった。


 ◯


 古メガネの失礼な視線に釣られてか、相武さんも俺に気づいたらしい。

 職員室を飛び出した彼女を、古メガネが慌てて追いかける。

 とりあえず、生真の所に戻って相武さんを待とう。彼女なら俺たちが探してる人も簡単に呼び出せるだろうし。


「おい、何回俺一人で行かせる気だよ、おい」

 校門の側でボケっと突っ立っていた生真を、少し強めに小突く。

 こっちは真面目にやってたし、緊張もしていた。ふざけられてもシャレにできない。

「すまん! ちょっと確かめたいことあったんだよ。ショージンが近づいた時、メガネ掛けた男の教師に見つからなかったか? 三十代くらいの」

 何か考えがあったから付いてこなかったのだろうか。生真の悪ふざけは、冗談なのか計算なのか見分けがつかない。

「……窓の近くに着いた辺りで見つかったな。なんか驚いた顔してたけど」

「へえ、そりゃいい。もしかしたら、片桐に対抗できるかもしれねーな」

 やはり全て計算だったのか。さすが生真だ。


 ──いや、俺は対抗する必要ないだろ。


「高城君!」

 そうこうしているうちに相武さんがやって来た。

「──私、もう、会えないかと思ってた」

 なにやら感動しているみたいだが、それより格好がとても気になる。

 紺色のブレザーに赤のリボンとチェックのスカート。服装は特に問題ない。

 しかし髪は派手な金髪で、たしかハーフアップとかいう髪型に結っている。よく見ると耳にピアス穴が空いているようだ。

 これ絶対なんか影響受けてるでしょ。


「相武さん、その格好どうしたの?」

「あ、いや、これはえっとね。その、高城君って髪染めてるし、よく話に出て来たショーマ君も派手そうな感じだったから、そういう人が好きなのかなって……」

 俺の影響かよ。

 むしろ、俺の好みはキレイ系な黒髪乙女なのだが。完全に真逆を突っ走っている。


「オイ。普通に会話してっけど、ショージンのこと知ってるってことはノーヴィスだぞ」

 完全に失念していた。生真の言う通り、この世界の人間は今の俺を知らないはずだ。

 そうすると、まだ判明していなかった最後のノーヴィスが彼女ということか。

「あと、この追いかけて来た人が呼び出すつもりだった人だ」

 生真が、少し遅れてやって来た古メガネを指差す。

 トントン拍子だな。片桐とは違って、二兎を捕まえてしまったか。


 ◯


 相武さんに生真を適当に紹介して、古メガネと対面する。意外とデカイな。

 生真が何も言わなかったから大丈夫だとは思うが、一応聞いておかなきゃならないことがある。

「初めまして。今朝この世界に来ました、生真の友人の高城正人といいます」

「あ、ああ。ご丁寧にどうも……。僕は落合おちあい 春哉はるやです」

「今も片桐──さんと交流はあるんですか?」

 アジトの持ち主が片桐と友人関係というのは、あまりにも危険だ。

 もし内通されたら一網打尽にされるかもしれない。

「交流はあるけど……ああ、そういうことか。心配しなくていいよ、僕は中立だから。いや、どっち付かずって言うべきかな」

 落合は自嘲気味に笑みを浮かべた。

 片桐の友人にしては軟弱そうな人だ。


「君たちの居場所を諒一りょういちには教えないし、逆に諒一の居場所を君たちに教えることもしない。まあ、善志乃さんは諒一の勤め先を逐一突き止めるから、君たちにデメリットはないんだけどね。……あの子、いつ働いてるんだろう」

 そういえば、この人は柊木さんの知り合いだったか。なら片桐と柊木さんも何か接点があるのかもしれない。

「柊木さんって、片桐とどういう関係なんですか?」

「──先生と教え子だよ。諒一は元々大学で臨時講師やってたからね。こっちの世界では辞めちゃって、定職に就かずにフラフラしてるけど」


 落合は、ほんの僅かに逡巡して答えた。

 何か言いづらいことでもあるのか?

 ここは掘り下げた方が──

「ショージン、本題忘れてねーか?」

 生真に軌道修正されてしまった。確かに今は関係ないことだったな。

 生真と相武さんは確実に相性悪いだろうし、早く話を終わらせるか。


「えっと、単刀直入に言うと、俺たちは落合さんを説得しに来たんです」

 落合が訝しげな眼差しを向けてくる。

 この一回で心変わりさせるのは難しいだろうが、せめて取っ掛かりは作っておきたい。

「俺たちは元の世界に帰ります。そのために、全員を帰るように説得していくつもりです。落合さんも、もう一度元の世界を思い出して──」

「君は、どうして帰りたいんだい?」

 話を遮られて放り込まれた言葉が、耳の中で木霊する。

 どうして、だって?

 それは。


「元の居場所に帰るためですよ。皆、それぞれの居場所があって、待っている人がいるはずです。だから──」

「別にこの世界でもいいじゃないか。時代も文明も同じで、自分を知ってる人たちだっている。むしろ、元の世界で失った人たちも、この世界では生きているんだ。帰りたいと思う方が異常だよ」


 それは、だって、でも。


「諒一は『責任だ』って言ったよ。例え待ってくれている人がもう居なくても、その人の墓を手入れして、最後はその人の側で眠るべきだ、って。その為に僕と善志乃を帰らせるらしい」

 片桐と落合、俺と生真。全然違うのに、ダブって見える。


「君が帰りたいと思うのはもちろん自由だよ。けど、誰かに『帰ろう』って言うのは、『ここで得た幸せを捨てろ』って言っているのと同じだ。自分の信念がはっきりとしていないのなら、気軽に口にするべきじゃない」

 言葉は厳しかった。けれど、声色は気遣わしげで、優しさが所々で顔を覗かせていた。

 ……俺は、落合さんのように他人の気持ちを考えられているのだろうか。


「……まあ、諒一に賛成も反対もできない僕が言えたことじゃないけどね」

 彼は思い出したかのように自嘲して締めくくった。


 俺は、どうするべきなんだ?

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