偽傷するスケアクロウ。

 立ち上がったスケアクロウは、より人間に近づいていた。両腕に紫電が走り、袖口の黒いもやが清潔そうな白手袋へと変わる。

 やはり、発動を邪魔されなかった場合はこの姿になるようだ。

「操作感はどーよ?」

 操作しようと意識すると、自分の意思どおりにスケアクロウが動いた。

「抜群すぎて俺の身体が動かせない……!」

「ハハハ! どっちが本体かわかんねーな!」

「見た目でまるわかりだろうが」

 スケアクロウを出すのは必要な時だけでよさそうだ。今は生真がいるから問題ないが、一人っきりで棒立ちはさすがに怖い。


「にしても、だいぶ良い動きしてんな。まるで《セルフ》のショージンみてーだ」

 全くだ。動きがキレッキレだし、瞬発力もある。

「これ、能力はオマケかもしれない」

 能力を下手に活かそうとするより、近づいて殴った方が遥かに強力だ。

「実戦だと単純な方が良いと思うぜ。まあ、一応能力も試してみろよ」

 あの人工の咒骸と呼ばれたやつは、まだヨタヨタと歩いている。あれだけ鈍い相手なら、色々試しながら戦っても大丈夫だろう。


 先ず、スケアクロウが立っている地面に向かって能力を使ってみる。

 しかし、反応がない。あの白手袋で触れることが条件で間違いないだろう。

 次に、白手袋が触れている空気を意識するが、上手くいかない。腕と血には使えたのに、気体は無理なのか。


「そろそろ戦ってみるから、何かあったら助けてくれよ?」

「おう、任しとけ」

 生真が立ち上がるのを横目に、スケアクロウを一気に近づける。敵も反応はしているが、圧倒的に遅い。

 敵の足元に潜り込んだところで地面に触れる。そして触れた箇所から一メートルの線がV字に走り、厚さ〇・〇五ミリのステッカーが出来上がった。


「引き剥がせ、スケアクロウ!」

 地面が敵ごと捲れ上がる。

 バランスを崩して倒れたところに、剥がした地面を叩きつけて貼りつけた。


 ◯


「やるねぇ。もうサンドバッグじゃねーか」

 生真からの称賛は嬉しいが、相手が弱すぎではないだろうか。なんだか拍子抜けで、半信半疑だ。

「本当にこんな弱いのか? ほぼ無抵抗だぞ」

「言ったろ、能力も頭も使えないって。そんなのと《セルフ》が戦えばこんなもんだ」

 どうやらこれが順当な結果らしい。

 だったら早めにけりをつけるか。

 スケアクロウの右腕を振りかぶらせ、思い切り殴りつける。


 その時、顔が浮かび上がった。


『ア、アアア、アア……』

「……え?」

 それは老人の顔だった。その老人と目を合わせたのはスケアクロウなのに、俺と老人が目を合わせたような気分になる。

「どうした、ショージン?」

 頭に情報が流れ込んで来る。

 老人が穏やかな笑みを浮かべた。


 sincerelizeシンシアライズ──『軽やかな喪失』フェザー・スナッチ


 空気が重く澱んだように纏わりつく。

「……オイ、『対傷』だぞ、これ。アレの過去知ってたのか、ショージン?」

「い、いや、知らない。目が合ったら急にこうなったんだ」

 ──高城正人の記憶に、この老人の過去は無い。

 先ほど頭に流れ込んだ情報も、ゴッソリと抜け落ちている。

「まあ、とりあえず。発動した時点で即死するような能力じゃなさそうでよかったぜ。たぶん自己強化かルールの強制ってところか?」

 生真が腕を捲って咒骸を発動しながら、老人の元へ慎重に近づく。

 特に何も起こらない。


「……着いちまったな」

「とことん拍子抜けだよ」

 結局、老人は生真に対して一切抵抗しなかった。自己強化の線は薄いだろう。

 余程複雑な条件が設定されていたのだろうか。


「なんかありそうな気がすんだけどなぁ。けど、殴らなきゃ終わらんしなぁ」

 生真がウンウンと唸る。確かに、ここまでくると逆に何かありそうな気もする。

「じゃあスケアクロウに殴らせるか。生真はちょっと距離取ってくれ」

 特にフィードバックがある訳でもないし、それが一番安全だろう。よくよく考えれば、ヒーラーの生真をあまり前に出すべきではないしな。

「そうか? じゃあ頼んだぜ。一応気をつけてな?」

「ああ、任しとけ」

 生真が近づいた時の動きを正確に真似て近づく。老人を目の前にしたところで、右腕を振りかぶった。

 敵に動きは一切ない。


「ブッ飛ばせ、スケアクロウ!」

 スケアクロウが、静から動へと一瞬で移り変わる。


 グシャリ。


 スケアクロウの腕が、横合いからね潰された。


 ◯


 俺に痛みは無い。ただ、心の内の何か大切なものが、抜け落ちていく感覚があった。思わず膝から崩れ落ちる。

 これが、咒素が抜けるということだろうか。貧血のように、意識がふらふらする。感情の表現がむずかしい。

「ショージンッ! 大丈夫か!?」

「おれは、だいじょうぶ。スケアクロウも、治ってる」

 とにかく、原因を探らなければ。何が起こったか、どんな能力か。

「おれ、どうなってた?」

「……見えないもんがスゲー速さでぶつかった感じだった、腕にだけな。自分の速さが跳ね返ってんのかもしれねぇ」

 それは、不味い、打つ手がなくなる。

 生真の炎は火の性質を保持しているが、生命体にだけは無害だ。

 スケアクロウで皮膚を剥がし殺すにしても、露出している皮膚が少ないし、黒いもやをあまり剥がしたくない。

 顔を何度も剥がして脳までたどり着けたら問題ないのだが、すでに一度剥がした箇所は剥がせない感じがする。台紙からステッカーを剥がしている感覚と言えばいいのか。


「どうする、にげてみるか?」

「オイオイ、公園の遊具の脇にこんなもん置いてく気か? オレらでけりつけるしかねーだろ」

 どうにもやる気らしい。いや、わかりきった質問だったな。

 俺たちでこいつを倒すにはどうすればいいか、それだけに頭を使おう。

「わかった。今俺たちが持ってる攻撃手段って、殴る以外だと窒息ぐらいか?」

「窒息か……。もともと顔出てなかったし、あんまし効くとは思えねーなぁ。スケアクロウで密閉して、オレが酸素消費しても──」

 そこまで言うと生真は黙り込んだ。

「何か思いついたのか?」

「──ああ。動けねぇなら動いてもらえばいい。そうすりゃ腕を構えてるだけで殴れる」

 それはそうだが、腕を構えるだけでは威力が出ない。かなりの速さで動いてもらう必要だってあるだろう。

「なあショージン。中学の時に行った大阪のテーマパークで、服乾かしに何回も入ったとこ、覚えてるか?」

 忘れるはずもない──ああ、そういうことか。

 確かに俺たちなら、俺たちだからこそ、あれを再現できる……!


 ◯


「こんなもんでどうだ」

「いんじゃねーの? 隙間も無さそうだな」

 スケアクロウで砂場の地面を剥がし、スプリング遊具を骨組みにした砂の窯が完成した。

 引き付けていたのが幸いして、距離も十分だ。

 あとは火をくべるだけで──

「よし、Tシャツ脱いでくれ、ショージン」

「はあ?」

 なぜここで俺を脱がせたがる。

「触わらねーで燃やし続けるには火種が必要なんだよ。木とか草は燃やせねーし、あとは服ぐらいだろ? 言っとくが、そのTシャツが一番安物だからな」

 緊急時だし、仕方がないのか。

 くそ、裸パーカーかよ、俺。

「ああわかったよ! 脱いでやるよ!」

 窯の中にTシャツを突っ込む。これで準備は整った。


 生真がTシャツに着火して暫く後、窯が高温になったところでスケアクロウに穴を塞がせ密閉し、そのまま生真が予測した位置に移動させる。

 上手く不完全燃焼していれば、この中には一酸化炭素が充満しているはずだ。


「俺が剥がす。後でちゃんと治してくれよ?」

 生真は自分の傷を治せない。蓋を剥がす役は俺が適任だろう。

「オウ、オトコ魅せてやれ、ショージン!」

「ぬぐあああああ!!」

 手がジュゥと音を立てる。しかし、ゆっくりと動かなければならない。お手てハンバーグになっても。

 気合いで剥がし終えたら、すぐに穴の反対側に回る。


 酸素を含んだ新鮮な空気が吸い込まれ、一酸化炭素が押し出される。

 そして、爆炎が巻き起こった──バックドラフトだ。


 爆炎自体にダメージはない。

 だが押し出された空気や爆風は別だ。

 敵の身体が後方へ吹き飛び──横合いからね飛ばされる……! 


 その先にはスケアクロウだ。

「いけッ! ショージン!」

 右腕は掲げるだけでいい。

「殴り剥がせ、スケアクロオオオオオ!!」


 クリーンヒット。その尊厳、命が、剥がれ落ちる。


 ソレは完全に黒いもやだけになり、霧散した。

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