母の名の刀霊

 時は大霊災より一年ほど遡る慶永五年。うららかな春のある日の出来事。

 櫻花神社の社務所の整理整頓をしていた亜樹は、引き出の奥に保管されていた小太刀を発見した。

 確認のために白木の鞘から抜いて刃を確かめると、錆も刃こぼれも無く極めて状態は良いものだった。

 触れた瞬間にこれが普通の刀ではなく、刀霊を宿したものとは分かったものの、軽率に契約を結ぶのは芳しくない。

 父の静虎に見せて確認をとるという手段もあったが、彼は花守ではなく刀霊に詳しいという訳でもなかった。

 封をされたような跡は無く境内で見つけたものであるから、安全なものとは予想がつくものの、まずは国に登録されている刀霊なのかを確認するため亜樹は桜路町区役所へと赴く事にした。


、お出かけですか?」

 

 出かける途中で義理の母の志摩に声を掛けられ、亜樹は立ち止まった。

 志摩は片足を引きずって歩き、亜樹の元へとやって来ると遠慮がちな微笑みを向けた。

 紬の着物に黒髪の美しい義母の志摩は、霊脈再編計画の一環として櫻花神社に嫁ぐ事となった元花守。

 夕京五家の一つ、囲家の分家にあたる石垣家の三女で、霊力も申し分ない御令嬢であった。

 十五歳の時、霊魔との戦いに於いて大きな疵を負い、片足の自由を失ってしまった事から花守を引退して現在に至る。

 志摩は幼い頃に母を亡くした亜樹を、実の娘以上に気遣って接してくれる非の打ち所の無い義母であった。

 だが、父である静虎が亜樹の母を亡くして直ぐに志摩を娶ったという経緯があるため、亡き母の咲夜の事を想うと素直に義母に好意を抱く事が出来なかった。


、こんにちは」


 やや他人行儀に頭を下げた亜樹は、刀袋に納めた小太刀を志摩に見せた。


「社務所で刀を見つけたので。区役所で調べて貰おうかと」

「それはそれは。良き刀霊が宿っている刀かもしれませんね。亜樹さん、少し触らせて頂いて良いですか?」

 

 志摩の丁寧な言葉に、息苦しさを感じながら亜樹は頷いて小太刀を手渡した。


「……どうぞ」


 小太刀に触れた志摩は静かに目を瞑ると、刀を子供みたいにあやすように優しく擦った。


「………力は感じますが、私は嫌われてしまったようですね。何も反応してくれません」


 少し刀に触れるだけで、それだけ刀霊の状態が解るのだから、石垣家の霊脈もまた優れたものなのだろうなと亜樹は感心した。

 これほどの人が過剰な気遣いをするのは、きっと花守では無くなった自分に負い目を感じているからなのだろう。

 彼女を見ていると、花守を引退して惨めな一生を背負う位なら、いっそ戦場いくさばで命を散らしたほうが愁いが無いと亜樹は思ってしまうのだった。


「調べて下さって、ありがとうございます。やはり区役所で調べて貰いますね」

「ごめんなさいね。お役に立てなくて……亜樹さん、気をつけて行ってきて下さい」

「はい」


 志摩から小太刀を受け取ると、亜樹は櫻花神社の境内を出て、区役所の道を進んだ。

 区役所までは歩いて二十分間程度で、普段から巡回で足腰を鍛えている亜樹には、余裕で到着する距離だった。


 桜路町区役所は、ここ最近に建て直したばかりの和洋折衷建築の建物で、魔除けも兼ねた屋根の朱色の瓦が美しい。

 そういう珍しい建物を眺めたりするのも亜樹は好きだったが、あまりゆっくりする用事でも無いので直ぐに建物へと入った。

 何度か来たことのある花守課の看板を目指して進むと、亜樹が見た事のある花守が役人と世間話をしていた。


「おや、桜瀬くん。こんな所で会うとは奇遇だね。今日はどうしたんだい?」


 洋服に白い護衛服というだいぶハイカラな服を着た短髪の男の名は神宮桜寿。

 由緒ある家系で、昔は皇族直属の護衛隊を任されていた事もあるという。

 父の静虎とは将棋友達で、ちょくちょく櫻花神社にも顔を出すため、亜樹とも顔見知りになっていた。


「神宮殿、こんにちは。実は境内で刀を見つけたので、区役所で調べて貰いに参りました」

「おお、それはめでたい。亜樹くんの櫻花神社は奉納刀の刀霊が一振りだけであったね」


 奉納刀とは亜樹と契約した〈彼岸桜〉の事だか、今日は元々非番だったので身に帯びては居ない。

 普段から〈彼岸桜〉を持ち歩く際に、刀袋に収めて抱えて持ち歩く亜樹は、刀を腰に差した事が無かった。

 黒鞘の太刀と小太刀を腰に帯刀する桜寿からすると、刀持ちの少女が歩き回っているように見えて何とも可愛らしく思えてしまう。


「戦場では刀を落としたり、折れたりする事も無いとは言えない……〈彼岸桜〉が折れたら大変な事だがね。その小太刀も、亜樹くんの良き相棒になってくれると良いね」


 頭を無意識に撫でてしまい、変な顔で見上げる亜樹にハッとしてその手を離した。


「や、すまんすまん!ついつい我が娘のように扱ってしまうのは悪い癖だ。気を悪くしたら申し訳ない」


 頭を下げる桜寿に、亜樹は首をふるふると横に振った。


「いえ、大丈夫です。娘のいる父とはそういうものなのですね。桜寿殿のお嬢様が羨ましいです」

「亜樹くん……静虎殿は、存分に君の事を気遣っているよ、ただ不器用なだけで」

 

 静虎と仲の良い桜寿の立場からすれば、そういう答えが返って来るのは当然だった。

 別に亜樹も、静虎に嫌われているとは思っては居ない。

 ただ、後に生まれてきた弟の名前にと付けた事は、亜樹がいつ花守のお役目で死んだとしても後腐れがないようにした事なので、静虎に愛されているとは到底思えなかった。

 

「……はい」


 上の空の返事に桜寿は困った顔をしたが、年頃の少女の複雑な気持ちを理解するのは難しいと宥めるのを諦めた。


「おっと、此方の役所の用事はもう済んだから、長居して悪かったね。亜樹くんの刀も早く調べて貰うといい」

「ありがとうございます。神宮殿、さようなら」


 桜寿を見送った後、亜樹は花守課の役人に小太刀の入った刀袋を手渡した。


「この刀の刀霊が登録されているのか調べて欲しいです。もし未登録でしたら、登録の手続きもしたいと思っています」


 老人の役人は刀袋から小太刀を取り出し、白鞘なのを確認すると頷いた。


「ふむ、白鞘か。刃紋と銘で分かるかもしれんの。ちょっと待っていなさい」


 亜樹にそう告げた役人は、奥に置いてある恐らく刀霊を登録したと思われる帳の所へ行くと、小太刀について色々と調べ始めた。

 亜樹は言われた通りに待ち合いの椅子に腰掛けて、役人が調べ終わるのをじっと待った。

 二時間ほど待つと、老人の役人が戻ってきて亜樹を手招きした。

 小太刀を先に亜樹に返し、刀霊名簿の帳を捲って見せる。


「この刀は十三年前に登録されておるのお。

 登録者は桜瀬静虎。銘も刻んであった。咲夜……さくや、さよ?まあどちらかじゃろう」


 その名を聞いて、亜樹は目を丸くした。


「あの、多分さよだと思います……母の名なので」

「ふむ。不思議な縁もあるものじゃのお。それでは契約の申請もしておくかね?契約出来たらの話ではあるが……」


 この小太刀が何故櫻花神社にあって、今まで隠されていたのか。

 そして、この刀の存在を静虎が知っているのか。

 分からないか事が多すぎる。

 何かを確かめたくて刀袋に入った〈咲夜〉を取り出し、白鞘に触れると亜樹の手のひらにふわりと桜の花弁が舞った。


「ほう……もう契約は成立しておるようじゃの」


 老人の役人は眉を下げてニヤリと笑った。


「それなら後は手続きだけじゃ。ほら、これに必要事項を書いて、その小太刀は持って帰るとええ」

「ええ……そんな手順でいいんですか?〈彼岸桜〉の時はもっと手続きが大変だったのに」

「なぁに、後はわしに任せておけ」


 戦場の花守のようなカッコイイ台詞をこんな所で聞くとは思わず、亜樹は引きつった笑いでお辞儀をした。


 櫻花神社に帰った亜樹は、父の静虎に小太刀の事を聞くために本殿へと向かった。


「お父様、話したい事があります」


 小太刀を前に置き、父を然と見つめた。


「この刀霊〈咲夜〉の事をご存知なら、教えてください」

 

 静虎は小太刀を見ると深くため息をつき、重々しく口を開いた。


「それは亜樹、お前の為にある刀霊だ。見つけたのならば機が熟したという事だろう。その縁に感謝し、花守として精進せよ」

「いえ、お父様。私が聞きたいことはそういう事ではありません!何故この刀の名は母と同じ咲夜なのですか!そして、何故母の命日の翌日にこの刀を登録なされたのです!」


 今にも飛びかからんとする衝動を抑え、亜樹は父、静虎の言葉を唇を噛み締めてじっと待つ。


「お前が知る必要も無い事。その刀は亜樹、お前の為にある。二度言わせるな……そして」


 静虎は深く重いため息を吐くと、目を伏せた。


「〈咲夜〉を早く下げてくれ……頼む」

「……!」


 眉間に手を当てて弱々しく頼む父に、亜樹は掛ける言葉も見つからず黙って小太刀を持って本殿を後にするしかなかった。


「あの日に何があったのですか、お母様……」


 部屋に戻った亜樹は、小太刀の〈咲夜〉を抱きしめて、ただ静かに泣いた。

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