慶永浪漫夢桜路 ~禱れや謡え花守よ・逸聞~

べるえる

櫻花の刀霊

 彼岸桜ひがんざくらはご機嫌斜めである。

 主の花守、桜瀬亜樹おうせあきが最近構ってくれないからだ。

 彼女と彼岸桜の固い絆を揺るがす原因は、一人の女性にあった。

 霧原家に代々伝わる刀霊<霧渡り>の所有者である花守、霧原灯花きりはらとうか

 初めての出会いは、桜路町おうじちょう区で霊魔の行列に遭遇した霧原灯花に、たまたま居合わせた亜樹が救援に駆け付けた事から始める。

 同い年の花守という事もあり、二人は瞬く間に打ち解けると花霞邸かすみていや八ツ野喫茶で一緒に食事をしたり、歌劇や無音映画を鑑賞する仲となった。

 花守と刀霊が五年の間に培ってきた関係を、あっという間に追い越していく灯花と亜樹の交友関係に焦燥感すら覚える彼岸桜。

 『霧原灯火は恐ろしい娘じゃ……亜樹が腑抜けになってしまう』

 彼岸桜の鞘は、桜瀬亜樹が彼女に近づくたびにカタカタと震えて威嚇するのだった。


 櫻花おうか神社は桜路町区に古くからある社の一つ。

 境内には樹齢八百年と伝えられる彼岸桜が御神木となっている。

 櫻花神社の神職に就く桜瀬家は多くの花守を輩出し、皇室の御膝元を防人として支えてきた。

 その櫻花神社に奉納された刀霊こそは<彼岸桜>

 刃渡り二尺五寸の打刀で、現在の奉納刀は七代目に当たる。

 鞘は朱塗りで、こじりつばには煌びやかな金があしらわれた絢爛けんらんな奉納刀であるが、実戦的な打刀でもあり技術顕示ぎじゅつけんじを目的とした大型の奉納刀とは一線を画していた。

 刀霊としての姿は、朱殷しゅあんの着物を纏った黒髪の女性で、元々の着物の色は純白であったが、傷ついた桜瀬家の花守を抱擁し続けた事で血の色に染まったと櫻花神社では伝えられている。

 刀霊<彼岸桜>は御神木から分霊された神輿のようなもので、厄を除け穢れを祓う事に長けた祭儀であった。

 肉体との結びつきが弱い霊魔であれば近寄る事すら許さず、撫でるだけで祓うに至る神気はであれば、刀身が仄かに光るのを目の当たりにする事だろう。

 低俗な霊を寄せ付けない御利益は、転じて<彼岸桜>を帯刀して遭遇するような霊魔は個体として強力であるという因果を背負い、桜瀬家の花守は若くして不運にも命を散らす傾向にあった。

 肉体への執着の強い強力な霊魔は撫でる程度で祓える筈もなく、直接神気を叩き込むために斬り伏せる事になるが、刀身が霊魔の血で穢れると<彼岸桜>の神気がいちじるしくしぼむ事もこの刀霊の扱いの難しさに拍車をかけた。

 

 櫻花神社の長女、桜瀬亜樹が刀霊の<彼岸桜>と契約したのは慶永元年。

 今上天皇即位の翌日に花守となった亜樹は、まだ十二歳という幼さではあったが

 霊力の高さからか刀霊<彼岸桜>との相性は良く、桜路町区の防人としての役割を十分に果たしていた。

 櫻花神社には剣術の道場は無いため、夕京五家の一つである囲家の道場に通っていた桜瀬は同世代の中でも筋の良い方で、当主の囲麗華にその腕を褒められた事もある。

 星の数と言えば大袈裟にはなるが、数多にある神社に必ず霊力を持った花守がいる筈はなく大抵は形式だけの巫子が多い中、桜瀬家は霊脈を絶やすことなく花守を輩出する稀有な神社の一つだった。

 櫻花神社は信仰の深い地域の氏子の結びつきも強く、霊魔の噂が立てば自然に桜瀬家に詳細な情報も伝えられる連絡網も備えていたため、幼い亜樹でも十分に対策を講じて霊魔祓いに挑むことができた。

 

 一見すれば順風満帆じゅんぷうまんぱんな人生が約束されているような亜樹ではあったが、花守として一つだけ致命的な欠陥を持っていた。 

 それは心根の優しさであり、平穏な世の中であれば長所にも成りうるものだが戦争真っ只中の日ノ国に於いてはその限りではなく、秋の彼岸に戦没者の魂が霊魔と化して夕京を彷徨う有様は亡者の怨嗟に満ちていた。

 亜樹自身も物心ついた頃から花守としての教育を親から受け、当たり前のようにそれを受け容れて育ってきたものの、国の為に戦い散って行った魂が霊魔に堕ちて人を襲う姿を見ると、護国への覚悟が鈍りこころにもきずを残す事となった。

 本来であれば、巫女として彷徨う霊を清め祓うが矜持であった亜樹も、日ノ国に対して強力な怨恨を持つ霊魔の魂を斬り伏せる事は、花守としては為さねばならぬ事と頭では理解していた。

 それでも同じ志を持つものと袂を分かち、祓うものとして戦没者の霊魔と対峙せねばならない現実に、心を悼めずにはいられなかった。

 刀霊<彼岸桜>そんな彼女のこころきずを少しでも癒そうと、ある時は慰めの言葉をかけ、ある時はただ静かにその背中を抱きしめた。

 亜樹自身も現実を見て見ぬふりをするすべを少しづつ身に着け、刀霊<彼岸桜>の抱擁を支えに花守として桜路町区を守り続けた。

 それでも、歳月を経て蓄積するこころきずは亜樹の思考を歪めさせ、何時しか死地を求めて彷徨う生ける屍のように、霊魔に挑み身体も傷つける事を厭わぬ戦いを繰り返すようになっていった。

 

 慶永六年九月に起こった霊境崩壊、いわゆる大霊災は夕京にとって悲劇であったものの、亜樹にとっては花守として死ぬことの出来る好機ですらあった。

 次々と湧いてくる霊魔達の群れから、桜路町区を守るべく花守の中に亜樹も当然駆り出され、望むも望まぬも死線を潜る戦いを強いられた。

 崩壊した霊境から出ずる霊魔は<彼岸桜>の神気と言えど撫でるだけでは祓うことができず、斬り伏せる度に刀はその光を鈍らせ亜樹の望む窮地へと追い込んだ。

 <彼岸桜>の神気も窄み、振るう刀で霊魔の身体に傷の一つも負わす事ができなくなると、いよいよ最後かと依花陛下から賜ったを頂戴するため、亜樹が懐からそれを取り出した時。 

 霊境の堕ちた迫間から見事、退路を切り開き生還した百鬼なきりの一門、百鬼椿なきりつばきが瞬く間に霊魔を狩り尽して戦局は覆り、他の花守達もそれに乗じて勢いを盛り返した事により一命を免れた。

 その後も何度か窮地に追い込まれそうな事はあれど、有象無象の霊魔達は亜樹の知るような人の成れの果てではなく、面倒な葛藤をせずに祓う事に専念ができた。

 結果、死に場所を求めて彷徨う亜樹は、大きな切っ掛けを逸したまま霊魔との戦いに明け暮くれる事となった。

 そんな戦いの続く日々の中で彼女と出会った少女が、親族を深山の霊境崩壊で喪った霧原家の忘れ形見、霧原灯花その人である。

 刀霊<彼岸桜>も桜瀬亜樹も、この一人の少女の接触が後に花守と刀霊の関係にまで大きな変革をもたらす事になるとは、当時は知る由も無かったのだった。 

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