第145話 臨界点
レイが闘技場に戻ると、ちょうど副将であるニックの試合が終わるところであった。その姿に気がついたエステルがレイの下に走ってくる。
「ちょっとレイ! 今までどこ行ってたのよ!?」
「……ごめん。少しばかり込み入った話をしていてね」
レイの口調は普段と変わらない。なのに、なぜかエステルは顔を引き攣らせ身震いをした。
「……何かあったの?」
「何もないよ」
「そ、そう……? なんだか怒ってるみたいだから」
恐る恐るといった感じでエステルは言った。怒る? 自分が? あんなものはただの兄妹喧嘩ではないか。何を怒る必要があるというのだろうか。
「……そうか」
レイはそこで初めて気がついた。いつの間にやら頼りになるBランク冒険者が、第零騎士団のメンバーと同じくらい近しい存在になっていた事に。
「試合はどうなってるの?」
「え? あ、あぁ……なんとかあたしが勝って、ニックも今勝ってくれたからこれで二勝二敗。勝敗は大将戦に委ねられたわ」
「そう」
興味なさげに答えると、レイは自分のベンチに置いてある対抗戦用の剣を手に取り、リングへと進む。途中ですれ違ったボロボロのニックが声をかけてきたが、まるで眼中にない様子だった。
「レイはどうしちまったんだ?」
「……さぁ。あたしにもわからないわ」
いつもとはまるで違うレイに首を傾げるニックに、エステルが不安な様子で答える。気安く話しかけられる雰囲気ではない彼の後ろ姿から底知れぬ力を感じた。
「クイーン組対キング組、大将戦。クイーン組、レイ。キング組、グレイアム・シャロン。前へ!」
これまでの対抗戦で一番の声援が送られる。最高学年の最終戦、それも最終試合まで結果が持ち込まれるこの状況は、観客を沸かすには十分であった。だが、レイの耳には何も届かない。彼は今、体の内に湧き上がる激情と戦っていた。
「三日間続いたクラス対抗戦の最終戦だ。お互い、悔いの残らないように全力を尽くして欲しい」
そう言いながら審判の教師がレイとグレイアムを交互に見る。一方は余裕を含んだ笑みで、もう一方は一切の感情を遮断した表情で頷いた。
「それではクイーン組とキング組の大将戦……始めっ!!」
審判の合図とともに、二人が同時に動き出した。リングの中央で剣と剣がぶつかり火花を散らす。
「……じゃあ、さっきの続きといこうか」
剣を打ち合いながらグレイアムが涼しい顔で言った。対するレイは無表情のままグレイアムの剣に合わせている。
「レイ、僕はね? 君に期待しているんだよ」
グレイアムの攻撃は明らかに手の抜かれたものだった。そんな事は当然お見通しであるレイだが、そのお遊びに付き合わざるを得ない。
「あんなにも気難しい愚妹を籠絡したその手腕、評価に値する。貴族か平民かなんて関係ないさ」
まるで稽古のような打ち合いをしながらグレイアムは言った。これは彼の本心だった。身分差など関係なく能力のあるものは評価されるべきである。それが彼の持論だった。もちろん、男に限る話ではあるが。
「シャロン家の恥部とも言えるあの話を君にした理由がわかるかい? 他の人にはした事がないんだよ?」
「……まるで見当がつかないね」
「君があの女に騙されているからだ」
少しずつ剣速が上がっていく。だが、互いに倒すつもりがないため、それ以上のことは何も起こらない。
「いいかい? これは警告だ。君はあの女に近づくべきじゃない」
「それは家宝の剣を盗むような女性だから?」
「いいや、そうじゃないよ」
レイの上段斬りを華麗に弾きながらグレイアムがニヤリと笑みを浮かべた。
「盗んだ事実なんてどうでもいいのさ。重要なのはあの女があっさりと切り捨てられたことだ」
「……どういう意味?」
「これはここだけの話にして欲しいんだけどね。貴族の重鎮達の集まるパーティーでフラガラッハを盗んだのは……僕さっ!」
ガキンッ!!
一際大きな鉄のぶつかる音が闘技場内に響き渡った。
「ちょっと試したい事があってね。あれは……七、八年前だったかな? シャロン家の象徴ともいえるフラガラッハを名高い貴族達が集まるパーティーの日に盗み、妹の部屋に隠したのさ」
「…………」
「子供ながらにどうなるか興味があったんだけど、結果はさっきも話した通り、父上は自分の娘をあっけなく見放したんだ」
剣を振るいながら、レイは必死に理性を保とうとする。相手は貴族の上に立つ御三家。感情のままに動けば厄介な事になるのは明白だった。だからこそ、この煮えたぎるマグマを無理やり押さえつけなければならない。
「とはいえ、今思えばその犯行は子供の悪戯に他ならず、杜撰なものだったよ。念入りに調べなくても、誰がやったのかなどすぐにわかっただろうね。にも関わらず、父上は妹を追放したんだ……その意味がわかるかい?」
これ以上はまずい、と判断したレイがグレイアムから距離を取る。自分の感情を鎮めなければ、取り返しのつかない事になってしまう。
だが、グレイアムはそんなレイに気づいた様子もなく、悦に浸った笑みを浮かべた。
「父上は待っていたんだ、あのゴミを処分する機会をね」
ピタッ。
新鮮な空気を取り込み、冷静さを取り戻そうとしていたレイの動きが止まった。
「代々男児しか生まれなかったシャロン家に現れた異物。消し去りたいという父上の気持ちもよくわかる」
「…………」
「とはいえ、何の理由もなく切り捨てるというのは流石に外聞がよくない。そこに僕の可愛らしい
グレイアムが狂気に満ちた笑い声をあげる。対するレイは地面に視線を落としたまままるで時間が止まってしまったかのように動かない。だが、その体が纏う空気は普段とは別物だった。
「分かるだろう、レイ?」
そんなレイの異変にまるで気づかないグレイアムがニヤリと笑いかける。
「君にあんなクズは似合わない──あれは生まれた時から実の親にすら見捨てられた、哀れで愚かな生きる価値のない女だってことだ」
その瞬間、臨界点を超えた。
カランッと、剣がリングに落ちる音と同時にレイの姿が消える。
「そんな相手を……へ?」
今の今まで面と向かって話していた相手が突如として消失し、グレイアムが間の抜けた声を上げた。その顔面に拳が突き刺さる。
グレイアムは顔に走る衝撃が何によるものなのかまるで理解できていなかった。そんな事はお構いなしに、無表情のままレイがその拳を振り抜くと、グレイアムは射られた矢のような速さで吹き飛んでいき、観客席の壁に突き刺さった。そのままピクリとも動かなくなる。
「…………」
闘技場内が一瞬にして静まり返った。審判の教師を含め、この会場にいる誰もが何が起こったのか理解が追いつかない。
相手は御三家の跡取。この学院にくるまでも英才教育を受けた者。それだけじゃない、これまでの対抗戦を見ても一介の貴族とは戦闘力が違う事は明らかだった。
そんな相手を、名前もよくわからない平民が一撃で仕留めた。
困惑による沈黙の中、この状況を作り出した張本人は何も言わずにリングを降りていく。控えのベンチにいるクラスメート達も完全に思考が停止してしまい、声をかける事ができない。その静寂を無視して、レイはゲートをくぐり、控室へと続く通路へと入っていった。
「……随分とらしくない派手な立ち回りをしたものね」
そんなレイに話しかけたのは、試合を観戦しつつ、彼が来るのをそこで待っていたグレイスだった。一瞬、歩みを止めたレイだったが、通路の先で立っている彼女を一瞥した後、何も言わずに歩を進める。
「ありがとう、って言うべきなのかしら? 妹をいじめる悪い兄をとっちめてくれたから」
「……さっきまでは死にそうな顔をしていたくせに、随分と立ち直りが早いんだね」
「えぇ。あなたのおかげよ」
にっこりと微笑むグレイスの横を、レイは遠慮なく通り抜けた。色んな意味で最悪な気分だ。この場にいることすら体が拒絶する。
レイは歩きながら小さくため息をついた。
「悪いけど、今は君と会話する気分じゃ」
「不思議に思っていたのよ。どうしてあなたが彼女に……ソフィア・ビスマルクに優しくするのかを」
レイのピタリと足が止まる。グレイスはその背中に目を向けながら、話を続けた。
「あなたの職業上、御三家と仲良くすれば何かと便利だからだと勝手に思っていたのだけれど、そういうわけではなかったのね」
「…………」
「放っておけなかったんでしょ? 彼女が傲慢で貴族らしい貴族になることを、あなたは捨て置く事ができなかった……第零騎士団としての使命ではなく、あなた個人の感情としてね」
瞳孔を完全に開かせながらゆっくりと振り返るレイに、グレイスが柔和な笑みを向ける。
今日から僕と君は友達さ! 僕の名前は――。
「そうでしょ、レイ? いえ――レイヴン・ビスマルクさん?」
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