第144話 荒野に咲く雪の華

 予想外の人物の登場に、レイは顔には出さずに警戒を高める。


「やぁ。食堂で勉強会をしている時に話して以来だね。確か……レイ、だったかな?」

「名前を憶えていていただけてるなんて光栄ですね。あぁ、敬語は使わない方がいいんでしたっけ?」

「そうだね。堅苦しいのは嫌いさ。……レイがここにいるって事は僕のお相手は君になるのかな?」

「グレイアムが大将って事ならばそうなるね」

「なるほど、それは楽しみだ」


 グレイアムが屈託のない笑みをレイに向けた。レイも人当たりのいい笑顔で返す。


「それで? どうしてグレイアムがクイーン組こちら側の通路にいるのかな?」

「あぁ、いや。もしかしたらグレイスが誰かに責められているんじゃないかと思ってね。様子を見に来たら案の定……ね?」

「へぇ……」


 自分が原因だ、と言わんばかりの口ぶりに、レイの眉がほんの僅かに動いた。


「……責めてるつもりなんてなかったんだけどね。どうにも彼女らしくない行動だったから、何か理由でもあるんじゃないかって聞いてただけさ。でも、中々に強情でね。全然答えてくれないんだ。もしかしてグレイアムには心当たりがあったりするのかな?」

「そうなんだ。だからこそ、ここにいるんだよ」


 グレイアムが少し申し訳なさそうな顔をしながらあっさりと頷く。


「グレイスが対抗戦に出るって聞いて驚いてね。ほら、君はそういう学校行事には積極的に参加しない性質たちでしょ?」

「…………」


 グレイアムが話しかけるも、グレイスは顔を背けたまま何も答えなかった。だが、グレイアムは特に気にした様子もなく話を続ける。


「だから、是非とも一声かけたくてさ。でも、なぜか僕は彼女に避けられてしまっているんだ。対抗戦の一日目が終わった時にようやく捕まえることができたんだよ。……そこで僕はこう言ったのさ」


 グレイアムが一瞬だけ醜悪な笑みを浮かべた。


「またシャロン家の顔に泥を塗るような真似をしたら許さない、ってね」


 そう言うと、グレイアムはすぐにまた爽やかな笑顔に戻る。今の話を聞いたレイはいまいち要領を掴めずにいた。


「……ごめん。色々と気になることがあるんだけど、シャロン家の顔に泥を塗るっていうのはどういう意味?」

「なーに、大した意味はないさ。ただ、御三家の一員である僕は常にトップにいなければならないんだ。こんなただの踏み台でしかない学校においてもね。それが万が一にも暴力しか取り柄のないような奴にかき乱されると困るんだ」


 何も言わずに虚空を見つめるグレイスを見ながらグレイアムが告げる。至極単純な話だ。御三家の長男として最高のステータスである名門セントガルゴ学院のキング組の地位を維持しなければならない。だから、余計な邪魔をするな、という事だ。


「……やはり平民の僕にはよくわからない話だね」

「平民だなんて自分を卑下する必要はないよ。君は生まれながらにして素晴らしい才能を持っているんだ。……でもまぁ、確かに今の話を理解するには補足が必要かもしれない」


 グレイアムの言葉にレイが引っ掛かりを覚える。だが、特に気にすることもなく少しだけ悩む素振りを見せたグレイアムが、何かを閃いたようにポンッと手鎚を打った。


「そうだ! 一つ物語を聞かせてあげよう! 哀れな少女のお話さ!」

「……それを聞けば今の話が理解できるなら是非ともお聞かせ願いたいね」

「ははっ。これを聞けばきっと君も納得すると思うよ」


 無表情なレイとは正反対にグレイアムが愉快げに笑う。グレイスはそちらに顔を向けずに、グッと下唇を噛み締めた。それを見て益々グレイアムの笑みが深まる。


「むかーしむかし……というほど昔じゃないかな? ある貴族の家に双子の赤ちゃんが産まれました」


 まるで幼児に絵本を読むかのようにグレイアムが話し始めた。


「貴族の家に産まれてのは男と女。その時点で双子には天と地との差があるにもかかわらず、良識ある当主は、二人に沢山の愛情を注いで育てました」

「ごめん。話の腰を折るようで申し訳ないんだけど、その産まれた時点で天と地との差があるっていうのは具体的にはどういう事?」

「……レイはおかしな事を言うね。一人が男で一人が女。それだけで差があるのは歴然でしょ?」


 至極つまらなさそうに、それでいて当然とばかりにグレイアムが告げる。その返答でレイは彼の本質を理解した。男尊女卑。グレイアムの中でそれは喉が渇いたら水を飲むのと同じくらい常識になっている。だから先程、自分に対して生まれながらにして素晴らしい才能を持っている、と言ったのだ。男として生まれたという理由で。


「話を続けてもいい?」

「あぁ、うん。お願い」

「しかし、その双子の女の子はとても強欲で狡猾でした。大事に育てられているという自覚もなく、まさに恩を仇で返したのです」


 気を取り直して話を再開したグレイアムが少しだけ声のトーンを暗いものにする。


「なんと、彼女はその貴族が家宝としている剣を盗んだのです。あろう事か他の貴族を招いて盛大に執り行われた舞踏会の最中に」


 そこでグレイアムが盛大にため息を吐いた。


「舞踏会の席で中央に飾られる宝剣がなくなり、顔にたっぷりと泥を塗られた当主はカンカン。すぐに犯人探しが始まりました。そして、その宝剣が女の子の部屋から見つかった時、当主は彼女を家から追放したのでした」


 演技じみた仕草でグレイアムが首を左右に振る。


「……はい、これでおしまい! 恵まれた家に生まれたくせに、自らの手で全てを台無しにした哀れでどうしようもない少女のお話だよ!」


 楽しそうにニコニコと笑うグレイアム。終始表情を変えなかったレイ。そして、グレイアムが話している間決してこちらを見ようとはしないグレイス。三者の間に沈黙が流れる。


「……それは事実を基にした話って事でいいのかな?」

「おぉ! そうだとも! 流石はレイ! 鋭いね!」


 レイの言葉にグレイアムが嬉しそうに何度も頷いた。


「何を隠そう、このとある貴族というのが僕達シャロン家の事なのさ。宝剣のというのはシャロン家が代々引き継いできた魔道具で、その名もフラガラッハ。とても美しい名刀だよ」


 当然、その名前には聞き覚えがある。だが、驚きは一切ない。グレイアムが話を始めた段階でレイは八割方理解をしていた。


「そして、この物語の主人公であり哀れな少女の名前はグレイシア・シャロン。僕の双子の愚妹少女で……またの名を'氷の女王アイスクイーン'グレイス」


 少しだけ口角を上げ、奥にいる少女に視線を送るグレイアム。当の本人は微動だにせず、一心に廊下の壁を見つめ続けていた。


「……家から追い出された時に、手向けとして渡されたあの剣も、流石に対抗戦には持ち込まなかったんだね。いつも後生大事に腰に差していたというのに」

「…………」

「それが唯一のシャロン家とのつながりだから、肌身離さず持っているんだろう? 相変わらずクールぶっているくせに女々しい所があるんだね」

「…………」

「父上もさぞや嘆かれる事だろう」


 ビクッ。

 それまで頑なに無反応を貫いていたグレイスが体を震わせる。


「持て囃されていい気になっているお前を見たらね。それはフラガラッハが優秀なだけだというのに。それを勘違いして冒険者になって……兄としてとても恥ずかしいよ」

「……別に冒険者は恥ずかしい職業ではないわ」

「冒険者が恥ずかしいわけじゃない。女の分際で冒険者になっている事が、だ」


 囁くような声で言ったグレイスに、グレイアムが冷たく言い放つ。その口調があまりにも父親そっくりで、グレイスの心の奥底に押し込められていた恐怖が一瞬にして噴き出した。


「適材適所、という言葉があるだろう? 男に力で遥かに劣る女は給仕やら仕立て屋やらを黙ってやっていればいいんだよ」

「……私はレベルⅤの魔法師よ。男の冒険者にだって引けを取らないわ」

「本当に神は大きな過ちを犯してしまったね。誉れ高いレベルⅤの才能ギフトを、僕ではなくてお前に授けてしまったのだから。フラガラッハにしてもそうだよ。盗人風情には勿体ない代物だというのに……父上も酔狂な事をなさったものだ。まぁ、それが父親の愛というものなんだろう。とはいえ、愛を感じる事が出来ずに、あろう事か裏切ったお前には一生分からない事だろうね」


 容赦なく襲い掛かる言葉の刃に、グレイスはただただ俯く事しか出来なかった。言葉が出てこない。レイとの会話ではあんなにもすんなり言葉が踊っているというのに、双子の兄を前にすると、喉に蓋がされたようだった。本当は声高に叫びたかった。


 自分は剣など盗んでいない。

 女だから劣るなんてことはない。

 あの父親から愛情なんて感じた事はない。


 だが、どれもこれも声として飛び出す前に、自分の中で霧散していく。


「正直、お前と双子だってだけで虫唾が走る思いだよ。シャロン家から除名されたから書面上赤の他人になることは出来たが、共に生まれた事実だけはどう足掻いても変えることは出来ない」


 グレイアムがこれ見よがしにため息をついた。そして、ゴミを見るような視線をグレイスに向ける。


「……本当、お前みたいな女は生まれてこなければよかったんだ」

「っ!?」


 心臓にナイフを突き立てられたようだった。震えそうになる体を必死に抑える。

 生まれてこなければよかった。これまで何度そう思ったことか。シャロン家で虐げられた時も、子供一人生きる術もなく路頭に迷った時も、恐ろしい魔物と対峙し、重傷を負った時も自問していた。

 それでも耐えられたのは、誰かにそう言われたわけではなかったからだ。ただの被害妄想だ、そうやって自分を叱咤する事でなんとかここまでやってこれた。生きていく事ができた。

 だから、知らなかった。他人に、それも身内にここまではっきり告げられると、こんなにも心が抉られるものなのか。と。こんなにも生きる気力を失うものなのか、と。

 ……そろそろ潮時なのかもしれない。今日までなんの目的もなく、のうのうと生きてきた。素敵な友人達ができたというのに、シャロンの名に抗えず裏切ってしまった。そんな彼らも卒業したら離れ離れになるだろう。そうなれば、自分は生きるために一人で魔物を狩り続けるのだ。生きる理由が見当たらないというのに。それならばいっそのこと潔く終わらせた方がいい。自分は世界に必要とされなかった、それだけの事。


 ――だって、私の存在を肯定してくれたあの人は、もうこの世にはいないのだから。


「……一つだけ言わせてもらう」


 それまで二人の会話を黙って聞いていたレイが静かに口を開いた。そんな彼にグレイスとグレイアムが視線を向ける。それを意に介さずに、ゆっくりと息を吐き出すと、レイは真っ直ぐにグレイアムの目を見つめた。


「この世に生まれてこなければよかった人なんていない。……これは僕のが教えてくれた事だ」

「…………え?」


 脳を介さずにグレイスの口から声が漏れた。頭の中が真っ白になる。その言葉は小さい頃、見知らぬ街で迷子になった時に……。


「……それはこの女にも生きている価値があるって言いたいの?」

「少なくとも僕にとっては必要な人である事には違いない」

「あぁ、レイ。君って男は……」


 グレイアムが呆れたように笑いながら、やれやれと首を左右に振る。ちょうどその時、闘技場の方から一際大きな歓声が聞こえてきた。


「色々と言いたいことはあるけど、そろそろ時間のようだ。話の続きはリングの上でする事にしよう」


 そう言うと、グレイアムはレイ達に背を向け、スタスタと歩いていった。その後ろ姿を少しの間眺めていたレイも、エステル達がいる闘技場のベンチへと戻っていく。グレイスだけは根が張ってしまったかのように、その場から動く事ができずにいた。


「レイ……あなた、まさか……!!」


 呆然と立ち尽くすグレイス。彼女の呟きが、レイの耳に届くことはなかった。

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