第127話 シャロン家の男

 教科書から声をかけてきた男子生徒へと視線を向ける。……なるほど。これは厄介な相手が話しかけてきたようだね。

 僕以外の反応はまちまちだった。興味深げな表情を浮かべるジェラールに困ったように笑うクロエ。注意深く相手を観察するファラに、話しかけられた事にすら気付いていない集中組のファルにニック。そして、これでもかと言わんばかりに目を見開いているエステル。


「クイーン組のみんなで仲良く勉強会かい?」


 多種多様な反応を見ながら男子生徒は柔和な笑みを浮かべた。快晴の空のような青い髪に女性を虜にする顔立ちも相まって、とても絵になる感じだ。


「グ、グレイアム様……!!」

「そんな、様なんてつける必要はないよ。僕も君も一学生、立場は同じでしょ?」


 反射的に立ち上がったエステルを見て男子生徒は苦笑いを浮かべる。上級貴族であるノルトハイム家のご息女がこんな態度をとる相手は限られている。グレイアム・シャロン。王家と同等の権力を有する御三家であるシャロン家の息子。生徒会長であるイザベル・ブロワやこの国の王女であるクロエ・アルトロワと並んで、この学院のトップカーストに位置している。ちなみに、昼休みにこの食堂でたくさんの貴族を侍らせているのもこの男だ。なんにせよ目立ちたくない僕としてはあまり関わり合いになりたくない類の生徒だね。……もう十分目立っているという意見は置いといて。


「そこにいる王女様と同じように接して欲しいな。クロエ王女であれば、学校に貴族の地位を持ち込むような無粋な真似は致しませんよね?」

「はい。ここではみんなが対等だと思っています」

「というわけだから、エステルさん。そんな硬くならないで?」

「は、はぁ……。ありがとうござ……ありがとね」

「うん、それでいいよ」


 貴族のトップに君臨するとは思えないほどの好青年。素でこれをやっているのか仮面を被っているのか今の段階じゃ判断できないけど、いずれにせよ僕とは合わなそうだ。


「あぁ、ジェラール! この前君のお店に行ったけど、あそこは素晴らしいね! 何でも揃う魔法のお店だ!」

「学生みんなのスターであるグレイアム氏にそう言っていただけるとは、光栄の限りであります。まぁ、まだ私のお店ではないのですがね」

「君の場合は硬くなってへりくだっているわけじゃなさそうだね。それが上手い商売をやる秘訣かな?」

「お得意様になられそうな方には懇切丁寧に、これが商人のモットーです」

「……なるほど。噂通りやり手みたいだね」


 グレイアムがニヤリと笑う。その顔に蔑みの色はない。商人上がりの貴族であるジェラールを軽蔑しない貴族は割と珍しい。これが演技なら大した役者だ。


「そして君達は……下の学年の子かな? 僕達の学年にこんな可愛い子達がいたら記憶しているだろうし」

「可愛いだなんてそんな……私はファラでこっちはファルと申します。優しい先輩方が第一学年の私達に勉強を教えてくださるという事なので、そのご厚意に甘えているところです」


 ニコッと人受けの良さそうな笑みを向けるファラ。だご、眼鏡の奥の瞳は決して油断していない。相手が御三家の一角で得体の知れないともなれば当然の反応だ。


「ファラとファル……その名前には聞き覚えがある。確か大人顔負けに強い一年生の双子がその名前だったね」

「噂は大袈裟になるものです。確かに一年生の中では動ける方だとは思いますが、この学院におられる諸先輩に比べれば私達なんてまだまだです」

「なるほど。その謙虚さも強者の現れかな?」


 スラスラと答えるファラにグレイアムは納得したように頷いた。ファラ達って噂になってたのか。そりゃなるか。僕と違って結構好き勝手やってるみたいだもんね。特にファルは。


「そして、君は……」


 グレイアムの視線が僕の方に向く。それまで終始笑みを浮かべていた彼だったが、少し困惑しているようだ。多分、心当たりが全くないんだろう。王女様に上級貴族、大商人の息子に噂が絶えない双子。そんな中に僕のような一般人が混じっているんだから。


「初めまして。レイっていいます。ここにいるすごい人達と違って、僕は単なる平民です」

「レイ? 君がそうなのか?」

「へ?」


 予想外の言葉に思わず素の態度が出てしまった。ちょっと待って、僕の事を知っているというのか?


「どんな男なのかと気になってはいたんだけど……顔は悪くないが、意外と普通なんだね」

「えっと……すいません。全然話が見えないんですが?」


 御三家の息子が僕のことを気にしていた?悪い冗談がか何かか? 確かにビスマルク家のお嬢さんには自分でも反省するほどに関わった自負はあるけど、シャロン家には絶対に関わってないと言い切れる。


「あぁ、当の本人は知らないだろうね。君もそこにいる双子の子と同じように噂になってるって事だよ」

「僕が……噂に……?」


 この学院に通ってからここまでショックを受けた事があっただろうか。バート・クレイマンの一件でグレイスから正体を疑われた時ですらここまでの衝撃はなかった。王女の護衛という極秘の任務を抱えてこの学院にある意味潜入している身として、これは非常にいただけない。僕には噂の内容を確かめる義務がある。


「……それはどういう噂なんですか?」

「あぁ、君も敬語を使う必要ないよ。だって、僕と同じ学年でしょ? 堅苦しいのは嫌いなのさ」

「……どういう噂か聞いてもいいかな?」


 僕は恐る恐るグレイアムに聞いてみた。これは断じて縁起ではない。内心本気で恐ろしがっている。


「そんなに身構えるものじゃないよ。……男を寄せ付けない'氷の女王アイスクイーン'のハートを射止めたのが平民の男子生徒だ、っていうものさ」

「ほえ?」


 やばい。なんか今日は予想外のことが多すぎて変な声が出てしまう。


「……その噂は私も聞いたことがありますが、間違いだと思いますよ?」


 どうにも思考回路が働かない僕の代わりにファラが硬質な声で答えてくれた。っていうか、ファラも聞いた事あったんだ。教えてくれればよかったのに。


「そうなの?」

「はい。単なる噂です」

「でも、火の無い所に煙は立たないでしょ? ……まぁ、本人に聞いてみるのが一番だよね」


 そう言いながらグレイアムがチラリと視線を横に向けた。彼が話しかけてきてから一度も顔を上げずに勉強を続けていたグレイスがため息と共にペンを机に置く。


「……噂に踊らされるなんてシャロン家の次期当主が聞いて呆れるわ」

「そう言われると耳が痛いねぇ。でも、上に立つ者だからこそ民衆の声を大事にしなきゃならないものだろ?」

「聞かなければ言えない声を選ぶのも上に立つ者の使命よ。大体、噂が本当でも嘘でもあなたには関係ないと思うのだけれど?」


 空気がピシッと張り詰める。明らかに敵意のあるグレイスの態度にあのファラですら困惑していた。ただ一人、グレイアムだけがニコニコと笑っている。


「噂というのは一種の娯楽だ。一学生の僕にだって娯楽を楽しむ権利くらいはあるよ」

「だったら、私とは関係ないところで楽しんでもらえるかしら」

「グ、グレイス……!!」


 あまりの言い草にエステルちらちらとグレイアムを見ながら遠慮がちに嗜める。相手は御三家。少しばかり有名な冒険者など、どうとでもする事が出来る。それを知らない彼女じゃないだろうに。


「……どうやら彼女はクラスの団欒を邪魔してしまった事に腹を立てているようだね」

「ご、ごめんなさい……! グレイスは」

「君が謝る事じゃないよ、エステル。むしろ無神経に輪の中に入った僕が悪いんだ。という事で、お邪魔虫はこの辺で退散することにするよ」


 最後まで爽やかな空気を纏いながら、グレイアムは僕達のもとから離れていった。残された僕達はなんとも言えない空気に包まれる。エステルが目で訴えてきているけど無駄だ。僕だって、なんであんなに彼女が不機嫌なのかわからないんだから。


「……はーっ! やっと終わった! 数学って難しすぎるでしょ!! ……っておろ? 何この空気? どったのみんな?」


 こういう時、ファルがいてくれて本当にありがたいと思うよ。

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