第2話

 薊魔法学園あざみまほうがくえんは関東結界内の北、旧埼玉の北部にあたる場所にある。この学校は、結界内に存在する学校の中でも辺鄙な場所で有名だった。しかも、学園へは、彼らの家からだと電車を使っても片道二時間はかかる距離。

 往復で四時間はかかる移動は、さぞ大変と思うだろう。

 しかし、この学園は基本的に寮生活が義務付けられているので、彼らも明日からは寮からの通学生活になる。その移動時間、僅か十分。もちろん、必要な荷物はすでに送ってある。


「明日からは寮から直送だから、遅刻の心配はなくていいな!」

「おばさん居ないんだから、ギリギリまで寝て、寝坊ってことはやめてよね」

「そん時は、祐希が起こしに来てくれ」

「はぁ……、なんで僕がそんな事を」


 特別な時でないと帰宅できない——なんてことはないが、やはり住み慣れた家を離れるというのは、どこか寂しい気持ちがあった。が、それ以上に今の彼らは新生活が楽しみで仕方がない。

 名前を聞いた事のある冒険者トレジャーが実は在校生であったり、魔法を使った体育祭——魔闘祭まとうさいについてだったっりと、楽し気に話していれば最寄り駅である渋谷駅前のスクランブル交差点まで来ていた。交差点付近の建物に設けられた街頭モニターの、連日報道されているニュースについての情報や今日の天気、今話題のお店、スイーツなど、いつも見慣れた光景も、今日はなんだか新鮮に感じる。


「この景色とも、しばらくおさらばか」

「そうだね……。なんだか考え深い?」

「まさか。もうなくなるってなら分かるけど、俺たちが街から離れるだけだしなぁ」


 祐希の問いに、あっけらかんと答える涼太。確かにしばらくお別れをするが、夏休みにはまず間違いなく帰省してくる事を思えば特に思う事などなっかた。


「そうだけどさ、俺が言いたいのは違うことさ」

「ん?どういう事?」

の一件だよ」


 しかし、祐希が言いたかったのはどうやらその事ではなかった。

 「春休み」。祐希からこの単語が飛び出してきた瞬間、涼太は露骨に嫌な表情を浮かべた。


「それなぁ……正直、あの日の事あんまし覚えてねぇんだよなぁ」

「そっか……まぁ、そうだよね。ごめんね、嫌な思いさせて」

「なに、覚えてすらいないから気にするな」


 涼太は気にもしていないという程を装っているが、心の中では祐希に対して謝罪していた。本当はあの日の事を忘れてなどいない。

 春休みの一件——三月初旬、春休み開始直後にここ渋谷駅で起きた傷害事件の事を。

 しかし、祐希の言っていた通りあの日の出来事は、思い出してもあまりいい気分ではない。だから、親友には悪いと思いつつも嘘をついていた。


「それしにても、最近魔法がらみの事件が増えたな」

「え?うん。そうだね」


 空気が悪くなる気配を感じて、涼太はたまたま目に映ったニュースに露骨に話題を変えた。

 モニターに映し出されていたのは、最近起きた銀座の本店前で何かを叫んだあと、雷系の魔法を叩き込んでいる窃盗犯の犯行シーンだった。

 もっとも、この銀行の本店には当然魔法対策として『対魔法防御結界』が貼られているので、店に傷一つ付くことはなく犯人は直後警備員に取り押さえられている。

 この映像を背景にナレーターが、判明した犯人の情報について伝えていた。その情報は、ここ最近起きている魔法事件と共通した「普段はまじめな人」ということと「保有魔力量が本来多くない」という点。

 それと、薬物の線が濃厚ということで調査を進めているが、未だ進展は無いという。


「薬物ねぇ」 

「コカインとか覚せい剤だよね?」

「所持してるだけで違法。んでもって超が付く高級品って話だけどな」

 

 コカインや覚せい剤などのドラッグは、世界が一変した今でも裏で出回っている。一時は確かに見かけなくなったものの、少し間を置いてから再び市場に現れるようになったのだ。

 誰が精製しているのか?どこに原料があるのか?警察が結界内をしらみつぶしに捜索している噂を聞くが、真相は不明だ。


「ま、この街から離れる俺たちにゃ関係のない話だけどな」

「そうだね。普通であればね」

「何、その含みのある言い方」

「涼太の場合、自分から首突っ込みそうだなぁって」

「はぁ?何それ?そんな訳ないじゃん」

「それは、過去の実績を鑑みようね?」

「……」


 祐希の発言に返そうとする涼太だが、簡単に言葉が出てこない。

 過去を思い出せば、「面白そう」と色々とやらかしては祐希に迷惑をかけていた。それを思案してる内に涼太の顔は、みるみる渋いものになる。


「——ごめん」

「その表情かおやめて」




 ◆ ◆ ◆




 二人はあの後、電車に乗って薊学園の最寄り駅へと向かっていた。

 今、結界内を走る電車は、大きく分けて二種類に分けられる。一つは中心部を環状線に走る「都市線としせん」と、もう一つは東西南北の結界の郊外に向かって走る「都外線とがいせん」。

 

「そういえば、何で薊魔法学園って結界北部の辺鄙へんぴな場所にあるんだ?不便だろ」


 彼らは結界北部に行くため、まずは「都市線」に乗り、上野で乗り換えて今は後者の「都外線」に乗っていた。都外線を利用する人は少なく、席もガラガラで二人は余裕で席に座る事が出来た。

 電車に揺られながら、涼太はふと疑問に思った。何故、学校を結界北部という地に設立したのかと。

 普通に考えれば、住宅地から近くに作ればわざわざ寮なども作る必要もなく、費用も安く済むはずではないか。

 現に、都市内にもいくつか魔法学校は存在している。


「うーん……それについては、学校を作ったあの薊翼あざみつばさが決めたみたいだよ?」

「初代校長が?」

「うん。ほら」


 祐希がそう言って見せてきたのは、薊魔法学校の公式ホームページの「学校紹介」のページ。

 そこの学校の歴史に「魔法という力を扱う以上、都市内で万が一が起きてはならない」という設立者の薊の理念を元に、都市部から離れた場所に作られたとあった。さらに、涼太の目に入ったのは間も無く創立一五〇年の文字。


「あぁ、なるほどね」

「納得できた?」

「間もなく創立一五〇なんて言わればねぇ。出来た当時は今みたいなAMMなんて、まだありもしないわな」

「そうだね。あの当時は、魔法使いの絶対数も少ない時代だろうからね」


 一五〇年前と言えば、結界が張られたばかりの時期であり、今の魔法学校では当たり前になっている対魔法素材Anti Magic Material——通称AMMも存在しない時代だ。

 AMMは五十年程前に出来た技術で、はじめは金属に魔法を弾くという性質を持つように加工が施された物を指す言葉だった。しかし時代の進歩と共に金属以外の物にも加工が可能となり、今では加工された材料全般を指す言葉として使われている。だた、基本的にはどんな材料を加工して使用しているかは秘匿される。

 この材料で覆われた部屋は、並の魔法使いならば破る事はまず不可能で、仮に超凄腕の魔法使いが魔法を放ったとしても、一般的な材質の壁より圧倒的に被害を抑えることが出来る。

 そのため、今の法律では魔法学校の教室は、全てにおいてこの素材を使うことが義務付けられていたりする。

 勿論、今の薊魔法学園もこの法律に則り、全ての教室にAMMが使用されている。


「薊魔法学園。魔法学校の中では、一二いちにを争う人気校か。おまけに、日本で最初の魔法学校ねぇ……」

「今更どうしたの急に?」

「いや、改めて俺たちはトンデモない学校に行くことになったなぁって」

「そうだね。僕も縁がないと思ってたからね」

「俺もだよ」


 そう言って、後頭部を窓ガラスに当てて空を見上げる。周りから見れば、随分とはしたなく見えるが、幸いこの車両に乗り合わせている人で他人にそこまで興味を持つ人は居なかった。

 見上げた空は家を出た時と様子を変え、馬の尻尾の毛のようなすじ雲が広がっていた。


『次は薊魔法学園前〜。次は薊魔法学園前〜』


 暫く空を見ていたらアナウンスが鳴り響く。


「……分かっていたつもりだけどよ、こう音声で改めて聴くとやっぱスゴイなあの学校」

「さて、今日は後何回驚くのかな」


 電車がホームに到着する前に、少ない手荷物を持ってドアの前に移動した。他のドアにも同級生と思しき学生が、二人と同じくドアの前に集まる。

 慣性の法則を感じさせない丁寧な停車後、二人は溢れるようにホームに投げ出された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

空の果てまで一望無垠 高菜 @takana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ