第1章 入学

第1話

 彩り鮮やかな花々が咲き、それに小鳥の声が華やかさを足す。

 暖かな日差しは二階のカーテンに閉ざされた部屋にも降り注ぎ、カーテンの隙間から漏れた光で薄っすらと照らされる。

 部屋の気温が上がってきても尚、ベットの中で部屋主は規則正しい寝息をたてて眠る。その幸せな時間も、時刻が七時になるとピピピピピッ!と目覚まし時計がけたたましく鳴り響いた。

 これで起きるかと思ったが、唸るような声を出して部屋主は鳴り響く目覚ましを止めると、再びベットに篭り二度寝を開始する。

 そのまま寝過ごすかと思った矢先に、部屋の扉が豪快に開かれる。


「起きな涼太!遅刻するよ!」

「……ん?」

「祐希くんが、もう前で待ってるよ!」

「うぇッ⁉︎」


 大きな声を出して部屋に入ってきたのは、一五〇センチはいかない小柄な女性だった。

 まん丸顔にクリッとした瞳、後ろで括られた腰まである長い髪、可愛らしい小動物がプリントされたエプロンを着た彼女はパッと見中・高生に見えるが、この部屋主の母親である。


 その母親の登場で、部屋主は奇声をあげて正しくベッドから跳ね起きた。

 少年の身長は母親よりも随分と大きく、一八〇を超えている。伸びに伸びた髪は、あちこちが跳ね、逆立ち、芸術的な寝癖を作っていた。

 彼の顔立ちは悪くない。鼻筋は通っているし、目つきも凛々しい。だが、髪の長さと雰囲気も相まってかどこか根暗に感じる。

 彼は柏木涼太かしわぎ りょうた。勉強が苦手な十五歳。

彼はそのまま、未だハッキリとしていない意識で時計を確認すると、『8:00』の数字に一瞬で覚醒する。


「——ッ!」


 顔を真っ青にして声にならない声をあげ、急いで制服に着替え出す。

 着替えを終えるとカバンを持って、ドタドタと音を立てて一階に降り、洗面所に駆け込んで顔を洗って髪のボサボサを直し、家を飛び出そうとした。

 が、忘れ物があったのを思い出し、慌ただしく自身の部屋へと戻る。


 一方、そんな事になっている彼の家の前では、一人の少年が塀に寄りかかって待っていた。

 ベリーショートよりも短い黒髪に、鋭い一重の瞳。鍛えているからか、顔の輪郭も引き締まっている。身長は平均的だが、着ている制服は鍛え上げられた筋肉で窮屈そうだった。初めて見る人は、格闘家かスポーツ選手にしか見えなだろう。

 彼は飯田祐希いいだ ゆうき。涼太とは家が近所で、小さい時から家族ぐるみで付き合いがある。所謂、幼馴染だ。

 家の中からドタバタ音が聞こえてくると、そろそろかと寄りかかるのをやめた。


「行ってくる!」


 すると案の定、涼太が慌ただしく家から出てきた。


「おはよう涼太」

「すまん、遅れた!」

「大丈夫。それじゃ行こうか」

「何が大丈夫だよ!寝坊しておいて言うのもアレだが、遅刻するぞ!」

「だから、大丈夫だって」

「はぁ?今八時過ぎだぞ!急がねぇと……入学式に……遅れちまう」


 捲したてる涼太をよそに、勇気はポケットからスマホを取り出して、「ほら」と表示されている時刻を見せる。その時刻を目にすると、涼太の勢いはそがれてった。


「ハハハ。そんなバカな……。まさか……」


 そういえばと、涼太も自分のスマホを取り出して時刻を確認する。

 開いたスマホには祐希と同じ、七時を少し過ぎた時間が表示されていた。


「あんのぉ、ババァ……!」


 その瞬間、涼太の脳裏には母親が嬉々として目覚まし時計に細工をしている様子が映し出された。

 両手に力を入れ、思わず呪詛のような唸り声が出る。

 さらに、涼太の声が聞こえたのか玄関戸がガチャリと開き涼太の母親がしたり顔で覗かせる。


「おばさんを怒らないでやってくれ。僕が頼んだんだ。一時間目覚ましを早めて欲しいって」

「それは分かってるよ。俺が寝坊するって読んでやってくれたんだろ?」

「じゃあ、どうして……?」

「あの人の手の平で踊らされてた、俺自身が許せねぇ!」


 「うがーッ」と頭を抱えて叫ぶと、がっくし肩を落として元気のない声で「行こう」と祐希に声をかけてトボトボと歩き出した。

 その後ろを「ハイハイ」と呆れたようについて行く祐希。

 涼太は気持ちを切り替えるために、大きな深呼吸をひとつ。そのとき彼が空を見上げれば、雲ひとつない快晴が行く末を祝福しているように晴れ渡っていた。

 しかし、その空には薄く霞がかっている。


(今日も相変わらずの空か)


 この霞は、街中に居る限り決して消えることはなく、また決して消してはならないもの。


結界けっかい……)


 人類が住める範囲を示す境界線であり、外敵から人類を守る無敗の盾の。それがこの霞の正体だった。




 こんな空になった始まりは西暦二〇四八年。


 世界は未曾有の窮地に立たされる。世界崩壊の危機だ。

 人類同士の戦争?ーー違う。パンデミック?ーー違う。

 それは、地球は既に経験しているが人類は未だ経験したことの無い未曾有。巨大隕石落下だった。

 宇宙から岩が落ちてくる。それだけで、人類が滅ぶ。

 この事に、世界はパニックに陥った。助かる見込みがないと暴動が起き、秩序は乱れ、隕石落下よりも早く人類は滅ぶのではないのかとまで言われた。だが、結果を言うと人類は滅びることはなかった。

 何故そうなったのかは不明だが、隕石は地球にぶつかる前に元の大きさから細かく分裂。その威力は大きく削り落ちたのだ。

 だが、誰も死ななかった訳では無い。

 死者十億人。

 当時、一二〇億人を超えていた人口の十二分の一の死者。これを多いと見るか、少ないと見るかはそれぞれの感性に委ねるとする。が、一言いえるのはこの時、人類滅亡の脅威はまだ完全に去ってはいなかった。


 この隕石落下から一年後の二月十四日。

 後に「変革のバレンタイン」と呼ばれる事になるこの日、人類はついに本当の脅威にぶつかることになる。

 最初は些細な変化だった。

 隕石が落ちた荒野に早くも緑が生え始めたとか何とかで、世界的に明るいニュースとして報じられた。それは、一箇所だけでなく大きなカケラが落ちた場所全てに起きた変化だった。

 その奇跡のような変化に人々は喜び、近くの町にはその奇跡を見ようとする人たちが集まり、すぐに賑やかな観光地と化した。

 だが、その喜びも長くは続かない。

 植物の成長が著しく早く、三ケ月後には落下地点は遠くから見ても分かるほどの森になり、緑は町の近くまで侵食していた。

 集まっていた人々も居なくなり、町には避難警告まで出される。

流石に不気味に感じた国は緑の侵食を止めるべく、この日に軍を派遣して火炎放射器などの火器を使って焼き払いを始めた。

 まだ草原といった侵食の場所は容易に燃え、作業はすぐに終えると思われた。

——が、焼き払った翌日。

 夜のうちに焼き払った以上に緑は爆発的に侵食し、近くにあった町は一夜にして飲み込まれた。


ここから本当の危機が始まった。


 緑の侵食速度上昇は、一時的かつ燃やし尽くした場所だけの話ではなかった。

 燃やされた場所とは関係の無い場所の緑も、同日の夜から爆発的に侵食速度を上げたのだ。

 この現象は、全世界同時にして起きた。その日以来、境界線は燃やしても燃やす以上に侵食されるを繰り返す。

 波状に広がる自然を相手に、現場では対応する人手も兵器も足りるはずなかった。

 ならばと、すぐさまミサイルや航空兵器が使われる。

 その効果は絶大。瞬く間に周辺を爆散、延焼させ、しばらくは電気が無くとも夜が明るいと言われた時もあるくらいには。

 さらに、一国家だけでなく国連で、元凶であると思われる隕石の落下地点に生える森を吹き飛ばそうと試みられもしたのだ。

 だが、そこで人類は初めて奴らと遭遇することとなる。

 魔獣まじゅう

 体内に魔力と呼ばれる霊的エネルギーを保有し、それを消費する事で魔法を繰り出す人間以外の生物。

 後にそう定義づけられた鳥や昆虫を模した怪物は、ミサイルや戦闘機が森に近づいた時に突如として現れた。

 奴らは体内から雷や炎、水を繰り出し、風を乱し、瞬く間に戦闘機を爆散させていく。

 この不可思議な力ーー魔法の力がさらに恐ろしかったのは、攻撃だけに留まらないことだった。

 魔獣を狙ったミサイルは、着弾する前に何かにぶつかり散る。ならばと機関銃を使っても、硬いものにぶつかったように弾かれた。

 このぶつかったモノの正体は——障壁しょうへき。高位の魔獣が使うことができる、一定以下の攻撃を通さない無情の壁。

 この壁を前にして人類は、ついに核攻撃を決意する。が、それも失敗した。

 発射された核ミサイルは、爆発する瞬間に忽然と姿を消したのだ。

 何故消えたのかは今でも詳しい理由は判明していない。だが、未確認の魔獣の仕業ではないかと考えられてはいる。

 その後のことは、語るような内容はない。

 人類は森を焼失させる事に失敗し、緑の侵食と小型の魔獣との戦いに明け暮れ、結界が出来るまでの間、人類はその生息域を縮小していっただけだった。


 その滅びを待つだけの人類に転機が訪れたのは、多くの人がもう戦うことを諦めかけていた時。


 どんなに絶望の中でも誕生する命はあり、その生まれた赤子の一人が魔力を持って産まれたのだ。

 さらに、同時期に産まれた赤子の全員とは言わないが、他にも何人かが同じように魔力を内包して産まれていた。

 人類が魔力に適応した瞬間だった。

 彼らのように魔力に適応して魔法を扱う存在を、人々は畏怖と敬愛を込めて『魔法使い』と呼ぶようになる。


 だが、既に魔力に順応した『魔法使い』はいた。

 彼らは国連が森の焼き討ちに失敗してから、調査という名目で募った有志の元隊員。国籍も統一ではないし、奇跡的にこの調査で生き残った五人だった。

 この五人は、産まれた魔法使いがある程度大きくなるまでは一切の情報が伏せられ、民衆は公開されるまで存在すら知らなかった。

 彼らはの技量は凄まじく、生まれつきの魔法使いでもないのに誰より強く、この世界に貢献してきた。

 何と言ってもその最たる結果が、現在にまで存在する「結界」だ。

 この「結界」は関東地方のほどんどを覆うほどの巨大さもあり、それを世界各地に張ったのは負担が大きかったようで、それ以降彼らは表舞台から姿を消すことになる。

 それに敬意を込めて、いつしか彼ら五人はこう呼ばれることになる。


——「原初の五人」と。


 この「結界」の誕生で人類は侵食の恐怖から解放され、安住の地を再び手にする事ができた。

 それ以来、まるで今までの時間を取り戻すのかのように文明は発達し、魔法は攻撃の手段だけでなく身近な存在として今では世間に馴染んでいる。




 涼太や祐希が入学する学校も魔法学校で、現在活躍している著名な魔法使いを多く輩出している関東でも有数の名門校。

 入学するのにあたり勉学だけでなく一芸に秀でている者も入学が許される、と噂されるくらいに生徒間の成績に差がある。

 しかし、その学習環境は卒業生の莫大な寄付金によって最新技術が常に用意され、外部からも講師を呼ぶことがある現場向き。

 この環境に憧れ入学を志す者も少なくない。


 それが私立薊魔法学園あざみまほうがくえん

 「原初の五人」が一人、薊翼あざみつばさが創設者の学校である。

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