空の果てまで一望無垠
高菜
夜の街並み
「本当に、この街は本当に飽きないな」
三月末のまだ肌寒い時期。
コンビニで買ったアメリカンドッグを片手に、夜の街の喧騒に当てられて熱が冷めない様子を見せる少年が居た。
歳はまだ十代の半ばと言ったところか。まだ垢の抜けきっていない、まだ子供じみた雰囲気を持っている。
少年はどこかの学校の制服を着ているが、防寒用のコートを上から羽織っている為に、パッと見は学生とは気づかれにくい。
それだけなら、珍しくもない光景だったろう。何せ少年が居るのは、夜も深いというのに未だ賑わいが途切れることを知らないこの国一番の繁華街——新宿。
煌びやかな人々が集まるのと同時に、表には現れない人々も密かに集まる混沌の地。知れば知る程、ここを訪れた者たちはこの地の魅力の虜になっていく。
故に、この少年も若いながらも、この街の魅力に取り憑かれた一人に過ぎないなのだろうと。
——少年が居る場所が街を見下ろせる超高層ビルの屋上でなければ。
屋上には今の時代でも、誰しもが簡単に入れるようにはなっていない。飛び降りやら、事件やらで、悪用されないように鍵は必ず付けられ、それを解錠出来るのはオーナーのみ。
もちろん、このビルの屋上に入るための扉には、きちんと「立ち入り禁止」のプレートと鍵が施錠されていた。
少年がどうやってこの場所まで来たのか疑問は残るが、彼は屋上の淵に座って足をプラプラと宙に浮かせ、アメリカンドッグを頬張りながら、楽しそうな表情を浮かべて眼下の街を見つめる。
少年は背丈だけで言うなら、そこら辺の大人よりも背が高い。しかし、身長の割には体の線は細かった。
男性にしては珍しい腰まである白銀の髪は手入れが殆どされていないのか、所々跳ねる毛先が目立つ。だが、その髪は光量の少ない屋上であっても、光を反射しキラキラと煌めきその美しさを見せつける。
「こちらに居られましたか、若。お探ししましたよ。」
そんな彼に背後から声をかける者が居た。
暗闇に紛れている為に、詳しい姿は見えないが、声からまず女性というのは判断出来る。
「あぁ、ごめんよ。知らせるのを忘れていた」
「ハァ……。もう構いませんよ、いつものことですから」
「でも、この街は凄いねぇ。一夜で人の一人なんてどうなったていい、って思える位のお金が動くんだから。欲の力を思い知らされるよ」
若と呼んだ少年の謝罪を受けて、女性が闇から姿を現す。
雪のように白い肌に、山桜を思わせる白みがかった薄ピンク。
通った鼻筋に、整った顔たち。そのスタイルの良さを見せつけるかのような、場違いとも取れる胸元が大きく開いた純白のワンピースを着ていた。
一言で表現するなら美女。それもとびっきりのが、あたまにつくような。人によっては、作られたと言いそうな美しさが彼女にはあった。
彼女はゆっくりとした歩みで、少年の少し後ろで止まる。伏せられた目は憂いているようにも見え、 もし見た者が居ればその人の庇護欲を掻き立てたことだろう。
だが、少年は彼女のことを一瞥することなく、初めからそこに立ち止まることを知っていたかのように彼女が立ち止まると同時に口を開いた。
「動こうと思おう」
特に何ともない言葉。
しかし、彼女はその言葉を聞いた途端、即座に片膝をついて頭を垂れる。それも、深々と。
その反応は、まるで長年待ちに待った言葉を漸く聞くことが出来た歓喜の様子。そんな様な反応だった。
少年も待たせていたという自覚はあるようで、気恥ずかしさからか視線を街中から宙へとズラす。
だが、彼女は十秒もしないうちに立ち上がると無言で一礼し、顔を上げると同時に姿が消える。
いや、“消える”という経過を認識することなく、彼女は“消えた”。
「……星が見えないや」
言葉は無くとも彼女が居なくなったことを察した少年は、向けた視線の先に星が見えない事を悲しむようにぼやいた。
それは、新宿の街並みの明かりが強く星々が見えないのはもちろん、今の人々が住む空にある「壁」もその要因の一つだ。
夜中の為にあまり分からないが、その壁は昼間に見ると少し乳白色がかっている、壁というよりは膜と表現した方が近いもの。
これは「障壁」と呼ばれる、今から約一五〇年前にこの世界で始めて魔法使いになった者たちが作り上げた、人々にとって外敵から守ってくれる盾であり、これより外では生活出来ないという鳥カゴ。
その鳥カゴを見つめていると、少年は何かを思いついたようにとニヤリと笑った。屋上の淵で立ち上がる。
同時に、「バンッ」という音をたて、背後の屋上へと繋がる扉が乱暴に開かれる。
「警察だ!動くな」
現れたのは、警官だった。もちろん、一人ではない。
扉からは次々と現れて、その数は十人になる。
その格好は普通の警官服を着ているのではなく、鎧のような黒いプロテクターを身に付けた顔すら分からないような特殊工作員のような格好。
彼らは魔法犯罪を主に担当する警察官——
隊員は、淵に立つ少年を囲むように部隊を展開していった。
「ゆっくりこちらを向いて、大人しく投降しなさい。もし、投降しないのならば、こちらも相応の対処をとる」
隊長らしき人物の声に応じて魔締ら警官は、手のひらを少年に向けて、いつでも魔法を撃てる状態であると示す。
しかし、待てども少年は一向に振り返ろうとしない。
隊長も止むなしと、部下たちに攻撃の合図を出そうと手を挙げ、振り下ろ——そうとした時だった。
少年が手を広げる。
それを見て、ギリギリと所で降ろすことを止めた隊長。
と同時に、辺りに緊張感が走る。
ゆっくり振り向く少年に、緊張感は無くさずとも内心安堵する隊長。
だが、後一歩で少年の顔が見えるという所で、少年の体が外へと傾いた。
「なッ……!」
落ちる少年を助けようと、隊長が駆け寄り手を伸ばそうとするが、目に映った光景に驚きを隠せなかった。
そこに少年の姿が見えないのだ。
隊長の視界に映るのは、ただただ遠く離れた地面だけ。そこには落ち行く影も、移動する人影も何もない。
あまりの出来事に声が続かない。いや、頭が現実に追い付いていないのだ。
何の反応もない隊長を見て部下たちも駆け寄ってくるが、全員隊長と同じような反応をすることになる。
『——状況を報告せよ』
静まり返った現場で、隊長の耳元に上司からの通信が入る。だが、その声は始め彼には届かなかった。
耳元で何度か繰り返されるその声によって、我に返った隊長は慌ててその通信に出る。その声は通信でも分かる程、怒気を含んでいた。
「遅れて申し訳ありません。ご報告致します」
『遅い!それで目標は?』
「目標は……ロストしました」
『……はぁ?ロスト?』
「はい。ロストであります」
『屋上からどうやったら目標をロストするんだ!』
珍しく返事の遅い部下の現実性のない報告に、通信の声は思わず怒鳴った。
「それが我々にも。目標が目の前で落下したので、救助をしようとしたのですが、影も形も見当たらず……」
『……それで、ロストという訳か』
「はい」
思わず怒鳴ってしまったが、隊長の困惑した報告を耳にしていく間に、上司も冷静さを取り戻していき、次に帰ってくる時にはその声は落ち着いていた。
隊長が嘘をつくような人物ではない事を知っている上司は、彼の発言が事実であると認識すると共に、言葉だけでは容量の得ないことも理解し、彼らに撤退を命じた。
魔法という非科学的な存在を発見してから、警察官の装備には安全のため一人一人必ずカメラを装備する事が義務ずけられている。
それを確認すれば、彼らの言うことも理解出来るだろうと判断したのだ。
上司からの撤退命令を受け、困惑気味ながらも現場を後にする隊員たち。
しかし、この不可解さに、隊長は言い表せない不安を胸に宿すのだった。
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