α-5. デルタの考察

 恋は人を美しくするという。

 あの子、最近綺麗になったわ。恋でもしたんじゃないかしら……なんて。

 若干都市伝説めいたよく聞く話だけれど、本当だろうか。

 少なくとも、見てくれる相手ができたとか、見てほしい相手ができたとかのモチベーションを抱くことで、綺麗になるために努力しやすくなるとは思う。他にも、強烈に誰かを好きになることで、身体のホルモンバランスとかが影響を受けて、新陳代謝や色気が促進される効果も、なくはないのかも。

 うん。

 綺麗になるコツは、恋をすることだったりして。

 ……なんだか、とっくに雑誌に特集されてそう。

 翻ってみて、美しくあることって、恋に何か影響を与えるのかな。

 もちろん、良い外見の人の方が恋……とりわけ両想いの恋ができるチャンスは多いと思う。言い寄られることが多ければ、そういう気分になることも増えるだろう。でも機会の数と実際にそうするかというのは、きっと別の話で。美しい人が残らず恋をしているわけでもなければ、美しいことが恋の必須要項でもないだろう。見た目で人を判断しちゃいけない、みたいな。

 ただ、美しくあることは健康を維持するのと近いと思うから、健全に恋心を育てやすいっていう要因にはなるかもしれない。

 ううーん、多少強引か。

 世の中に無関係な事象なんて何もなく、回り回ってすべてに関連性がある……と言ってのける程度の強引さに感じる。

 などと。

 わたしがまたそんな風に、毒にも薬にもならないことをつらつらと考えてしまったのは、先ほどお会いした方がとても綺麗だったから。

 穏やかな午後の昼下がり。

 場所は、γさんが入院している病院の近くの、ケーキが美味しい喫茶店。

 三人の注文が済んだところで、

「えーと、改めまして。こちら、兄ちゃんの彼女さんの、デルタさんです」

 と、βが紹介してくれた。

「初めまして。よろしくおねがいね」

 応じて、δさんは軽く優雅に会釈。

 ふわふわっと髪が揺れる。

「初めまして、αです……」

 わたしも、ぎこちなく挨拶をする。

 δさんとは、さきほど三度目のお見舞いをしたときに、病室で偶然お会いした。すこしγさんの容体などについてお話をした後、折角だからと一緒にお茶をする流れになったのだった。

「ど、どうしよう、β。美人さんだよ」

「でしょ! お兄ちゃんもやるよね!」

「うん。びっくりしちゃった」

「あらー、ありがとう。でも、元はそれほどでもないの」

 微笑むしぐさにもふわりと気品が漂うδさん。素敵だ。

「本当よ? メイクのコツを、ちょーっと教えてもらっただけ。お化粧って、すごいんだから」

「えー、そうなんですか? 教えてほしいなぁ」

「そうねぇ。でも、道具を実際にいじりながらの方がいいかしら」

「ふむふむ」

「どこかでタイミング作りましょー。実は、友達がメイク関係のお仕事やっててね……」

 はしゃいで話すβと落ち着いて答えるδさんは、既に仲良しこよしのようだった。

 それもそうか。

 妹と、兄の恋人さんだもんね。すでに何度かお話してるんだろう。なんて、二人の様子を微笑ましいなぁと思って眺めているわたし。ていうか蚊帳の外。

 もっと積極的に絡んで行った方がいいのかな。

 特に手を打てないままでいるうちに、注文したお茶とケーキが到着した。

「おっと、来たなウチのシブースト!」

「わぁ、美味しそうだね」

 δさんの前ではモンブラン、わたしにはレアチーズケーキが、可愛らしくアピールしていた。お店で頂くケーキはおめかししていて、見ためも素敵。

「揃ったし、頂きましょうか」

「はぁい」

 んー。

 おいしー。

 しばらくケーキと紅茶を堪能しながら感想を述べ合っていると、思い出したようにβが言った。

「って。ウチばかり喋ってちゃダメじゃん。折角αのためにδさんをお誘いしたのに!」

「え、わたしのためだったの? 」

「そうだよ? αがδさんとお話ししたさそうにしてたからだったの。ちゃんと話題の一つや二つ用意しておいてよ」

「えええ、わたしが悪いの!?」

 気遣いはありがたいけれど、セッティングなんか要求してないよ。

 話題用意しておけと言われても……聞いてないし。βは強引だなぁ。

「何かいい話題ないの? 最近あった面白い出来事とか、最近聞いた面白い話とか」

「うーん」

「あ、そうそう。この間ね。雨上がりに傘を持って道を歩いていたんですよ。そしたら、ついーっと、自転車が横をすり抜けようとしたわけですよ。それに気づかず端に寄らないでいたら」

「いたら?」

「ずぶっと! ウチの傘が自転車の前輪に! 突き刺さっちゃったわけですよ!」

「わぁ」

「そのまま傘が巻き込まれちゃって!」

「危ないね!」

「乗ってたおじさんは無事だったけれど、すっかりはまりこんで抜けなくなっちゃってて!」

「あらら」

「前輪が回らなくて仕方がないから、その人と一緒に近くの自転車屋さんまで運んで行ったよ……重かった・あんど・恥ずかしかった!」

「運んであげるβはいい子だ。お疲れ様。ところで、傘は無事だったの?」

「破れちゃってたけれど、ビニール傘だったからセフセフ」

「不幸中の幸いって奴かな」

「うんうん――ってなんでウチが話題提供してるの!」

「あいたっ! 叩くのは無しでしょ!」

 モーションつきの突っ込みが入った。

 いや、ノリノリで話し始めたのはβでしょ!

「ふふっ。本当に仲いいなー」

「うぅ……」

 δさんに笑われてしまった……。少々ショック。

「ほら、今度はαの番!」

「う、うーん。面白いかどうかは分からないけれど……」

 気の利いた話はすっと出てこなかったので、先日ω君と交わした会話を紹介してみた。運命の人に会える確率とか、恋は進化で獲得したものだとか、一風変わった視点からの意見について。

 それを取り上げたのは、普段γさんと接してるような人なら、興味を持ってくれるかもしれない、と思ったから。でもいざ話してみると、喫茶店でお茶しながら話すにはディープすぎたようにも感じたり。βもδさんも、頷きながら聞いてくれてたけど。

「……というようなことを話してくれたよ」

「ふぅん……。難しいこと考えるなぁ」

 βは感心したように、背もたれに深く体重を預ける。

「そういえば兄ちゃんから借りた本にも、進化云々の話が載ってたっけ。環境に適していた子の特性が引き継がれやすいんだとか」

「うんー。この場合は、『恋』できる人の方が環境に適してる、って話かな」

「とてもユニークな意見ねー」

 紅茶に口をつけるδさん。

「ただ、特に確率計算の方だけど。無視してるものがあると思うな」

「無視、ですか?」

「好みのタイプや性格ってずっと変わらないもの?」

 そっと机へ疑問を置いて見せるように、彼女は問いかけた。

 ふむ、と。

 わたしたちは少し考える。

「うーん、そういえば、割とあるよね。以前はそれほどではなかったものが、あとから好きになったり……逆に、前はぞっこんだったけれど今はそうでもないとか」

「あるねぇ」

「ええ。人は変化するし、影響を与えあうもの」

「相互に変化していくってことですね」

「そうね。人は社会的な生き物だもの。好かれるから好きになる――好かれるために努力する。って、当たり前な話でしょ?」

「確かに……」

 ω君の視点では、知り合った人同士の相互作用についてまでは、考えられてなかった。好みや性格の固定された人達が、ランダムに出会うとする……っていう前提で、論が進められていた。

「恋は感情的な自己催眠。勘違い、思い違い。大きく外れてはいないだろうけど、理詰めだけで人は生きられないんじゃないかな」

「ですねー。ウチなんか超感情的!」

「感情は、社会を作る上でのセンサーみたいなものじゃない?」

「かもしれません。それこそ、進化で獲得したものかも……」

「考える要素として、無視はできないもの。もっと肯定してあげなくちゃ。たとえ陳腐な確率でも、感情が『必然だ!』って言えば、それはもう、必然や運命にしか思えないだろうし、実際…………」

「……?」

 発言が途中で止まってしまったので、どうしたのかとδさんの方を見ると、何やら食べかけのモンブランをじっと見つめていた。

 いや、そのてっぺんかな。

 ちょこんとモンブランの頂上に座った、何の変哲もないマロンを見つめていた。

「……どうしました?」

「あ……、ごめんね。このマロンがあんまり可愛いから、食べようかどうか迷っちゃって」

「ぶっ、なにそれ。可愛いのはδさんですよ!?」

「βに同意!」

「ふふー。決めた! 食べちゃお」

 δさんは口にマロンを放り込んで、幸せそうに頬をほころばせた。

 不思議な人だなぁ……この人の周りでは、時間がゆったりと進んでいくみたい。

 けらけら、とひとしきり笑ったあと、βがたずねた。

「えと、それで……実際、なんだったんです?」

「ん。ああ……えっと。流れを忘れちゃった……」

 少し思い出すように目をぱちくりとさせるδさん。

「……実際、感情がそう言うのなら、それで良いんじゃない?」

 と、δさんは言った。

「現実と相違があったとしても、私たちにとっては感じ取れたものが本物なわけだし」

「うんうん」

「ちょっと強引な気もしますけれど……」

 まぁ、そうか。そうだよね。

 嬉しいとか好きだとか感じているのに、わざわざ理屈や理論で否定してもしかたがない。負の方面の感情だったり、暴走しかけているのならまだしも、害のない心地よい気持ちなら、そのまま素直に受け取ってあげればいい。

「それに、ね。きっかけだと思うわ」

「きっかけ、です?」

「人付き合いに必要なのは、理屈でも感情でもなく、きっかけ」

「ふむ」

「感情はあとからついて来るし、理論もあと付けできるもの。でも、きっかけがないと始まりすらしない」

「あー」

「どんなに走るのが速い人が、いくらたくさんいても、よーいドンってする人がいないと、試合にならない、みたいな」

「そー。そんなかんじ」

 とっさに例えたのだけれど、頷いてもらえて嬉しい。

 厳密には、きっかけと合図は意味合いが違うとも思うけれど……的を外してなければ、いいか。

 そこで、すっと隣から挙手があった。

「きっかけと言えば、δさん! 兄ちゃんとはどういうきっかけでそうなったんですか?」

「きっかけって、なれ初め?」

「はい。δさんと兄ちゃんのなれ初め話、気になります!」

 あ、わたしもそれは気になってた。ナイスβ。

「んん……、それこそ、ただの『きっかけ』」

 くすっと吹きだすように笑ってから、δさんは話してくれた。

「さっきのβちゃんの話じゃないけれど、傘なのよ」

「傘?」

「会社が立ち上がったころ……オフィスもできたころ。今後の方針も決まったので、さあ帰ろうとなって、ふっと外を見たら、雨の降ってたことがあったのよ」

「あー、気づかない間に降り出しますよね」

「私とγ君は少し出るのが遅くなって残っててね。そしたら彼が変なことを言ったのよ」

「変なこと?」

「えーっと、たしかこんな感じ。……『なんということだ。嘆かわしい。先の見通しも済んで晴れやかな気分の帰り路に、なんと雨が降っているとは! 俺は傘を持ってきていないんだぞ。先に帰ってしまうとは薄情な奴らだ。然るべき手順に則った適切な報復が必要だな』……とかだったかな」

「言いそう」

「いつもの兄ちゃんだね」

「でしょ? でも私はそれまでγ君とそんなに話したこともなかったから、新鮮だったのよー。笑っちゃった」

 思い出したように、δさんの顔はまたゆるむ。

「それで、私は傘を持ってたから、貸すことにしたのよ」

「おお、相合傘ですね!」

「うん。この歳になって相合傘かぁ、って私も思ったタイミングで、ちょうどγ君も考えてたみたいでね。『この年齢になって相合傘とは、ときめくのも何かおかしい気がするよねぇ』とか言ったのよ」

「γさん……」

「貸した方の顔が立たないだろうが、兄!」

「いや、続けて『とはいえ、君のような可愛い人となら年甲斐もなく心が躍ってしまうものだけれど。案外雨に感謝するべきかもしれないな』とか言ったのよ」

「それはまた……」

「ウチの兄が大変恥ずかしい真似を……」

 γさんが発した(らしい)歯の浮くような過去の寒い台詞に対し、βが頭を下げる。妹って大変なんだなぁ、と思わなくもない。

 大いに変なのは、むしろγさんかもしれない。

「ううん、別にそんな……その時は、不思議な人って思っただけで。……変な人だ、とも思ったかな」

「わかります」

「だよね」

「で、γ君と付き合ってみようかなって」

「わかりません!?」

「なんで!?」

「この人と一緒だと、退屈しなさそうだったから……かな? あまり話したことはなかったけれど、人望があるのは知ってたし。あ、でも当然そんなに強く思ったわけじゃないのよ。冗談交じりに、『そんなに可愛いと思ってくれるなら、付き合ってみる?』って訊いてみたくらいで」

「それでも、訊いてみたんですね」

「即断即決だわぁ」

 真似できる気がしない。

「そしたらγ君、『それは良い! 丁度交際相手を探していたところでね。是非もない!』って感じでね。もう笑っちゃったわ」

「兄ちゃん……」

「というか、δさん。さっきから笑ってばっかりですね」

「言われてみれば、そうね。でも、たくさん笑いあえる相手がいるっていいことでしょう?」

「それは、確かに……そうですね」

「うん。そんなこんなでγ君と一緒にいるけれど……、色々気も使ってくれるし、面白いし、特に後悔はしてないの」

「はぁー……」

「迷惑をかけてないようなら良かったです……」

 感心してしまうわたしと、胸をなでおろすβ。δさんが、兄のγさんに満足しているようだったからだろうか。

 何でもない話のようだけど、δさんもなかなか、個性的な人かもしれない……。そんな風に付き合うって、簡単にできることではないんじゃないかな。それは『きっかけ』を大事にしてる彼女だからこそで……。いや。世の中、結構そんなものなのかなぁ。

 いざ語ってみると、笑っちゃうような経緯があるだけで。

 実際は、ただ『縁があった』だけのお話。

「うん。話してみちゃうと、『きっかけ』があっただけなのよね。今は、お互いそれなりに好きにやってるし、お互いのために努力もしてる。あとから見れば、相性が良いように映るかもしれないけれど、あの時の帰り道がなかったら、こんな風にはなってない」

「なるー」

「人付き合いに必要なのはきっかけ、ですか」

「そうねぇ。極論になっちゃうけど、理由も感情も、あとからついてくるものよ」

「え、ええっと。これからも兄ちゃんのことをよろしくお願いします」

「あ、はい。こちらこそ?」

 頭を下げ合うβとδさん。

 そんな様子に三人で噴き出して、ケーキも紅茶もなくなったところで、このお話は終了した。

 しばし雑談が続いて、そろそろいい時間。δさんが伝票を、当然の役目のように手に取った。

「さて……二人とも学生さんでしょ? 払っちゃうわね」

「わわ、ありがとうございます!」

「御馳走になります~」

 格好いい……素敵な社会人さんである。

 というより、学生という立場が便利なだけな気もする。

 わたしとβは精一杯、いっぱいいっぱい、感謝の意を示した。

「あ、そうそう」

 バッグの中を覗いたδさんが、思い出したかのようにそうつぶやいた。

「さっきγ君と話してたんだけど……、一緒に行く予定で、あの人は入院しちゃったから。これ、あげるー」

 この上に物をいただくなんて恐れ多い、と困惑しながらも、押し付けられるように手渡されてしまった。

「代わりに楽しんできてね」

 水族館のチケット。ショーとお食事込み。

 二人用の、二枚組だった。

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