α-2. バイト中の考察
わたしは国語が得意だった。
とりわけ、現国のテストはできた。なかでも読解問題はかなりの正解率を誇っていた。
けれど大学では理工系を選んだ。文理両方ある大学だけど、何故そこで文系に進まなかったかと言えば……、わたしは、怖かったのだ。得意科目に裏切られることが。
国語が得意だったのは確かだけれど、なんで得意だったのかはわからずじまいだった。よくわからないままに良い点数を取って、努力をした覚えもないのに評価されて、頑張った経験もないのに褒められて、そして羨まれる。砂上の楼閣に立たされているようで、とても居心地が悪かった。その地位に頼っていると、いつの日か崩れてしまいそうで、怖かった。
だから、逃げてしまった。
理系科目も苦手という程ではなかった。でも、国語と比べたらはるかに見劣りがして、それなりの痛苦と努力を強いられた。受験校のランクも、国語を視野に入れるよりはいくらか下がってしまった。しかし、努力した分、身になって行く実力を、感じられた。
その時に、必ずしも初めから何でもできる人が素晴らしいのではない、と思った。
初めからできる人は、できない人の心がわからない。けれど、できない人が努力をしてできる人になったのなら、他のできない人も理解できるし、導ける。一人の成功じゃなくて、みんなの成功になれる可能性を、持っている。それは多分、凄く大切なこと。
だけど、どうなんだろう。
才能を育てるのだって、大切なことなんじゃないだろうか。
初めからできる人が頑張って、もっとできる人になったなら、新しい人間の可能性を切り開けるかもしれない。誰も到達してないところへ、行けるかもしれない。それが初めからできる人へ寄せられる期待であり……才能ある人は、その才能を伸ばすことが、ゆくゆくはみんなのためになる。それも多分、凄く大切なことだ。
でもわたしは逃げた。
自分の才能に我がままに怯えて、自ら摘み取った。
忍耐をもって接すれば、もっと使いこなせたかもしれない才能を。
もしかしたら、それは責められるべき罪深い行為だったのかもしれない。……などと、多少ヒロイックな意見になっちゃったけど。まだまだ世間的に見てわたしなんて若いものだし、この先の進路変更だって、不可能じゃないはずだ。
その保険もあって、文理両方ある大学にしたわけだし。
わたしも結構、打算的。
とりあえず……、才能ある人は、その才能を使いこなす努力をする義務を、それなりには課せられているんだろう。ううん、難儀だな。……そして、美しい容姿や健康な体もきっと才能の一種だし、恋をするのは間違いなく才能なんだろうな、と。
そんな風に、考える。
「綺麗な顔してるっスよね、αさんって」
「……」
考えたことが、飛んでった。
「はいっ?」
あれっ?
お?
「お、おかしなこと言わないでください」
「おかしなことって……真面目にそう思うっスよ」
明らかに挙動不審に陥った様子を見て、えと……タウ、τさんは少し呆れた表情をした。
今日は土曜日。ここはわたしのバイト先の喫茶店。午後時のラッシュが一端引いて、ちょっと余裕のできる時間帯だ。それで、同じシフトのτさんが、軽く話を振ってくれたのだろう。
いっけない、全然聞いてなかったよ。
昨日もβに不意打ちされたばかりなのに。
「えっと、な、なんでです?」
「なんでって、別に理由なんかねっスよ。あはは、いや、美形っスよねーって思って」
「そ、そうですか……」
そんなことはないと思うけど。
意図のわからない話題振りに、戸惑う。
τさんはバイトの先輩の男性で、人懐っこい表情と、ひょうきんで面白い人柄をしている。バイトを始めたころには大変お世話になった。教え方に擬音が入ってて、丁寧とは言えないものの明るく接してくれるので、なじみやすかった。歳が近く、お互い大学生だからシフトが被ることが多いけど、通っている学校は違う。
「ありがとうございま……す?」
多分褒めてもらったので、一応お礼を返した。
「いやー、αさんモテるんじゃないっスか? 恋人が一人以上いたりして」
「いませんいません」
手をぶんぶんと振って、否定する。
そんなだったら、恋についてなんか悩んだりしてないよ。
「へー。意外っスね」
サンドイッチの仕込みを慣れた手つきで済ませながら、τさんは言った。
わたしは一体どんな風に見られているのだろう。自覚と客観はズレがちなものなんだな、と改めて思う。隣の人はいつだって、別の景色を見ているんだ。一抹の寂しさを、グラスと一緒に食洗機へ放り込む。
「ところで、αさん」
「はい?」
「次の今日の夜……じゃ、わかんねっスね。来週の土曜日。バイト仲間で飲みがあるんスけど」
「ああ……ごめんなさい、出席しません」
「そうっスよね。聞いてるスよ。新人さんだから、出て欲しかったんスけどね~」
飲み会は、何度か体験してるけれど、どうも苦手。
「あはは……すみません。まだ未成年なので……」
本当は、恋の話がよく出たりして、居場所がないからだ。
お酒にも弱いし……、盛り上がるのが下手で、しかも他人の目を気にしてしまうわたしには、すこぶる不向きな空間だと思う。でも、来年以降の言い訳はまだ、考えていない。
「おー、そう言えばそうだったっスね! 若いなぁ、いいなぁ」
「若いって……一歳しか違わないじゃないですか」
「その一歳が大きいっスよ! 一円に笑う奴は一円に泣くのと同じ道理っス」
「そうですかぁ……?」
適当なことをノリで言っちゃう、いつも通りのτさん。
「τさんこそ、その飲み会でお近づきになれるといいですね」
「へ?」
「θさんと」
「えっ、は、はははっ。そーっスね」
片想い相手の話を出されて、τさんは照れた風に頬を掻いた。
シータ……θさんは、この喫茶店ではτさん以上の古株で、テキパキした印象の女性だ。口を閉じてると小柄で綺麗な女の子なのだけど、制服のエプロンをつけるとエネルギッシュな姐御と化す。気風のいい年上美人である。
「……」
しかし、恋ができるなんて羨ましいな。
τさんは、好きな人が居るかと訊かれて、首を横に振らなくて済むんだ。
「……θさんのどんなところがお好きなんです?」
できるなら、恋ってどうやってするのかと、尋ねたかった。
そんな恥ずかしい訊き方、できないけれど。
「うーん? どんなところって……」
「難しいですか?」
「そっスねぇ……可愛いだとか、話してて楽しいとか、あるっちゃあるっスけど。それよりは、なんつーか……俺は思いこんだら、……こう」
τさんは、自分の顔の左右で両手のひらを向かい合わせるようにしてから、それを前に倒すようなジェスチャーをした。
「ぐぐっ、て行っちまうタチっスから」
「なるほど」
「好きだから好きなんスよ。あんま理屈じゃねっス」
理屈じゃない。
恋に関して……と言うより、人間関係に於いて、よく聞くフレーズ、だと思う。
だけどどうなのかな。
人は確かに、理屈で動いているわけじゃないだろうけど。理論や論理はそもそも、動かすためのものじゃなくて、理解するためのもの……理解させるためのものでしょう。理解したいから訊いているのに、そんな返答は、いささか卑怯って気がする。
それとも、感じろってことかな。
考えるより感じろ、下手の考え休むに似たりって。
「そうですか……」
「なんスか、考えごとっスか?」
「いえ、」
「あ」
お客さんがいらっしゃった。
「いらっしゃいませー!」
τさんはさすがに、切り替えが早い。
「いらっしゃいませ!」
わたしも若干遅れて対応し、注文を横から耳にする。
若い男性二人組。もしかしたら学生さんかもしれない。友達同士、歓談でもしに来店したんだろうな。注文内容は、ブレンドコーヒー、アイスレモンティー、コーヒーゼリー。手早くτさんがマグカップをコーヒーメーカーに設置し、レモンティー用のグラスを取り出す。
「αさん、コーヒーゼリーよろしく」
「はーい」
わたしは冷蔵庫から冷やしてあるゼリーを取り出した。この喫茶店のコーヒーゼリーは、上でソフトクリームがとぐろを巻いている。こいつを恰好いい形に仕上げるのが、なかなか難しい……のです。
レバーをつかんで、呼吸を整えた。
「ぐにん、ぐにん、ぐに・ぐっ・ぴ、ですよね」
「そ。『ぐっぴー』っスよ」
擬音で通じる業界用語。考えるよりも、感じろってことかもしれない。
……ぐっ・ぴ。
クリームの先端が、お淑やかにこうべを垂れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます