破壊された階差機関

 伝承歌の内容や町の噂はあてにならない。細部まで描写されまことしやかに語られる嘘の数々。より面白いほうへ、喜ばれるほうへと、尾ひれがついていく。

 女魔王イブリータが滅びた日、大戦墓苑から飛び立った「首なし魔王」が向かったのは王都ではなく、その手前にある錬金術都市「プラーガ」であった。

 緑色の光を纏った魔力付加鉄拳によって破壊されたのは、オリヴィア嬢ご自慢の巨大階差機関ディファレンスエンジンである。山をくり抜いて作られた筐体狭しと詰め込まれていた真鍮製の巨大歯車はてんでに軸から外れ、麓の家々に転がっていった。修理・再建は不可能な壊滅的破壊だった。

 しかし、魔王がそれを狙ってやったのか人死はなし。逃げようとして老婆が転倒し、腕を折ったというのが唯一の負傷者だった。それにしたところで、彼女の折れた腕は回復魔法により一週間ほどで元どおりとなった。

 大きな被害がなくてよかったと胸をなでおろす錬金術都市の住人たち。そのなかにあって、唯一の被害者であるワイズマン家の令嬢オリヴィアは、怒りに全身を震わしていた。彼女が作った最大の作品が破壊されてしまった。そして、あわや、家宝まで失われかねない事態でもあった。

 オリヴィアは豪奢なドレスが汚れるのも気にせず、メイドたちを数名連れて地下室に降りた。無事だった図書室から一冊の蔵書を取り出す。大いなる遺産のひとつ。メイドのひとりに本を手渡し、自動書見台に置かせた。別のメイドが素材棚と一体化した全自動錬成器を起動する。書見台についた機械製の指がページをめくり、その内容に基づき素材を分量どおりに機械仕掛けの腕が匙とトングで拾い上げ、魔法の大鍋に投入していく。

 心配げに主をみつめるメイドたちにオリヴィアは告げる。

「此度は自ら定めた掟を破ろうと思います。まったく想像もできないものを作って使うのです。これでは魔法と同じですわね」

 オリヴィアの定めた掟とは、家宝である書籍に書かれた品物のうち、原理を理解できないものは錬成しないということだった。

「でも、今は火急の時。此度の被害が最小限なのは、僥倖などではありますまい。むしろ、なんでもできるがやらないでおいた。つまり、これは脅しなのです」

 オリヴィアは唇を噛んだ。

「わたくしは脅しなどには屈しませんわ」

 彼女は護衛として墓守の町の老人たちを召喚することにし、指名クエストを発注した。

 クエストを受けた一同が錬金術都市にやってくる。

「墓守の町」の傍にある古の門が光を発した次の瞬間、ガストンとララノア、ソフィア、そして白獅子ホライトライオンは「錬金術都市」の中心に聳える古城の中庭に到着していた。

「上々だ。けど、門はどうやって使えてるんだ。前は、あのデカブツを使ってたよな……」

 ガストンが親指で示す方向に壊れた真鍮製の歯車の連なりがあった。山ひとつをくり抜いて作った巨大な暗号解読用階差機関ディファレンス・エンジン。それが上から下まで鈍らな刀で斬られたような引きつった断面を見せていた。なんとも無残な光景である。

「素晴らしい観察眼を持ってらっしゃる。そして深い推察力も。わたくしの警護にふさわしい」

 張りのある女の声。若々しかったが、もう小娘などとは呼べない年齢を感じさせた。オリヴィアのものである。

「クエスト主が直々にお出迎えとはいたみいるぜ」

 ガストンが言う。

 オリヴィアは黒いタイトスカートに長い白衣という出で立ち。足元のローヒールが彼女を活動的に見せていた。

「大切なお客人を主人が迎えるのは礼儀というものでしょう。それに、皆は城の修繕で忙しいのです」

 オリヴィアは一同に軽く手を振りながら言う。

「あの歯車仕掛けを直してるのか?」

「いいえ、あれはもう使いません。これがありますから」

 オリヴィアはポケットから小さな黒い箱を取り出した。

「なんだい、そりゃ?」

「量子電算機ですわ」

「はっ? リョウ…? いつも難しいんだな、あんたの作るカラクリの名前は」

「覚える必要はございません。前の歯車じかけを高性能化したものがこれに入っているというだけです」

「はあ、小さくなったのは凄いのかな。ララノア、お前の国にもこんなのがあるか?」

「ふらないで。たぶんない。なくても困らないし」

 ララノアが露骨に嫌な顔をした。エルフ族は機械が好きではないのだ。

「『エルフの文化は物質文明を超越してる』んだもんな」

 そのセリフは人族のところにララノアがやってきて早々の時期によく言っていたものだった。

「そうだけど、それ言わないでガストン。恥ずかしいから…」

 かつてのララノアはかなり尖っていたものだ。人を寄せ付けない雰囲気を持っていた。

「そして、オリヴィア。警護のひとりとして提案なんだが、あんたも護身用の武器ぐらい身につけておいたほうがいいんじゃないか。狙うほうがわかりやすい武器がいい。魔王だか魔法を操ってる奴だかが、ああ、こりゃちょっと厄介だなって思ってくれれば、すぐには襲ってこない。それで少しでも生き延びれる」

 ガストンは言う。

 仕事でなければ、こんなデタラメな女に何か忠告する気にはなれないが、今はクエストを受けてる身だ。何もせずにクエスト主が死んだ、などと言われるようになるのも癪だ、とガストンは思っていた。だから最初にひとこと言って、あとはだんまりを決め込もうと思っていたのである。

「そうですわね。では、これではどうでしょう」

「古の門」の門柱の影から巨体が現れた。その正体とは…。

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