失われる宝
ララノアが胸の首飾りを掴みながら詠唱を真似た動作をすると、治癒魔法など露程も知らぬ彼女の手から緑色の光が湧き出し、兵士の傷ついた腕を照らした。
「なんと素晴らしい! すっかり傷が癒えました」
兵士は目を細め恍惚の表情を浮かべる。傷跡さえ残ってはいない見事な回復術であった。
「それはようございました」
できるかぎり平静を装ってララノアは言う。しかし、その実、胸をなでおろしていた。
簡単なトリックだったか素人はそれと気づかないようだった。ララノアは回復魔道士であるソフィアが作ってくれたマジックアイテムを指先ひとつで発動させ、手指から溢れた治癒の奇跡をそれらしい仕草で兵士に与えただけである。普通の人間であれば
「では、これにて」
ララノアはすまし顔で兵士たちをすり抜け、ドアを開ける。そこは高い建物で囲まれた中庭であった。
指示をだしているのは黒い甲冑を着た大男や黒い魔道着の者たちだった。ララノアは知らぬが、ガストンが昨日食事した黒騎士たちである。
王国軍の出した強制クエストで呼び出された回復魔道士たちは女魔王イブリータを取り囲んでいた。
無数の矢が突き立った身体から1本、また1本とそれを抜いていくと、下から憤怒の表情を浮かべたまま黒く焼き固まったイブリータの顔が現れた。
「もし、これがまだ生きているならば筋は通るのだが、やはり
団長のギルバートが言う。
初めて会ったララノアでも、この男が主要人物であると分かる態度と重々しさのある話しぶりであった。
回復魔導師の一人が女魔王の炭化した皮膚を真鍮製のピンセットでめくりあげた途端、あっ、と小さく声をあげた。ひび割れた黒い顔の下から白い光が溢れてきたからである。その光はさらに強くなり、あたりは眩く輝く白い闇に包まれた。イブリータが仕掛けた最後の罠。我が身を穢すものを抹殺する魔法爆弾だ。
「いかん、遮断しろ!」
ギルバートが叫ぶ。
ララノアは反射的にドアまで飛びすさった。
黒い魔道服を着た男たちが詠唱しながらイブリータに近づいていく。空間が内側によじれて小さく固められていき、強い風が内側に向かって吹き始めた。
「過ちを繰り返すのか…」
ララノアがつぶやく。以前見たことのある光景。魔王大戦を終わらせた封印魔法が再び使われていた。ただし規模ははるかに小さい。巻き込まれたのは、イブリータの顔をいじっていた回復魔導師の右手だけだった。空間が閉じた瞬間、魔導師の腕はちぎれた。鮮血が風に舞い、空気を赤く染めた。それも一時のこと。風は止み、血は地面に落ちる。脈動に合わせた出血と、金属の枠で封印されたイブリータの残骸。それを除けば、何も変わりはしなかった。人類は魔王に関して何も新しい知見を得ることはできなかったのである。
「さあ、回復を急いで!」
犠牲者の救済が始まったなか、ララノアはこっそりとドアを開け、裏口から外へ抜け出した。
見上げる空に彼女は見た、首なし魔王が黒い翼を拡げ上空を旋回する姿を。
「頭がないのに見張りに来ていたか。まったく魔王というものは恐ろしい」
ララノアは白いガウンの下に背負ってきた小ぶりの弓を出そうかどうか考え、どうせ届かぬと諦めた。
首なし魔王は王都は急上昇し、雲の上に消えた。
同じ頃、ソフィアとその母イライザの家でもあるカモミール治療院では、失せ物騒動が起きていた。
ララノアから預かったガストンの報奨金がなくなっていたのである。できる限りの治療を施し、みんなでお茶をいただこうとソフィアとイライザが準備をしている最中、金庫に入れておいた革袋いっぱいの金貨はこつ然と消えてしまっていた。そして、その持ち主であるガストンの姿も。
「おじさん、どこにいるの! おじさん! ガストンおじさん!」
ソフィアが呼びかけるが返事はない。
小さく、ニャーンと猫が一鳴きしたのをソフィアとイライザは聞いた気がしたが、それっきりだった。
白猫と革袋を胸に抱いた老人が繁華街に向かって歩いていく。ひとしきり治癒魔法を受けた身体は軽やかで、今日はバアサンへの借金も返したうえに、まだまだ懐が温かい。最高の気分だ。
「これで、賭場に行くなって言われてもムリだぜ」
ガストンが言う。丁半博打でまたしても有り金を全部なくす一時前のことであった。
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