回復職の仕事

「痛てて、これで効いてんのかよ」

 ガストンがしかめ面で言う。うつ伏せの体勢で顔だけ上げた彼が寝ているのはソフィアとその母イライザの家でもあるカモミール治療院のベッドだ。窓からも見える紫の花をあしらった看板は風雪に少し傷み、昨日今日から提げられたものではないことを示している。

「まだ調べてるだけですよ、ガストンさん。少しはじっとしていられませんかねえ」

 真っ白な服を身に付けたイライザが言う。ふくよかな顔をした美人だ。腕にも身体にも年相応の肉がついている。

「おじさんを止めるには縛り上げるか、全身を麻痺させないとムリよ」

 黒い革製拘の束バンドを用意してソフィアが言う。左右の足首と膝の下を締め上げ、太腿もまとめてベッドにくくりつけた。

「そこまでしなくてもオレは動かねえよ」

「嘘。さっきから暴れて、手がつけられない」

 ソフィアはガストンに厳しい。さらに腕と一緒に腹や胸まできつく締め上げた。

「痛いからだよ。や、やめてくれ。さっき食ったサラダが口から…」

「結局、それ食べたのはララノアでしょ。おじさんが食べたのはお肉とパンだけ」

「そうだった。いやあ、ララノアのやつ。野菜となるとすごく食うよなあ。自分で頼んだ山盛りサラダ2杯とオレが要らないって言ったグリーンサラダ。それにちょこっとしたパンケーキか。よく考えりゃ、ぜんぶ草や木から作ったもんだけじゃねえか。肉とか魚は食べなくてもいいのか、あのバアさんは。偏食は身体によくないぜ」

「エルフはお肉を食べないみたい」

「違うだろ。食う奴いるぜ。会ったことある。顔色の悪いエルフの魔法使いだったが…」

 ガストンは遥か昔に思いを馳せる。黒マントの下はやたらと薄着の女だったと。

「そりゃ、ダークエルフでしょ。魔道に堕ちたエルフよ。正統派のエルフに嫌われてる」

「ダークったって肌の色艶が悪いだけだろう。差別っていうんだぜ、そういうのは」

「違うんですよ、ガストンさん」

 イライザが見かねて口を挟んだ。

「どう違うんだ」

「堕ちるのが先、色は後。魔道に堕ちたエルフは加護を失って肌の色が青黒くなる。ちょうどいまのガストンさんみたいな肌の色にね」

 イライザがガストンの腕に触る。その瞬間に、電撃のような激痛がガストンの腕から頭のてっぺんまで駆け上った。

「いてて! イライザ、なにすんだ。痛えじゃねえか」

 ガストンは全身をガクガクと震わした。縛り上げてもよく動く男だ。

「ああ、重症です。よくぞ、ここまで歩けたって褒めてあげたいくらいですよ」

 イライザは眉間に皺を寄せて言う。

「なんだ、そりゃ」

魔素マナがほとんど切れてるんですよ。ガストンさん」

「そんなもん切れてもいいんじゃねえのか。オレは魔法使いじゃねえし」

「ガストン、魔法の勉強ちょっとはしたことあるんだよね。なんでぜんぜん覚えてないの」

 ソフィアが言う。

「忘れるんだよ、自分に関係ないことはな」

 ガストンは言い訳する。

「関係あるでしょ!『冒険者は魔素マナの賜物。体力、知力もマナの成すもの』って基本の基本よ!!」

 ソフィアに言われてもガストンは思い出せない。

「あっ、いま、知力も衰えてるんだ、おじさん…」

「なんだと!? でも、そうかもしれねえな、いま、痛いと眠いしか分からねえ感じだし…」

「うわぁ。それじゃあ数人がかりでやる回復作業になるよ。でも、いま、この町にいる回復能持ちはあたし達だけだから」

 白い魔道服の裾をまくりあげてソフィアが言う。

「まあ、できる限りやってみましょう」

 とガストンの身体をマッサージしながらイライザが言った。すでに彼女の額にはうっすら汗が浮かんでいる。

 二人の掌から緑色の光が溢れ出た。それを受けて、ガストンは一種の「涼しさ」を感じた。実際には淀んでいた思考が働きはじめ、愚鈍さが去っていっているだけだったのだが。

「そういや、ほかの回復魔法使いはどうしてるんだ? 負傷者の手当か。にしたって、そんなに人数は要らねえだろ……」

 早くの治癒魔法の効果が現れ、少しは頭がまわるようになってきたガストンは以前の話の続きを思い出した。

「ああ、ほかのひとね。魔王の研究に駆り出された。イブリータは滅びた。でも、飛んでいった大魔王の身体には頭がなかったでしょ」

「ああ、その件の続きか」

 ガストンは昨日自分が観たものを言ったほうがいいかどうか迷う。

「大魔王の肩に私のお父さん――だったものがいたって話もある」

 言ったのはソフィアだった。先に言われてガストンはほっとした。

「知ってたのか…」

 ガストンの老眼にははっきりと見えていた。ガサツなガストンでもソフィアには言わずに済ませたいと思うような事実。

「捕まってた間にイブリータが紹介してくれたの。あの動く死体を。そして、彼女の切り札である『首なし大魔王』を。だけど、イブリータは切り札を使うことなく滅びた。変な話でしょ。そして、イブリータがどんなに強い力を持っていたって、術者が死んだ後も動き続けるような死霊魔術ネクロマンシーはない。これもおかしな話。何かが起きてる。その意味、ガストンおじさんに分かる?」

「――急にオレに振るなよ。魔法はからっきし使えねえって知ってるだろ」

「魔法は関係ない。洞察力の問題」

「勘弁してくれ。オレは身体も頭も死にかかってるんだろ。それに、オレの苦手分野なわけよ、頭脳労働ってのはさ…」

「ララノアが見てくるって言ってたわ。おじさんがもっと元気だったら一緒に行こうと思ってたって」

 ソフィアは言いながら、緑色の癒やしの光を溢れさせる手をガストンの腰や膝に当てる。彼女の目には患部は赤く、魔素マナが弱っている部位は黒く映っている。

「ララノアが偵察に…。まあ、あいつに向いた仕事だわな」

 そういうガストンの腰は黒ずみ右膝は真っ赤に燃えているようにソフィアには見えた。

「おじさん、まだまだ時間がかかりそうだわ」

 ソフィアは言い、イライザも無言で頷いた。

 こうしてガストンが治療を受けている間、ララノアは町の外にある古い石造りの建物にいた。あまりに目立つ長い耳を白いガウンのフードで隠し、顔にもベールをかけている。胸には黒い石を金で飾った首飾り。トネリコの杖をついている。

「遅くなりました…」

 建物に入るとそう言って、奥をめざす。回復魔道士の衣装はララノアによく似合っていた。しかし、建物の外では王国軍の衛兵が二人、彼女に殴られて伸びている。

「待て!」

 野太い声で呼び止められ、ララノアはゆっくりと振り返る。気づかれたにしては早いと思いつつ。

「出遅れついでにオレの腕の傷を治していってくれないか」

 建物のなかにいた王国軍兵士のうち、階級章がやたら派手な男が言う。ララノアは王国軍に興味はないが、ほかの者より階級が上なのだと察した。兵士の数は十指に余る。さすがに全員を倒す前に仲間を呼ばれてしまうだろう。

「治療こそが、本来の回復職の仕事。喜んで引き受けましょう」

 ララノアは言って、腕を押さえている男に近づく。まだ血の滲む太刀傷があった。

「よろしく頼む」

 腕を差し出された。

 果たしてララノアはこの窮地をどう切り抜けるのか。

「さあ、早くしてくれ!」

 兵士は腕をさらに突き出し、急かすのであった。

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