婚約不履行王ベネディクト
突然の来訪者に怯えている王の姿をガストンはみっともないとは思わなかった。寝込みを襲われれば誰もが脆い。むしろ、オリヴィアの声に先駆け、気配を察して目を覚ましたことに気づいて王の用心深さを感じた。ちなみに、ガストンは長年の隠形修練の成果で、夜襲で気配を発するなどということは全くない。
闇のなかで不穏な沈黙が続いていた。いっそ早く何か起きてほしいと思わせる緊張の高まり。それを破ったのはオリヴィアの猫なで声だった。
「オリヴィアでございます」
彼女は、白衣の下からピンク色の薔薇を取り出した。華やかな香りがあたりに拡がる。
「この香り、覚えておいででしょう。かつての私が絶やしたことのないものです」
香りは記憶と深く結びついている。薔薇の香は、多忙を極める王様に、忘れきってしまいたい記憶を呼び覚まさせた。
「おお、オリヴィア、その節はわしが悪かった。許せ。いや、許してほしい。このベネディクト、平身低頭して願う次第である」
言っている間に、天蓋のなかでは金物が触れ合う音がした。ベネディクト王が枕元の護身刀を手にしたのである。
「相変わらず、おっしゃることと、やっておられることが裏腹のご様子ですね。さすがは、私との婚約を反故にして王を目指したお方」
静かなトーンで喋っているがオリヴィアの怒りは隠しきれていない。事情をよく知らぬガストンにも分かる。ここで会ったが百年目という場面だと。
緊迫した状況にもかかわらず、アンナ女王は目覚めない。小さな寝息をたてていた。王の傍らで安心しきっているのかもしれない。
「な、なんだ。ほしいのは金か。領地か。領地となると多少面倒だが…」
王がひとりで話を進めようとしているのをオリヴィアが止める。
「本日の用は慰謝料請求の件ではございません。それは後日に。本日は魔王から手紙を預かってまいりました…。ジジイ持っていって」
とオリヴィア。最後に付け加えられて、えっ、行くのオレかよ、とガストンはちょっと不機嫌になった。しかし、王は刀を持っている。槍を持ってる自分のほうが向いているのは確かだ。
オリヴィアから手紙を受け取り、王に差し出す。
「その手紙は大戦墓苑で生まれた魔王が書いたもの。階差機関の解析機能を使って翻訳した内容を言いましょう。内容は稚拙な宣戦布告。王国軍と真っ向勝負したいと書かれている。手紙を持ってきた者たちを殺せとも。ともに子どもじみた考え。これは大魔王の仕業にあらず。大きく育つこともなく消えていく小さき魔王の仕業です。小魔王は国軍と戦い国史にその名を残したいのでありましょう。ゆえに具申いたします。我が国の正規軍を出すことなくこの一件を『小事』として収めることです。まずは匿名で『魔族討伐クエスト』を発注なさることをお薦めいたします。地域の冒険者たちで終わらせてしまうのです。予算書とクエスト発注書も手紙の後につけました」
「えらく手回しがいいな」
「火急の要件ゆえでございます」
オリヴィアは言った。本当は、一切合切、段取りをとっておかないと自力で問題を解決できないベネディクトの無能さを知ってのことだったが、オリヴィアは黙っていた。親が勝手に決めた
「あいわかった。夜明けとともにクエストを出す。それだけで良いのだな」
「その通りでございます。後は、下々の者がやり遂げます。では、これにて失礼」
オリヴィアは『古の門』を起動させ、ガストンと共に自分の城に戻った。後には薔薇の花を一輪残して。
「おいおい、これで終わりかよ。一発、殴ってやるんじゃなかったのかよ」
予行練習に使われた頭をさすりながらガストンは言う。
「終わってるんだな、これが。これは触媒を使った化学変化のようなものだ。薔薇一輪で事足りる。自分が寝ている間に、昔の女が来たのを察するのにはそれだけで十分だろう。アンナ王女が私にかわって鉄拳をふるってくださる。間違いない!」
オリヴィアは堪えきれない笑みを浮かべて言った。
「次のジャンプで私もあんたのホームタウンに行く。短期間かもしれないが、私も冒険者ギルドに所属しよう。クエストに参加したいから」
そう言うとオリヴィアは旅支度をはじめる。
なんだ、この女、いきなり身勝手な、とガストンは思ったが、こういうところも『悪たれ』と呼ばれる所以なのだろう。ベネディクト国王に袖にされておかしくなった、そう考えると不憫でもある。
未明にガストンたちが所属するギルドに、魔族討伐の大規模クエストが発注された。発注者は匿名で『殴られ坊主』との仮名が殴り書きされている。
その名前を見たとき、オリヴィアは、改めてしてやったりの笑みを浮かべた。
「して、あんた、現場では何を担当するんだ。総大将は立場上、ギルド勤めのクラリスだろう。女の
「本業は科学者だけど、副業は錬金術師。最初の階差機関の歯車は錬金術で作った。この世界、この時代、機械の精度低すぎて魔法のほうがマシなレベルだから…」
それを聞いてガストンは、まんざら悪くない編成ができそうだと思った。寄せ集めにしては十分だと。
王国軍にかわって、冒険者たちの戦いが始まろうとしていた。
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