真夜中の侵入

 闇があった。そして激しい音があった。振り落ちよとばかりの勢いで鳴り響く鐘の音は祈りのためのものではなく、大火を知らせるものである。

 炎は天を照らし、背中についた黒い翼の羽ばたきで上空に留まる魔族の軍勢を浮かびあがらせていた。いま故郷の村が燃え尽きようとしていた。

 地上からの弓は届かぬ距離。そして、そこから大きな火弓を射れば一矢で家が燃え上がる距離。空を往く魔族たちの優位は圧倒的だった。

 またこの景色かと、ガストンは思う。すべての始まりの炎。この炎が家を焼き、家族を焼き、友達を焼き尽くした。そして、いま炎はガストンの身体にも燃え移ろうとしていた。黒い煙が彼の身体を包み込む。

「いいぜ。もう…」

 ガストンは疲れていた。愛する者たちはみな炎の向こうに消えていってしまう。自分だけが残った。年を重ねるごとに寂しさはいや増すばかりだ。もう消えちまってもいい頃だ。死んじまっても…。

「えええ、おじさん、ひどい。『なんでも言ってくれ。金以外のことならだいたいなんでも解決してやるぜ』って言ってじゃない。あれ、嘘だったの?」

 頬をふくらませてソフィアが抗議している。ああ、まだあった。俺の大切なもの。けど、俺は疲れてるんだ。どうしようもなく…。身体が動かない。どうしても…。あれっ?

 目蓋が軽くなり、パチリと開いた。そこでガストンが見たものは夜闇のなか篝火かがりびを焚いた庭だった。倒れた時から少しも動いてはいない。ただ、時間だけが過ぎていた。

「なんてこった! 早く王都に行かなきゃなんねえ!!」

 跳ね起きたガストンの前に白衣を着た悪たれ令嬢オリヴィアがいた。

「もうすぐ王都に着く。夕飯でも食わせてもらいなさい。食べたら湯浴みなさい。用意させておくから」

 オリヴィアとお揃いの白衣を着た男女が行き来している。何をしているのかわからなかった。すぐ近くで金属同士が擦れ合うキーキーいう音が聞こえている。粉挽き小屋で聞く音の千倍もあるようにガストンには思えた。

 城の外壁が開いている。もともと開閉できるように作ってあったものであるようだ。内側に大小の歯車がまわっているのが見えた。

「ありゃ、なんだね」

 ガストンが訊く。

「あれは私の最高傑作。水力式階差機関。計算で分かることなら、なんでも分かる」

 オリヴィアが誇らしげに答えた。

 ガストンには意味がわからない。魔法とか錬金術は専門家に任せるぜ、と改めて思うばかりであった。

 テーブルが用意され、メイドが肉やらパンやらを持ってきた。ご馳走を前にしてガストンは口のなかが唾でいっぱいになるのを感じた。朝から何も口にしていない。彼を昏睡させたハーブティーを除いては。

「今度こそ、殺すつもりじゃあるめえな」

 ガストンは眉根を寄せてオリヴィアを見た。

「その食事は栄養満点なだけよ。薬は入ってない。解析が終わるまでは寝ててほしかった。これからは体力勝負だから。寝てないやつ、食ってないやつ、風呂に入ってないやつ。みんな最後に挫ける。ジジイ、あんたには勝たせてあげるわ。科学者であるこの私が」

「なんだって!?」

 聞き覚えのない単語を聞いてガストンは聞き返した。

「『科学者』よ。うちの階差機関が王都の転送装置の暗号化キーを探りあてたら、王宮まで一気にジャンプできる」

 王都が敵兵力による不意打ちを喰らわないように「いにしえの門」の使用は制限されている。その制限を外す暗号は秘中の秘とされていたが、この悪たれ令嬢は自分が持っている大型の暗号解読機でそれを突き止めようとしていた。「古の門」に次々と呪文を入力して反応をみるのだ。

「私も行かせてもらうわ」

「えっ、あんたも?」

「交渉人としてね。あと個人的な用事もある。私との結婚の約束を一方的に破棄して王女と結婚した男を一発ぶん殴んなきゃならないの」

「おいおい、剣呑だね。それって王様を殴るって話だろ?」

「そう。練習は昼間に終わってる」

 オリヴィアの言葉で頭を殴られたのをガストンは思い出した。なんだか特別頭は良さそうだが、ふてぇ女であることは間違いない。

「そうだ。ジイさんの首についてた輪っかも外しといた。なんか危なそうだったから。急ぎのときに不安要素はひとつでも少ないほうがいいから」

「どうりで首がすうすうすると思った」

 なでてみてやっとガストンは気づく始末だ。経験豊富な冒険者も一時にいろいろ起きると頭が回らない。

 階差機関が動いている間に、ガストンは王宮へ乗り込むための準備を整えさせられた。食事に、湯浴みに、入浴後の薔薇水。ガストンは自分が男前になったような気分になった。

 真夜中過ぎに階差機関は金属板に刻印した暗号文を吐き出した。その文面を見てオリヴィアは激怒し、叫びをあげた。

「何これ。『アンナ王女に愛を込めて』ですって。忌々しい!」

 暗号文を記した紙を破り捨てた瞬間、古の門が発動し、ガストンとオリヴィアはすでに王宮のなかにいた。

「火急のことゆえ、失礼いたします」

 王と女王が同衾する天蓋。絹の薄布をひとつ隔ててひざまずくオリヴィアであったが、やっていることはあまりに暗殺者じみており、今にも「お命頂戴!」と言い出しそうでガストンはひやひやした。

「誰じゃ、お前らは!」

 案の定、王はうろたえて声を裏返らせた。

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