戦慄

「お客様?」


 だが、この時のカストがシャルロットのことを知る由などない。客に応対する時の柔らかい笑みを彼女に向けていた。


「ええ、人形を作って欲しいという遠方の知人がいるんだけど、ここに着くのがどうにも遅くなりそうなの」


 カストは小さな紙とペンを机の上から取り出した。


「何時頃でしょう?」

「夕方四時ぐらいになるかしら。その人を連れてここへ来るわ」


 カストは紙の上にペンを走らせる。職業柄からか、あるいは性格からか文字の大きさは均一で、非常に丁寧なものであった。


「四時ですね。承りました……あの、お名前は?」


 シャルロットは自分の本名を告げるべきか考えあぐねていたが、カストが怪訝な表情で見つめ、「お客様、お名前を伺いたいのですが」と、再度尋ねるので、「シャ、シャロンよ」と、咄嗟に作り笑いを浮かべて答えた。


「シャロン様ですね。では、四時にお待ちしております」


 シャルロットはカストに別れを告げ、店を出た。


「シャルロット、大丈夫だった?」

「大丈夫なはず……多分ね。名前を聞かれたから焦ったわ」


 苦笑いを浮かべるシャルロットをリン・ユーは真正面から睨むように見つめた。


「本当だろうな」

「本当よ! 何よ、疑っているの?」


 シャルロットとリン・ユーの言い合いが始まるのを懸念し、アーサーが止めに入る。


「……ちょっとシャルロット、声が大きいよ。とりあえずここから離れよう」


 アーサーはそう言うと、二人を連れて近くの茂みに隠れた。


「前に会った時と大違い。愛想が良いというか、人間的というか……」

「それはそうだよ……あの時とは年齢も違うし、事件のせいで散々辛い思いをした後だったから。けれど、シャルロットのお陰で少なくとも四時までは店にいてくれるはずだから、あとはダンテさんをどうやって助け出すかが問題だね」

「ダンテの居場所なら、私のカードで見つかると思うわ。ただ、問題はバルトロたちね。この時のバルトロたちは、私を味方だと思っているから」

「……味方、だと?」


 眉間にシワを寄せ睨むリン・ユーの顔を見て、アーサーは思い出す。


「そうだ、リン・ユーは知らなかったんだ」と、アーサーは心の中で動揺しつつも、どうやってリン・ユーに伝えるべきだろうかと模索したが、特段浮かばない。

「ほら、その方が伯爵たちも油断するだろうし……」


 と、苦し紛れの言い訳を言おうとしたところで、


「あ゛?」


 ますますリン・ユーは不機嫌な表情を浮かべる。

 シャルロットは首を横に振った。


「だめよ、アーサー。いつまでもごまかすわけにはいかないわ……本当はもっと早くアンタに言うべきだったわよね」


 シャルロットは自らの鼓動が早くなるのを感じた。「本当のことを言ったら、リン・ユーに何と言われるのだろう」そんな不安が彼女の心をよぎるが、彼女は意を決して打ち明けることにした。


「……私は以前、伯爵と取引をして、スパイとしてアンタたちと一緒に旅をしていたの」

「何の取引だ」


 リン・ユーは両腕を組み、シャルロットの目をまっすぐに睨む。


「……協力をすれば一族を復興させると持ちかけられたわ。昔の華やかな暮らしが取り戻せるなら、それも良いかなと思った。でも、アンタたちと旅をして、その考えが変わったの。だから、あの時に伯爵たちを倒したことは少しも後悔していないわ。むしろ、あんなことがあったのに、マリア様のお陰で今は昔のように生活することが出来ている。本当に頭が上がらないわ。ごめんなさい、ずっと黙っていて。アンタにいくら罵倒されようとも、私は文句を言える立場じゃない。本当にごめんなさい」


 シャルロットは頭を下げ続けた。こうなればアーサーは黙って様子を見守るしかない。強いて出来ることと言えば、リン・ユーが激怒した際に仲裁に入ることぐらいなものである。

 しかし、当のリン・ユーは声を荒げるどころか、シャルロットの話を最後まで静かに聞いた後、黙って頷いていた。


「……お前にとって、それだけ一族が大切だったということか」


 思わぬリン・ユーの反応にシャルロットは驚きの表情を浮かべるも、はっきりと答えた。


「大事な家族だから。お父様もお母様も――二人ともどこか抜けているところがあるんだけどね」

「……それが普通という奴なんだろう。生憎、俺には分からねぇ話だが」


 たった二言ではあるが、二人の胸には重く突き刺さった。両親と暮らしてきた二人と違って、リン・ユーは両親と離れたところで懸命に育ってきたのだ。挙げ句、兄弟たちやその周囲の人間から命を狙われて――りん老師、そして、マリア様の存在がどれほど大きかったことか……改めて考えれば考えるほどにアーサーは言葉が出て来なかった。


「話はそれだけか? 当時のてめぇがあの錬金術師と繋がっていたことは理解した。ならば、俺たちといるところを見られるのは不都合というわけだな」

「……そ、そうね。それに、ダンテを早く見つけないと」


 と、シャルロットがダンテの安否を危惧したところで、アーサーの考えはまとまった。


「リン・ユーと僕が噴水に向かっている間、シャルロットはダンテさんの居場所を探して、安全な場所に避難して欲しい。女の子をひとりにするのは不安もあるけど、状況を考えると今はその方が……」

「大丈夫よ、アーサー。心配には及ばないわ。ダンテを助け出して、必ず合流するから」


 シャルロットはタロットカードを浮かべ、念じた。


「お願い、ダンテのところまで案内して」


 タロットカードは迷うことなく、ある方向へとまっすぐに進み出した。シャルロットは走るようにしてカードの後を追う。


「ん? この方向は……」


 アーサーは懐中時計を左手に乗せ、方角を確かめた。顎に手を添え思案する彼にリン・ユーが問う。


「どうした?」

「もしかしたら、僕たちと同じ方向かもしれないですね。だとしたら、少し時間を置いてから行った方が良さそうだ」


 シャルロットの背中を見送った二人は、しばらく茂みの中で待つことにした。

 リン・ユーは胡坐をかき、腰に納めていた剣を静かに抜いた。

 アーサーもその場に座り、リン・ユーの持つ剣に目をやる。白い玉のついた剣は太陽の光を受け、その輝きをよりいっそう強めていた。

 だが、剣を握るリン・ユーの表情はどういうわけか曇っていた。リン・ユーの性格から考えて、伯爵たちと相対することに恐怖を感じているとは考えにくい――そう考えたアーサーは、

「リン・ユーの中で、何か引っ掛かりがあるようですね。ダンテさんの言っていた選択の意味……ですか?」

 と、問いかけた。


 ややがあったものの、リン・ユーははっきりと頷いた。


「ああ、どうにも腑に落ちない。リオウの前ではああ言ったものの、俺がどう立ち回るかで変わる……何を指しているのかがはっきりしねぇんだ」

「リオウとダンテさん――同じことを指して言っているのか、それとも、それぞれ別のことを……リオウはともかく、ダンテさんがどこまで分かっているのか、というのにもよりますよね」


 リン・ユーから返事はなかった。彼は目を閉じ、両手を自身の前で組んでいた。


 ――瞑想?


 沈黙が続く。

 アーサーはリン・ユーの様子をうかがいながら、ダンテや彼の書いた本について考えることにした。


「あの本に書かれていた歴史は、僕たちの時代のほんの少し前まで。しかも、あの書きぶりからみるに、ダンテさん自身は現場から離れた場所にいて、バルトロたちとは会っていないし、事件後も生きていて歴史を書き続けていたことになる」


 だが、そこまで考えたところで、ダンテの持つストーンの能力に考えが至る。


「いや、待てよ……実は現場にいて、無効化の力が働いたことで無事だった? いずれにしても、今回僕たちが来たことが影響しているのかは定かではないけど……」


 アーサーが両腕を組み思案していると、リン・ユーは瞑想を止め、立ち上がった。


「――行くぞ」


 短く告げるリン・ユーに対し、アーサーも頷き立ち上がる。

 シャルロットに遅れること約二十分、二人は噴水を目指した。フィラネッツェ横丁から距離にして約三マイル離れたディアマーレ南部。高くそびえ立つ教会の塔を目印に歩く。


「見えてきた、噴水だ」


 昼を過ぎたが、辺りに人影はほとんど見当たらなかった。

 二人は噴水の前で立ち止まり、向かい合う。


「僕たちの剣で、時空の歪みを正してみせる。皆で帰るんだ」


 腰に身に着けた剣の柄を握り締めながら、アーサーは心の中で強く誓った。


「リン・ユー、心の準備は良いですか?」


 アーサーが話しかけた時だった。

 黒い影が噴水の上に重なる。

 ぬっと大きく伸びた影の主に、アーサーは目を大きく見開いた。ヘーゼル色の目に映った影の主は不気味な笑みを浮かべていた。


「よお、小僧。こんなところで会うとはな。もうひとりは見かけない顔だが、連れであることには変わりないか」

「バ、バルトロ……」


 アーサーは全身が凍りつくような思いで影の主――バルトロを見上げた。

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