希望の光

 月光の下、女は扇子をしまい、右手を広げた。胸元に着けている青色のブローチが光り輝く。掌からは冷気が放出され、おびただしい数の氷の粒が彼女の手の周りに集まった。


「この至近距離なら、いくら錬金術師のお前でも逃れるすべはない」


 女が氷の粒を放つのとほぼ同時に、ダンテは眼帯を取った。彼の左目が赤々と光る。

 女の放った氷の粒は、ダンテを避けるようにあちこちへと散らばっていく。散らばった先には、無数の弾丸のような跡が残っていた。


「全てけた……だと?」


 女は目を見開いた。


「綺麗なバラにはトゲがあるからのう。危うく、我もこうなるところだったかのう」


 ダンテは足元の氷に目を向けた。


「この氷、ただの氷ではなさそうだのう――間違いない、我の力を吸い取っている」


そう確信した彼は、足元に向かって手を広げ、「溶かせ」と、一言唱えた。


「させないわ」


 ダンテが氷を溶かし切らないうちに、女は容赦なく次の攻撃に移ろうとする。持っていた傘に冷気をまとわせ、ダンテに殴りかかる。

 ダンテは足元の氷を溶かすのをあきらめ、リン・ユーに相対した時と同じように傘を両手で挟んだ。

 傘に放出された冷気はたちまち氷と化し、傘全体を覆う。


「あら、案外力が強いのね」

「そりゃあ、男だからのう……美人とやり合うのは少々気が進まんが、女性相手に格好悪いところを見せたくないと考えるのが男というものさ。その傘はシニョーラにとって大事な物かのう? このまま続ければ折れてしまうのう」


 先程まで明るかった月は雲にすっかり隠れ、女の持つ青いストーンとダンテの左目が闇夜で輝きを増していた。


「その減らず口、すぐに黙らせてあげる」


 ダンテのへらへらとした態度にイラついたのか、女はさらなる冷気を体から放出させた。銀色の鎖が傘の周りに現れ、高い金属音を立てながら砕け落ちる。傘を覆う氷がみるみるうちに厚くなり、先にいくにしたがって鋭利なものとなる。


「……枷の鎖? ジャックか。力を抑えていたとは……ふぅ、さすがに寒いのう」


 ダンテは冷気で身震いしながらも、必死に耐えようとする。

 だが、彼の足元は再び氷で覆われていき、傘を挟んでいた両手からは血がぽたぽたと流れ始めた。


「氷の剣か……まさか、我の無効化を上回るとはのう」

「それがお前の能力? さっきまでの余裕はどこかへ行ったようね。私の勝ちかしら?」


 不敵な笑みを浮かべる女に対し、ダンテはなおも口角を上げて答える。


「……少しも負けとらんさ。どうやら、シニョーラを少しばかり甘く見ていたようだがのう」


 口ではそう言うものの、彼は内心焦りも感じていた。


「これは一気にケリをつけるしかないかのう。足元の氷をどうにかしなければ……長期戦に持ちこまれたら、我にとって不利だ」


 頭の中で戦法を吟味した彼は、唸り声を上げながらあらん限りの力を振り絞る。彼の左目は、よりいっそう光を強めた。手の傷はあっという間に塞がれ、足元の氷も徐々に溶けていく。


「……これで、振出しに戻ったのう」

「嫌いね……お前みたいな暑苦しい男は」

「ははは、真っ向からフラれた方が清々しくて気が楽だのう。お陰で、思う存分力を発揮することが出来る。折れないなら、こうするしかあるまい。手加減はもう……なしじゃ!」


 ダンテは傘を両手で挟んだまま大きくひねった。

 女が傘を手放す間もなく、彼女の体は振り回される。やがて、地に背中を打ちつけ、うめき声を上げた。

 ダンテは肩で息をしながら、足元に残った氷を再び溶かそうと試みる。


「……溶かせ」


 首にかけている五芒星のペンダントがきらりと輝いた。


「やはり、我の欠点だのう。これから来るものに対しては無効化出来ても、すでに受けた攻撃は回復、もしくは錬金術で対処するしかない……にしても、だいぶ力を吸い取られてしまったようだのう」と、自身の能力を頭の中で見つめ直す。


 彼が足元の氷をようやく溶かし終えた時、


「よそ見をしている暇はない」


 女は再び氷の粒をダンテに向かって放っていた。


「……仕方がないのう」


 またもや氷の粒はダンテを避けるように凍った地面に突き刺さっていく。

 だが、あと数粒というところで彼の方をめがけ、氷が弾丸のように向かってくる。


「……力を使いすぎたか。避けきれん」


 ダンテは胸の前で腕を交差させ、顔をその裏に隠した。

 直後、氷は音を立て、彼の腕や足に命中する。

 ダンテが痛みに悶えるさまを、女は満足げに声を立て笑っていた。


「だいぶお疲れのようね」

「へっ……そう言うシニョーラも、さっきのでだいぶ力を使ったんじゃないかのう?」


 ダンテは腕から流れる血をもう一方の手で押さえ、周囲を見回した。


「それにしても、これだけの規模を一瞬で凍らせてしまうとは――我の作ったストーンながら恐ろしい。やはり、ジャックの手元に欠片のいくつかが集まっているのだな」

「いくつか、なんてものではないわ。生憎ね、欠片の多くは伯爵様の手の中に……」


 女はダンテの腕を見た。先程と同じく、傷口を塞ごうとしているのだろうか。その考えがよぎるや否や、


「時間稼ぎをしようという魂胆なのだろうが、そうはさせない――お前を、伯爵様の元へ連れて行く!」


 女は氷で覆われた傘を再び手に、ダンテの方へ走り出す。


「見かけによらず、なかなかのお転婆だのう」


 ダンテはへらへらした態度で臨むも、


「泣いても笑っても次が最後の一手……どう転がろうとも、これにかけるしかないのう」


 自らに言い聞かせるように心の中で呟くと、地面に手を向けた。


「燃やせ」


 火柱が立ち、渦を巻く。炎の渦が周りの氷を溶かしながら女の方へと向かった。

 だが、女は慌てるどころかほくそ笑むばかりで「そろそろ……」と、意味深に呟く。

 まもなく、炎は女を飲み込んだ。


「……やったか?」


 ダンテの息は上がっていた。

 次の瞬間、「ザバッ!」という水しぶきが地面から吹き上がり、雨のように降り注いだ。炎はたちまち鎮火される。


「……水も、操れたのか」


 ダンテが呆然と立ち尽くす中、女は肩で息をしながらもほぼ無傷の状態で立っていた。


「へっ……ここ、までか。ち、からが……」


 ダンテはふらふらと足をもつれさせながら、その場に膝をつき倒れた。

 女は勝ち誇った様子で彼に近づく。


「ふふ、思ったとおりね」

「……何、だって……」


 女の言葉に戸惑いを隠せないダンテ。

 懸命に起き上がろうとする彼を、女は高笑いしながら眺めていた。


「寄生型――お前のストーンは恐らくその左目。組織の人間で同じタイプのがいるのよ。ストーンの力自体はとても強い。気に入らないが、私のよりはるかにね。だがその分、体力の消耗は人一倍激しい。力さえ使わせてしまえばこっちのもの」

「……それが、シニョーラの狙い、だった、と……く、やしいのう。ああ……悔しい、のう……おまけに、ジャックの仲間に……惚れた、とは。だが、なぜ我の知らないことを、知っているのだ? しかも、我のつけた『寄生型』……という名まで……シ、ニョーラ……名前、は?」

「本当にしつこいのね。長々とした問いに答えるのも面倒」


 女は悪態をつくと、すっかり氷の溶けきった傘の先でダンテの顔を強引に持ち上げた。


「顔だけ見ればそれなりに――しゃべらなければ……」


 女の足元がふらつく。彼女は傘を引っ込め、その場に座り込んだ。


「おあいこ、だのう……」

「図に乗るな、私に負けたくせに!」


 へらへらと笑うダンテを一喝した後、「ルクレツィア」と、自らの名を告げた。


「ル、クレ……ツィア、か……うっ」


 ダンテは起き上がり切れず、目を閉じ倒れる。懐からは先程取り外した黒い眼帯が転がった。若返りの水の効力を失ったのか、ダンテの容貌は本来の年齢のものに戻っていく。

 彼の手や腕に刻まれたシワの数々を、ルクレツィアは黙って見つめていた。


「これがお前の本当の姿のようね――どおりで若かったはずだ」


 ルクレツィアは眉間に深いシワを寄せた。


「やっぱり嫌いだわ……醜い」


 彼女が振り返ると、炎が通った箇所を除き、辺りが氷で覆われていた。

 傘を杖代わりにして彼女は立ち上がり、大きな溜息をついた。


「……伯爵様に、また付けてもらわねば」

「ルクレツィアをここまで手こずらせるとはな」


 ルクレツィアは振り返った。


「バルトロ!」

「本来ならフォンテッド卿から大目玉を食らうところなんだろうが、まあ、今回のことで不問になるだろう。俺とフォンテッド卿が時空間を移動した時、俺の肩についた水滴はアンタだったんだろう?」

「あら、分かっていたの」

「そりゃあ、分かるさ。何年も一緒にいりゃあな。さてと、人に見つからねぇうちにコイツを運ぶか。一人で歩けるか? ルクレツィア」


 バルトロが差し出した手をルクレツィアは払いのけた。


「お前の助けなどいらない!」

「はいはい、分かったよ」


 バルトロはダンテの体を難なく持ち上げ、肩に担いだ。

 その衝撃でダンテは薄目を開けたが、体に全くといって良いほどに力が入らない。

 地面に向かってだらんと垂れ下がった両腕は、バルトロの動きに合わせてゆらゆらと揺れていた。


 ――あの子らに、知らせなければ……いや、なぜあの子らに? 会って間もないのに、なぜ……我は何を期待しているのか。ジャックを共通の敵とみなしているからか? 二振りの剣を手にしたからか? それとも……理由は分からない。だが、我にとって、あの子らは……。


 遠のいていく意識の中、ダンテは二人に見つからぬよう手の中に小さな紙を出現させた。


 ――今の我にとって、これが限界だのう。我にとってあの子らは……まぎれもない、希望の光だ。


 今こそ、立ち上がる時。

 己の信じるまま道を選び、剣の力存分に奮いたまえ。


 心の中の言葉を紙に焼き付け、夜風に放った。彼の思いを乗せた紙は工房を目指して飛んでいく。

 ダンテはバルトロの肩の上で再び目を閉じた。

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