贖い―アガナイ―
左目から失った光を取り戻すべく、我は退院して早々若返りの水をこしらえた。入院中、ジャックにその製法を教えたおかげで、その
挙げ句、「第三の玉」の噂を聞いた諸外国が風の国に度々戦争を仕掛け、玉を我が物にしようとした。
血にまみれた石――人々はいつしか「ブラッディ・ストーン」と呼ぶようになった。
人を助けるために作り出した物が、今や血で血を洗う戦争の引き金となっている。我はこのことに我慢ならなかった。そして、玉を作り出した己自身を――己の愚かさを何度も呪った。
あんな物など初めから作らなければ……。
だが、今さら嘆いたところでその事実は変えようがない。戦争で失った命は戻らない。
我はこの時、どうしたらこの罪を
さらに、追い打ちをかけるかのように最悪の事態が我らを襲った。
ジャックの愛娘、オッタヴィアがこの世を去ったのだ。ミラーネ劇場で得意の歌を披露した際に、天井から落下した照明の下敷きになり、火事で命を落とした。その上、ジャックは事故の後国王の
「ダンテ、玉があれば私の娘は生き返ると思うか?」
「こればかりは俺にも分からんよ。師匠も言っていただろう? 人を生き返らせるには代償が伴うと……ジャック、お前さんの命が危うくなるかもしれん。仮に命が奪われなくとも、体が無事に保たれるとは限らんからのう」
「玉を取り返す……どんな手を使っても」
「おい、正気か?」
「本気だ。是が非でも取り返す……あの玉でオッタヴィアを蘇らせてみせる」
「やめた方が良い。お前さんがその気なら……俺が全力で止めてやる!」
そうは言ったものの今にして思えば、その言葉はただのはったりに過ぎなかった。なぜなら、その時のジャックはすでに……。
「私を止めるというなら、お前をここで殺す」
この瞬間、全身に悪寒が走った。自然と声が震える。
「……た、玉は今や戦争の道具だ。玉を壊すというなら、俺も協力しよう。だが、お前さんが玉の力を使うというなら……」
冷たい目――にも関わらず、その口元は不気味に笑っていた。
あの時の太陽のような眩しい目は、そしてどこか遠くを見つめるようなあの目は、いったいどこへ行ってしまったのだろう――幼い頃の面影は、今のジャックに全くと言っても良いほどに見当たらなかった。
変わり果てたジャックの姿に我は恐怖を覚えた。
ジャックは薄く笑った。
「ダンテ、お前に私を止めることなど出来はしない。だが、ここで殺すのは惜しい。お前は頭がいい……利用出来る余地はいくらでもある」
「利用、だと……」
我は頭の中が真っ白になった。最初から利用されていたのかと――。
「玉がここにない以上、手にした者のいいように使われるだけだ。それを阻止するためにも、私と手を組まないか? 我が友よ……」
あれから二十二年――。
人々に忌み嫌われた玉はついに我らの元に帰ってきた。
「これでついに」
ジャックは満面の笑みを浮かべ、包んでいた布を取り払った。
ところが、あれだけ眩しく光り輝いていた虹色の玉はすっかり変わり果て、黒く濁っていた。
「残念だが、ジャック。コイツは……」と言いかけたところで、左目に痛みが走る。
「……痛っ!」
我が痛みに悶えていると、
「どうした、ダンテ。痛むのか?」
「ああ、急に痛みが。ジャック、悪いがコイツは預からせてくれ。浄化が必要みたいだからのう」
「浄化だと? まさかそう言って玉を奪う気ではないだろうな」ジャックが玉を素手で触れようとしたがまもなく、「うっ……何だ、これは!」ジャックは慌てて手を離した。見ると、ジャックの手は真っ赤にただれている。
「人々の欲を吸って、こんなにも真っ黒くなってしまったんだろう。これじゃ、虹色の玉の面影など少しも感じられんのう」
「真っ黒だと? 虹色に輝いているではないか」
我は目を見開いた。ジャックには、玉の色が見えていないのか――いや、それとも自分が見えているものがそもそも人と違っているのか。
だが、玉から放たれているこのどす
「まさかお前さん、玉の本来の色が見えていないのか?」
「ああ、以前と全く変わりない。それとも、私に見えていないものが、お前には見えているのか? 同じ錬金術師でありながら……」
そう言うと、ジャックはしばらく黙り込んだ。
「玉を作ったのは誰でもない……この俺だからのう。作った者にしか見えないのかもしれん」
我の言葉で、さすがのジャックも自身の手で処理しきれないと踏んだのだろう。しばらく考えたのち、重々しく口を開いた。
「……お前に任せる」
満月の夜、我は玉を窓辺に置き、月光を浴びせることにした。
すると、月の光を浴びた箇所がきらきらと光り始めた。
「これで本来の色に戻ってくれれば良いのだが……うっ」
再び左目に訪れた痛み。我はたまらずその場で崩れた。
その時――。
――パリン!
何かが高い音を立てて割れた。
だが、この瞬間我の視界には床と机の足以外、見えていなかった。何が割れたのか、この時はまだ知る
「……ぁあ! ひ、左目が……熱い!」
顔の左半分が炎に焼き尽くされているような気分だった。
しばらくして、左目の痛みがおさまったところで立ち上がり、机の上を見た。
すると、あるはずの物がそこにはなかった。
「玉が……ない。いや、これは?」
机の上に玉の姿がなかった。
だが、その破片と思われる物がいくつも散らばっていた。
更に、床には窓ガラスの破片が散乱し、外から風が吹いていた。
「……玉がひとりでに出て行ったというのか?」
我は開いた口が塞がらなかった。
「ジャックに何と申し開きをすれば良いだろう」
ここで我はこれまでのジャックの言葉を思い返した。
――お前をここで殺す。
――利用出来る余地はいくらでもある。
――玉を奪う気ではないだろうな。
これらの言葉をしばらく頭の中で反芻した
「そうだ……俺はジャックに利用されていただけなんだ」
それまで
それと同時に、
「そもそも人々に忌み嫌われた玉をジャックに渡すこと自体、間違っているのではないか」
以前の葛藤が頭の中に蘇る。
我はさらに考えを巡らせた。
「もしや、玉の欠片が飛び散ったことには何か意味があるのではないか?」
机の上に残った僅かな破片に恐る恐る触れてみた。
すると、それぞれの破片は赤や緑、紫といった様々な光を放ち始める。
まるで生きているかのように――。
気付くと、光を失ったはずの左目が、
「み、見える! まさか、あの時……」
玉を完成させる間際に目に入った液体――あれは玉の欠片に他ならない。
我は破片を手に乗せ、窓の外に浮かぶ月を見上げた。夜空に光る真っ白な月は、美しい輝きを放っていた。
「ブラッディ・ストーンなどと、二度と人々の口から言わせまい。玉よ……いや、それでは何だか味気ないのう。元の形も保っていないというのに……ストーンよ、再び希望の光を灯してくれたまえ」
我は心からそう強く願った。
――我が友よ……。
ジャックのあの言葉には特別な意味などなく、友と思っていたのは我だけだったのかもしれない。
――貴族様。
初めて話しかけたあの時から、我らの関係は少しも進展していなかったのかもしれない。
「俺が貴族の息子なら、こうはならなかった……のか?」
貴族と商人――身分の壁は想像以上に高かった。
馬鹿にされたくない一心で読んだ本の数々も、ジャックからすれば無駄なあがきだったのだろう。
「俺はどうあがいても商人の息子だ。そのことには変わりない。俺がどんなに頑張っても、必死に肩を並べようとしても、お前さんはずっと俺のことを馬鹿にしてきたんだろう」
今まで心の中で
「ジャック、お前さんに二度と利用などされてたまるか。俺は――いや、我こそはダンテ・カルロッサ。ストーンの
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