隻眼の男

「着きました。もう目を開けても大丈夫ですよ」


 アーサーの合図でシャルロットとリン・ユーは目を開けた。


「もう夜なのね。翡翠の谷にいたせいかしら、時間の感覚がないわ」

「あの時も夜だったね。数ヶ月前の記憶が甦るよ」


 三人が夜空を見上げると、星が辺り一面に散らばっていた。


「綺麗ね。砂漠で見た空も綺麗だったけど」


 夢中で夜空を見上げるシャルロットに対し、リン・ユーは苛立たしげに「チッ」と舌打ちをした。


「見惚れている暇なんざねーぜ。白龍の言っていることが本当なら、明日は決戦だろ? 奴らが現れる」


 アーサーはごくりと唾を飲み込んだ。ここディアマーレで起きた大惨事――水の国教会爆発事件、これにより被害を受けた場所を人々は「忘却の丘」と呼ぶ。その「忘却の丘」に今も残る瓦礫の山、伯爵たちと対峙したローレンの屋敷での戦闘······これら数ヶ月前の出来事を、彼は昨日のことのように思い出していた。


「伯爵とバルトロがここに――だとしたら、今僕たちにできることはまず……リオウからもらった白い玉を使って、剣を召喚すること」

「それはもちろんだけど、リオウの言っていた『もうひとり』というのも気になるわ。誰を指しているのかしら。ねぇ、水の国で起きた教会爆発事件って、カストが不死の体になった事件よね? ということは、カストのこと?」


 アーサーはシャルロットの考えにいったん同意しかけるも、リオウの言葉を思い出し、考えを改めた。


「リオウの話だと、僕たちと会ったことのない人物みたいだから、カストさんではないと思うよ。可能性としては、師匠のメラトーニさんなら考えられるかな……」

「いずれにしても、アイツが不死になるのを阻止すれば、奴らの計画を邪魔することにも繋がる――奴らが現れる前に、アイツに接触する必要がありそうだな」

「カストさんとどう接触するかが問題ですね。過去を変えないようにするにはどうしたら良いか」

「バカ。その過去とやらを変えるために、俺たちはここに来たんだろう?」

「……確かにそうですね」


 リン・ユーの的確なツッコミにアーサーは苦笑いを浮かべるが、冷静に数か月前の記憶を手繰り寄せ、情報を整理していく。


「人形店はフィラネッツェ横丁にあったはず。フィラネッツェ横丁の周りは運河で囲まれていて、剣を召喚した台座は南に行った、セント・ナザリア教会の前にあった噴水の中だ」

「どのみち、フィラネッツェ横丁に向かう必要はありそうだな」


 リン・ユーの考えにはシャルロットも同意した。

 三人はただちに運河の船着き場へと向かう。運良くフィラネッツェ横丁へ向かうゴンドラの最終便に間に合った彼らだったが、アーサーとシャルロットはこれまでの旅による疲れが頂点に達していたのか、ゴンドラの揺れでともにまどろみかけていた。


「お客さん、そろそろ着くからね、下船の準備を。疲れているのかい?」


 漕ぎ手であるゴンドリエの声で二人は慌てて目を覚ました。

 その様子を横で観察していたリン・ユーは、「吞気な野郎どもだ」と悪態をつく。

 フィラネッツェ横丁に到着したところで、アーサーが自身の懐中時計に目をやると、午後九時を回ろうとしていた。店という店からは明かりが消えており、わずかな街灯と記憶を頼りに歩く他はない。


「人形店はあそこのようですが、明かりが消えていますね。人通りのない夜中を狙って、剣を召喚しますか」

「それより他はないだろう」リン・ユーもアーサーと同意見だったが、シャルロットは「やっぱり夜中なのね」と肩を落とし、一人落胆した。


「シャルロット、落ち込まないで。それまで少し体を休めよう。明日は長くなるだろうから」

「そうね。けれど、民宿なんてこの辺にあったかしら」

「それもそうだ」と、民宿の場所に心当たりのないアーサーは顎に手を添え、考え込んだ。

「火の国では、住む場所のない者に一部の寺で寝床を提供していたがな」

「寺か……」


 アーサーには寺がどういう場所なのか、アイビスから話で聞いていただけなので、それほど実感がわいていなかったが、「こちらで言う教会のようなものだろうか」という考えに至る。


「まずは教会に行ってみますか? 入れてもらえるかは分からないけど、どのみち噴水の近くにいた方が動きはとりやすいと思うから」

「そうね……ここにいても、民宿が見つかるとは思えないし」


 シャルロットは半ば諦めたような声を出しながらも、アーサーの意見に従った。

 三人が噴水のある南側を目指して移動を始めてからまもなく、鐘の音が辺りに響き渡る。


「この音、教会からかしら?」

「恐らく。幸い、今は人通りも少ないから、運が良ければすぐに台座を動かすことが出来るかもしれないよ」


 彼らはやや急ぎ足で教会を目指した。

 リン・ユーにとっても、出来ればその方がありがたい。翌日に備え、出来る限り体は休めておきたいというのが彼の本音だ。

 次第に、今では瓦礫の山が広がる「忘却の丘」のかつての姿が三人の視界へと入る。


「前に来た時は、今より一年前の年だったわね」

「事件の前の年だからね」アーサーは頷いた。続いて彼は、辺りを見回し、人がいないのを確認すると、噴水の側面にあるくぼみに手を触れる。

「リン・ユー、玉を」


 リン・ユーは懐から白い玉を取り出したが、台座が現れるどころか何も起こらない。


「……おい、どういうことだ?」


 困惑する三人の背後から足音が聞こえる。足音を聞くなり、リン・ユーは背負っていた大刀に手をかけた。


「誰だ?」


 ぴりぴりとした殺気を放つ彼にまったく構うような様子を見せることなく、その人物はこう告げた。


「今は無理じゃのう。すっかり隠れよったわ」


 アーサーたちが振り返ると、頭に白いターバンを巻き、左目に眼帯をした男が立っていた。


「あなたはいったい……」


 アーサーの問いかけに、男は鼻で笑った。


「『お前は誰だ?』という問いなら、こちらが問いたいところだのう。あの男の差し金か、はたまた……まあ、尋問すれば分かる話か」

「尋問だと? てめぇ、誰だか知らねぇが、下手な真似するとただじゃおかないぜ」


 リン・ユーの耳に着いた赤いピアスがきらりと輝く。


「ん? その赤い光は……」


 男はおもむろに眼帯をとった。

 暗闇だが、燃えるように光る赤い目がアーサーたちにもはっきりと見える。


「汝、我が目に真実の姿を示せ」


 男がそう言い放った瞬間、リン・ユーのピアスは音を立てて割れた。

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