予言の龍

 龍はその碧眼をまっすぐアーサーの方へ向けていた。龍の持つおびただしい数の鱗が、霧深い谷の中で銀色にきらめいている。その神々しい姿を目の当たりにしたアーサーは思わず息をのんだ。


主様ぬしさま!」紫水しすいは慌てて左の拳に右手で添え、深く頭を下げた。


「やっぱり様子を見に来て正解だったね」

「紫水は容赦ないんだもの」


 けらけらと笑う子どもの声。聞き覚えのあるその声で、アーサーは龍の背中に目をやる。


「君たちはさっきの……」

「心配だったから、主様のところへ戻ったの」

「主様にはお見通しだったけどな」


 龍の背中から顔を出したのは紛れもない、先ほど谷の入り口で別れた姉弟だった。


光春こうしゅん光明こうめい……さてはまた大通りの方へ」


 紫水が顔を上げ、二人の方を睨む。


「僕たちは主様の命令で行ったんだ」

「そうよ。お迎えに行きなさいって」


 紫水は驚いた表情を浮かべ、龍の顔を見る。


「主様が?」

「どのような者か、ここへ来るまでにしっかりと見定めさせてもらった。困っていた二人を見捨てることなく、ここまでたどり着いた。一切の問題はない」

「お言葉ですが主様、だからといって一族以外の者をここへ入れては――主様に万が一のことがあれば……」

「同じ一族だからといって、すべてが善の心を持った者とは限らない。人は人――中には悪の心を持った者もいる。そこの若者が一番感じていたことだろう。大切なのは血ではなく、心」


 龍はリン・ユーの顔をまっすぐに見る。

 リン・ユーは無言で頷き、俯いた。


「光春、光明――解きなさい」


 龍の言葉で姉弟は龍の背中から降り、姿を変える。姉の光春は白い虎、弟の光明は白い亀の姿になった。

 その様子を見て、アーサーとリン・ユーが瞠目する。


「どうでもいいけど、早くここから出しなさいよ!」


 紫水の持つ鏡の中から大声で叫ぶシャルロット。アーサーは我に返り、


「シャルロットを出してはもらえないでしょうか。僕たちの大切な仲間なんです」


「紫水……」龍は声色を低くし、「出しなさい!」と、ぴしゃりと言い放つ。


 紫水は鏡を高らかに掲げた。すると、再び鏡面が輝き、中からシャルロットが顔を出す。


「ようやく出られるわ」


 シャルロットは安堵の表情を浮かべ、地面に飛び降りた。


「シャルロット、無事で良かった」


「まったく……焦ったわ」シャルロットは眉間にしわを寄せ、びしっと指の先を紫水の方へ向ける。「アンタねぇ! 見た目はかっこいい、いい男だと思ったら、性格はリン・ユーと変わらない、めちゃくちゃ短気な男じゃないの! いきなりレディをあんな狭い鏡の中に閉じ込めるなんて、本当に最低なんだから!」


 リン・ユーの額に青筋が走った。


「俺をあんな奴と一緒にすんじゃねぇ! だいたい、アイツは……」


 紫水はぽかんと口を開け、黙ってシャルロットの方を見つめてから小声で口にする。


「……私は女だ」

「えっ!?」


 シャルロットだけではなく、アーサーも目を丸くした。

 だが、リン・ユーは一切動じることなく「ふん」と鼻を鳴らす。


 それを見たシャルロットが、じろとリン・ユーの顔を見つめ、「で、何でアンタは驚かないのよ」


「あ? んなことで、何で驚く必要がある?」

「だって、分かっていたみたいじゃない」

「いちいち面倒くせぇ女だ……白龍に礼をしていた時の奴の拳が、左右逆だったんだよ」

「左右逆?」

「男は右の拳を左手で包む。左右逆にすると、葬儀や命乞いの意味になっちまうから、今はやらんが。これが、火の国での作法だ。裏を返せば、男であの所作をやっていたというなら、奴は非常識極まりない男だということになる」


 淡々というリン・ユーに、紫水は苛立ちをあらわにする。


「やはり私は……主様が何と言おうと、お前らは好かん!」


 龍は呆れたように嘆息した。


「紫水、言葉は慎みなさい。光一族の者に、私の生んだもう一つの玉を持つ者……運命とは不思議なもの。こうなることは分かっていたが」

「あなたには、すべてお見通しなんですか? 神様……それとも、白龍様?」


 呼び方に悩むアーサーを見て、龍は「ふっ」と鼻で笑った。


「私はリオウ――『様』などは一切いらない。これが私の名」

「リオウ……砂漠で僕たちのところへ現れたのは、あなただったんですよね?」


 アーサーの問いに、リオウは首肯した。


「私がお前たちを招いた。話せば長くなるだろう。ついてきなさい」


 リオウに誘われるまま、アーサーたちは谷の奥へと入る。リオウが通ると、目の前の霧が晴れ、ようやく一帯を見渡すことが出来た。辺りは木々が生い茂り、先には鍾乳洞のような入り口が見える。


「この中に入るの?」


 シャルロットが不安げな表情を浮かべながらリオウに尋ねた。


「ここが私の住処すみか。私といれば危険なことなど何一つない」


 リオウは振り返ることなく、中へと入っていく。暗闇の中で、リオウは全身の鱗を輝かせながらアーサーたちを先導する。奥に入るに従い、ぽたぽたと水滴の落ちる音、そして、ザーザーと流れる滝の音が聞こえてくる。


「これは……」


 アーサーは、目の前に広がる光景を見て思わず息をのんだ。青々とした湖。周囲を真っ白な岩々が囲む。その岩の中でも、対角線上に並ぶ四つの岩がとりわけ隆起していた。


「紫水、光春、光明」


 リオウの合図で、三人は素早く隆起した岩の上に飛び乗った。紫水は持っていた鏡を湖の方へ向け、光春と光明はその場で座り込む。続いて、リオウも光春の向かいにある岩の上へ首をもたげ、目を閉じた。

 すると、湖の水面が光り、紫水の持っていた鏡から金色に輝く鳳凰が姿を現した。鳳凰は紫水、光春、光明、リオウの周りを旋回した後、リン・ユーの前に降り立った。口には金色の羽根を一枚くわえ、リン・ユーの方をまっすぐ見上げていた。


「受け取りなさい」


 リン・ユーは、リオウの言葉に瞠目するも黙って片膝をつき、羽根を受け取った。


「お前は後々、重大な選択を迫られることになる。その羽根が、お前を正しい道へと導いてくれることだろう」


「……重大な、選択?」と口にしてから、リン・ユーは出立前にマリアと交わしていたあの言葉を思い出した。



 ――その時は……に従うまでのことよ。



 彼はその言葉を頭の中で何度も繰り返し唱え、無言のまま頷いた。普段の彼からは想像もつかないありように、アーサーとシャルロットは続けて彼の名を口にするが、当のリン・ユーは落ち着き払った様子で、


「初めから分かっていたことだ。今更驚くような話でもない。この羽根は、ありがたく受け取っておくぜ。それと、白龍……」


 続いてリン・ユーは躊躇った様子を見せながらも、


「てめぇに聞きたいことがある。そこの女もてめぇも『光一族』と言っていた。俺の母上のことで何か知っていることはあるか?」


 リオウの目をまっすぐに見つめた。

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