第三章 翡翠の谷を目指して

火の国

 龍の影を追い、水の中に飛び込んだアーサーたちは必死に泳いでいた。

 影は時折、後ろを振り返る。アーサーたちがついてきているのを見て、また前へと向かう。


(息が……)


 アーサーが苦しそうな表情を浮かべていると、隣にいたシャルロットが後れを取り始めた。


(シャルロット――そうか、ドレスが邪魔になって……)


 その様子を見かねたリン・ユーがシャルロットの腕を引っ張る。アーサーもシャルロットの背中を押すように泳いだ。

 まもなく、影は動きを止め、三人を見つめる。


 ――私が導けるのはここまで……翡翠の谷にて待つ。


 影から神々しい光が放たれた。






「……サー! アーサー!」


 シャルロットに体をゆすられ、アーサーは目を明けた。


「シャル、ロット……ここは――確か、龍を追って水の中に飛び込んだはずだけど」


 アーサーが後ろを振り返ると、古めかしい井戸があった。水面みなもにはうっすらと輝きが残っている。


(もしかして……僕たちはあの井戸を通って――)


「火の国だ」と、シャルロットの代わりにリン・ユーが答える。


「リン・ユー……着いたんだね」

「とは言え、目的の翡翠の谷まではまだ距離があるが」

「火の国のここはどこなの?」


 今度はシャルロットが尋ねた。


「宮廷からほど近い、露天商の連なった大通りだ」


 大通りを囲むように通りの左右に店がびっしりと並ぶ。商人たちの「いらっしゃい!」「まいど!」などといった元気な掛け声が飛び交う。


「何だかお腹がすいてきたわ……あー、いい匂い!」

「コイツ……」


 呆れるリン・ユーをよそに、匂いにつられたシャルロットが店の前に行くと、店主が大きな鍋で栗をっていた。


「いらっしゃい! お嬢ちゃん、面白い格好しているね」

「面白いですって?」


 反応に困ったシャルロットだったが、鍋から炒りたての栗が出てきたのを見ると、目を輝かせる。


「甘栗一袋ください!」

「はいよ! 少しおまけしておくね」


 店頭のものにいくつか加えたのを見て、シャルロットは満面の笑みを浮かべた。


「ありがとう! アーサー、リン・ユー、一緒に食べない?」

「ありがとう……僕もお腹がすきました」


 と、アーサーが甘栗をつまんだ時、


「さあさあ、寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい! 龍の鱗の入った薬だよ。どんな病気にでも効く優れものだよ」

「龍の鱗……だと?」


 リン・ユーが怪訝な顔で薬売りの方を見つめる。

 彼の視線に気づいたアーサーが、


「どうしたんですか?」

「……ありゃ、イカサマ商売だ」

「イカサマ?」

「龍の鱗なんざ、そう簡単に手に入るわけがない。龍に認められ、あの聖域をくぐりぬけなければ、な」

「聖域って……ノワール渓谷と同じ?」

「ああ、翡翠の谷の中……要するに、龍の住処すみかだ」


「あの……その薬をください!」


 どう見ても十歳に満たない姉弟と思われる二人が薬売りに声をかけていた。


「ダメだ、ダメだ! この薬は貴重なんだ。お前たちの小遣いなんかで買える代物じゃない」

「おい、薬売り、一つくれぬか?」


 役人らしい男に声をかけられた途端、薬売りの態度ががらりと変わる。


「おう、これはこれは……さすが旦那、お目が高い」


 薬売りは客から受け取った札束を握りしめ、ニタニタと笑い出した。

 その様子を見ていた先ほどの少女が勇気を振り絞り、再び声をかける。


「お母さんが病気なの!」

「うるさい! ガキはあっちに行ってろ! 商売の邪魔だ」

「何よ、あれ……酷いわ!」


 シャルロットが怒りをあらわにする。

 アーサーも腕を組み、自分たちにできることはないかと考えあぐねていたところで、


「あの野郎……」

「リン・ユー?」


 アーサーの呼びかけに応じることなく、リン・ユーは薬売りの方へと詰め寄った。


「おい……」

「なんだ、薬が欲しいのか? ん? 歳の割に古くさい格好だな」

「龍の鱗とやらは、どうやって手に入れた?」

「どうやって、って……」


 薬売りはしばらく黙り込んでしまった。目をきょろきょろとさせ、小声で言う。


「……ひ、拾ったんだ。龍が落としていったのを……」

「あ? 拾っただと? そいつはそう簡単に入手できるものではない」

「人の商品にケチをつけるのか? 冷やかしは御免だぞ!」

「ならば問う。龍はどんな姿をしている?」

「どんなだって?」


 薬売りの目が泳ぐ。

 リン・ユーは畳みかけるように薬売りの目を見て言った。


「龍が鱗を落としたところを見たんだろう? だったら、どんな姿をしていたかぐらい容易に言い表せるだろうよ」

「そ、そりゃ……」


 薬売りは落ちていた小枝で地面に絵を描きだした。


「確か足が生えていたな……ムカデみたいにたくさん。それから、背中に鳥のような立派な翼が生えていて……」

「それが、てめぇの見た龍の姿か?」

「ああ、そうだとも! 見事なものだろう?」


 薬売りはふんと鼻を鳴らし、堂々とした様子で腰に手をやったが、地面に描かれた龍の姿はどこか奇妙で、足は乱雑に何十本も線が描かれていた。


「……てめぇ、ふざけているのか?」


 絵を見たリン・ユーは、薬売りを睨みつけた。


「ふざけているだと? まじめに描いてやったというのに、俺の絵をバカにするつもりか!?」

「ああ、ばかげている。明らかにおかしい点があるんでな」

「おかしいだと?」

「足は全部で四本。それに、翼など生えていない」

「何でそう言い切れるんだ! 昔もんの格好した青二才が!」

「てめぇのような木偶の坊に装束のことをとやかく言われたくねーな。見せてやるよ……これが本当の龍の姿だ」


 リン・ユーはペンダントに刻印された龍の模様を見せつける。

 薬売りは瞠目した。


「そ、それは……皇帝一族のしるし! どこで手に入れた!? まさか……」

「これを見てもなお言い続けるか? 龍の鱗が入った薬だと」

「ええい、こうなれば……おい、皇帝一族の名を語る偽者が現れたぞ!」


 薬売りの叫び声に周囲の人々がざわつき始める。


「チッ、どこまでも汚ねぇ野郎だ……ぶった切ってやろーか」

「そんなこと言っている場合じゃないですよ! 面倒なことになる前に、早くここから逃げましょう!」


 アーサーにせかされ、リン・ユーもその場から駆け足で離れる。


「何で私たちが逃げなきゃいけないのよ!」


 甘栗の袋を抱えたシャルロットもぶつくさ言いながら必死で走る。


「しょうがないじゃないですか! もし、ここが過去なら歴史を変えてしまいかねないんだから」

「とりあえず、このまま聖域の入り口を目指すぞ。あそこまで行きゃ、そんじょそこらの奴では追って来られん」

「聖域って、ここから近いんですか?」


 アーサーが大声を出しながらリン・ユーの後を追う。


「……まだだいぶ離れている」

「嘘でしょ!? 簡単に言わないでよ!」


 シャルロットの悲痛な叫びが辺りにこだました。

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