第二章 新たなる旅立ち

時空の狭間

「三人とも、気を付けて」

「無茶はするなよ、アーサー」


 マリアとフランシスに見送られ、アーサー、シャルロット、リン・ユーは宮廷を出立する。

 アーサーが時計の文字盤に触れると、三人はあっという間にノワール渓谷に到着した。

 通称「黒い谷」と称されるこの場所は、草木が生い茂っており、渓谷の中は昼間でもかなり暗い。

 リン・ユーは、左手から炎を出した。耳に付けた赤いピアスがきらりと光る。


「言っておくが、俺がてめぇらを案内するのは、あくまでマリア様とフランシス様の命令だからな」

「分かってるわよ! いちいち感じ悪いわね」

「まあまあ……」


 アーサーが二人の会話に割って入る。


「相変わらず、気味の悪いところね。またここに来ることになるなんて、夢にも思わなかったわ」


 シャルロットはドレスの裾を持ち上げ、ぬかるんだ地面をゆっくり歩き始めた。


(相変わらずなのは、渓谷だけじゃなくて、二人のやりとりもだと思うけど……)


 アーサーは苦笑いを浮かべながら、二人の後をついて歩く。


「でも、正直驚いたわ。アンタが四百年の時を超えて、この時代に来たなんて」


 シャルロットの呼びかけに応じることなく、リン・ユーは無言で歩き続けていた。


「あの時は悪かったわ……服のことでからかって。その服も、アンタにとっては大事な母国の民族衣装ってことなのよね」

「あ? 覚えてねーな……てめぇとのやりとりなんざ。それより、無駄口を叩いている暇はねーんじゃねぇの?」


 リン・ユーは、とある岩の前で立ち止まった。

 アーサーが辺りを見回しながら尋ねる。


「ここがそうなんですか? 前にマリア様の桃源郷に行った時も、岩の前から空間を移動したような……」

「ああ、ここで合っている。てめぇの言う、あの岩とはちょうど対極にある場所だ。この谷に働く特別な力と、何か関係しているのかもしれねぇな」

「時空の狭間から、リン・ユーのいた世界に行くことが出来れば、何か分かるかもしれないですね」

「そうね。時空を修復するための手掛かりを得られたら、アーサーのところの長老様もきっと大喜びね」


 リン・ユーは、目を見開いた。


「は? てめぇら、正気か!? 必ずしも、俺のいた時代に行き着くとは限らない。その上、あの狭間に吸い込まれたら最後……」


 リン・ユーが言い終わらないうちに、辺りに強風が吹いた。


「何なの!?」


 不安そうに辺りを見回すシャルロットに、リン・ユーは半ば苛立たし気に言い放つ。


「その辺の木にでもつかまれ! 吸い込まれるぞ!」


 リン・ユーに言われて、アーサーとシャルロットは慌てて木につかまった。

 それでもなお、風は吹き続ける。

 やがて、先ほどの岩からぽっかりと大きな穴が開いた。


「あれが、時空の狭間!?」


 突然の穴の出現に、アーサーは瞠目した。


「ああ、そうだ。中は底なしの闇。いずれどこかの空間とは繋がるみてぇだが、目的の場所にたどり着くかは分からん。てめぇの時計と違ってな。おまけに、

「……もう、だめ!」


 シャルロットの手が木から離れる。


「シャルロット!!」


 悲鳴とともに穴の方へ吸い寄せられる彼女をアーサーは追いかけようとする。


「おい!」


 リン・ユーも、二人の後を追うように穴へと入った。






「アーサー……」


 ――自分を呼ぶ優しい二つの声。


(父さん? 母さん?)

「無理はするなよ、アーサー」

(今度は、フラン兄さん?)


 アーサーは闇の中を見回した。

 やがて、目の前に鬱蒼とした森が広がる。


(ここは――いつもの……)


 そこにいたのは、幼い自分とフランシスの姿だった。


(初めて兄さんと出会った場所……あの時、兄さんと出会っていなければ、今頃僕は――)


 走馬灯のように、過去の出来事が目の前で投影される。

 そして――。


「小僧……また会ったな」

(バルトロ!)


 アーサーは目を見開いた。蛇のような目をした男――バルトロ――は、不敵な笑みを浮かべ、アーサーの方をまっすぐ見つめていた。そのバルトロの姿が消えると、今度は、


「今からお前たちのレクイエムを奏でてやる!」

(フォンテッド卿……)


 映像はそこで途切れ、アーサーの体は宙に浮いたように、下方に広がる穴へ向かってゆっくり落ちていく。


(……出口?)






「わっ!」


 前のめりに地面に落ちたアーサーは、ゆっくりと起き上がった。口の中に何かが入ったらしく、必死に出そうとする。


(……砂!?)


 辺り一面に広がるのは、どこまでも続く砂漠の景色。服についた砂をはらう間もなく、


「シャルロット! リン・ユー! 二人ともどこですか?」


 二人を探して周辺を歩いていると、


「いったいどこなのよ、ここは!!」


 シャルロットの声……そう確信したアーサーは、砂に足を取られながらも声のした方へ走り出す。


「シャルロット!」

「アーサー、無事だったのね!」


 再会した二人はほっとする間もなく、リン・ユーの姿を探す。


「いったい、どこに行ったのかしら」

「あれ」


 アーサーは、十ヤードほど先の方を指さした。


「人影が見える。リン・ユーかもしれない」


 二人が人影の方に向かって歩くと、時折吹く砂の風でおぼろげながらも、見覚えのある姿が見えた。


「リン・ユー、大丈夫ですか?」


 アーサーの声に気付いていないのか、リン・ユーは頭を押さえ、しゃがみこんでいた。


「リン・ユー!」


 もう一度シャルロットが声をかけると、我に返ったように立ち上がる。


「どうしたの? どこか打った?」

「……何でもねぇ」

「ここに来る時、妙に懐かしい感じがしたわ。

「シャルロットも……って、ことは――」

(そうか……だから、リン・ユーは――)


 アーサーは、時空の狭間に吸い込まれる前のことを思い出した。


「すみません、時空の狭間に行けば分かるかもしれないなんて、無責任なことを言って……思い出したくなかったことを、思い出してしまったんですよね」

「……今さら、言っても仕方がない」

「何だか砂漠に飛ばされたみたいだけど、いったいどこなのかしら」


 シャルロットの問いに、リン・ユーが答える。


「恐らくここは、火の国とくにを繋ぐきぬみち……俺が、老師や兄弟子たちと旅をしていた時に巻き込まれた場所だ」

「じゃあ、ここは四百年前ってこと?」


 アーサーが懐中時計を取り出すと、時間と空間を表す針はそれぞれがぐるぐる回るばかりだった。


「だめだ……まるで迷っているみたいだ」

「チッ、使えねぇな……そのがらくた」

「そ、そんなこと言わないでくださいよ!」

「餓鬼が三人、そこで何やってんだ? 特に嬢ちゃん、身なりだけは随分立派だな」


 三人が振り向くと、ラクダに乗った男が十人。獲物を見るような目でこちらを見つめていた。


「何なのよ、アンタたち」

「俺たちはこの辺りを根城にしている盗賊だ。死にたくなけりゃ、身に着けているものを全部置いて行け。そうしたら、命だけは取らないでやるからよ」

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