再び風の国へ
気が付くと、アーサーは風の国の宮廷の前に来ていた。
「ばっちりだな、アーサー」
フランシスが笑顔でアーサーの顔を見た。
「空間を移動したのは初めてだったから、ドキドキしたよ。もうラニーネ急行に乗らなくても、いつでも会いに来られるね」
「ああ、中に入ろう。姉上がお待ちだ」
フランシスに促され、アーサーは中へと入った。
「お待ちしておりましたわ、アーサーさん。お元気にしていらっしゃいましたか?」
マリアが微笑みかける。
「はい、マリア様もお元気そうで何よりです」
「姉上、アイビス様から……」
フランシスは、先ほどアイビスと話した内容をマリアに伝えた。
「まあ、なんてことでしょう。それは一刻を争う事態ですわ」
「ノワール渓谷と火の国の関連性について、リン・ユーに話を聞いてみたいと思うのですが……」
「ユーが自分の過去について語ってくれるかしら。私にもほとんど話したことがないのよ。それに、最近ユーの様子がおかしいの」
溜息まじりに話すマリアに、
「リン・ユーが?」
と、アーサーは聞き返した。
「ここ数日の話ですわ。物思いにふけった様子で……」
「そういえば、先日書庫で彼のことを見かけました。書庫なんて滅多に訪れないはずの彼が……」
と、フランシスが答える。
「何か調べ物をしていたのかしら」
「いずれにせよ、聞いてみる必要はありそうですね。リン・ユーらしくない……」
彼にいったい何があったというのだろう。そんな疑問を抱きながら、アーサーはフランシスと一緒にリン・ユーを探すことにした。
「書庫はあそこだよ」
フランシスに連れられ、アーサーは中へと入る。小さな図書館ぐらいの面積があり、中には多くの書物が本棚やテーブルの上に置かれていた。
「リン・ユーは、どの辺にいたの?」
「確か……あの辺りだったな」
フランシスが指さした先を見ると、分厚い歴史書が何冊も並んでいた。びっしりと並んだ本の間に一か所、分厚い本なら一冊、薄い本なら二、三冊ぐらい入りそうなスペースがあった。
(あれ? 一か所抜けている……ってことは)
「だれか、あそこから本を持って行ったのかな。何の本が入っていたんだろう」
アーサーの声で、フランシスも本棚に目をやる。
「確かに……まさか、リン・ユー?」
「その可能性は高いよね」
「声がすると思って来てみれば、てめぇか。フランシス様が直々に案内されるとは」
「リン・ユー!」
アーサーが素っ頓狂な声を上げる。
「なんだ、その声は。化け物を見たときみたいな声なんか出しやがって」
仏頂面でそう言う彼の手には一冊の本が握られていた。
「やぁ、リン・ユー。君に話を聞きたいと思って、一緒に探してたんだ」
「俺に話? 何でしょう?」
リン・ユーは、怪訝な顔でフランシスの顔を見た。
「ノワール渓谷にたどり着いたときのことを教えてほしい」
「ノワール渓谷? 今さらそんなことを聞いて……」
「伯爵に歴史を変えられたせいで、時空間に乱れが生じてしまったみたいなんだ。もしかしたら、君がノワール渓谷にたどり着いたことと何か関係しているかもしれない。時の民の長老によると、時空の歪みがあるノワール渓谷は、君がかつていた火の国に繋がっているかもしれないと。だから、君に聞けば何か分かるんじゃないかって、思って来たんだ」
「それを俺に聞いて、どうなさるおつもりですか?」
リン・ユーの問いに、アーサーが答える。
「集めた情報をもとに、時空間の乱れを修正する旅に出ます。この後は恐らく、火の国と水の国へ行くことに……」
それを聞いたリン・ユーは、しばらく黙りこんでしまった。
「リン・ユー?」
アーサーがリン・ユーの顔を見る。
まもなく、リン・ユーはフランシスに向かって頭を下げた。
「申し訳ありませんが、お断りします」
「リン・ユー!」
その場を立ち去ろうとするリン・ユーの背に向かって、フランシスが叫ぶが、リン・ユーは足を止めなかった。
それを見たアーサーがリン・ユーの後を追いかけ、彼の腕をつかむ。
「何の真似だ? ガキ」
眼光鋭いリン・ユーの睨みにもめげず、アーサーは彼の腕を離さなかった。
「ガキでもなんでも構いません。あなたの持っているその本、きっと何か関係があるんですよね?」
「……」
「マリア様がここ数日リン・ユーの様子がおかしいと気にしていました。普段立ち入らないあなたが、わざわざ書庫で何かを調べていた理由……詳しく教えてもらえませんか?」
リン・ユーは、アーサーにつかまれた腕を静かに払い、小声で告げた。
「……時の民であるてめぇに話せば、俺はここに居られなくなるだろう」
「それは……」
アーサーは、集落を出る前にアイビスと話していた内容を思い出した。
『時空の狭間は偶発的に発生した扉のような物……どこかの場所と繋がっていると考えられている。もしその場所が、仮に火の国にあったとしたなら、その男が谷に迷い込んだのも、時空間の異変と関係しているのかもしれない』
『そんな! だとしたら、リン・ユーは……火の国に帰る必要があるということですか?』
(あの時、ババ様は否定をしていなかった……リン・ユーには、こうなることが初めから分かっていた?)
「待ってくれ! リン・ユー!」
フランシスの声でアーサーが我に返ると、リン・ユーはすでに書庫を飛び出していた。
「リン・ユー、待ってください!」
アーサーもフランシスと一緒にリン・ユーの後を追う。
すると……。
「ユー」
書庫から出てすぐの曲がり角から、マリアがゆっくりリン・ユーの前に出る。
「マリア様……」
突然姿を現したマリアに対し、驚きながらもリン・ユーは両腕を前に出して組み、深くお辞儀をした。その様子を目の当たりにしたアーサーとフランシスは、少し離れた場所から固唾をのんで見守る。
「ユー、顔をお上げなさい」
リン・ユーは顔をゆっくり上げた。真剣な表情で見つめるマリアと目が合うと、リン・ユーは目をそらす。
「過去のことを言いたくないというあなたの気持ちは痛いほどよく分かっているつもりです。ですから、私も黙って見ていた……けれども、今回ばかりはそうもいかないでしょう。あなたのことは、ノワール渓谷で出会った時から分かっていました。あなたが自分の口で言わずとも、私から説明することは簡単ですわ。でも、私が言うより、あなたの口で直接伝えた方が、みんなも分かるはず……あなたの痛みが」
(そうか……マリア様は人の心を読むことができる。でも、勝手に話すのは、本意でないだろうし、リン・ユーもそれを望むわけがない)
アーサーが思考を巡らせていた時、リン・ユーは小声で告げた。
「……もし、俺が真実を語れば、俺は……あなたのそばにお仕えすることが出来なくなるでしょう。それに、マリア様もフランシス様も、ひいてはこの国の民にも影響をもたらしかねません」
「あなたはそこまでこの国のことを……あなたには感謝しても、しきれませんね」
マリアは目に涙を浮かべながらも微笑みかける。
「その時は……神の言葉に従うまでのことよ」
「天に従う者は存し、天に逆う者は亡ぶ、か……」
そう呟くと、リン・ユーは深い溜息をつき、「御意」と小さく答えた。
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