第3章 淘汰 -ベル・ゴ-
第3章 |淘汰《ベル・ゴ》①
力とは、手段である。
結果とは、抑圧の果てにあるもの。
ならば『
そう。
福音で、あらねばならない。
◆
〝骸の荒野〟 北西部某所
甲翅族中央集落 広場
硬質な何かが、ひび割れ砕ける音がする。
草の汁にも似た匂いが、満月の下に立ちこめた。
たった今、頭部を踏み砕かれた甲翅の
抵抗の跡は見えない。……当然のように、即死であった。
「痴れ者どもが」
深く響く低い声音が、静かに落ちる。
声の主は、月夜に佇む甲翅の偉丈夫。
ゴ族の長にして司令官たる、ベル・ゴその人であった。
「たった一度の敗走で、我の力が減じたと、よもや本気でそう思うたか」
睥睨する。ざわり、と周囲総ての甲翅の民が身じろぐ音が広がった。
「パパ」
倒れ伏した甲翅の男、その胸元からひとりの少女が這い
虹色の甲翅に加えて、薄緑を淡く帯びた白い肌。甲翅の民でなくとも美しいと表現できる華奢な少女は、ベル・ゴの脚に抱きついた。
「娘よ。ファラよ。不安にさせた、済まなかったな」
そんな少女を娘と称すベル・ゴの姿は、さながら歩く全身鎧といった風情だ。
当然その手も硬質で刺々しい見た目だったが、器用にもファラの髪を優しくかき上げ、とんとんと叩くように頭を撫でる。
大丈夫、とファラが応えた。
「急に人質だって言われたときは、びっくりしたけど」
そう。今しがた生じていたのは、一種のクーデターであった。
力を減じた長を下ろして、次代の長となるべく企てたのだ。
「愚か者が」
無用な殺生を重ねることとなった結果に、ベル・ゴは一言吐き捨てた。
それは、この事態を招いてしまった遠因に、己の失策が絡んでいるのを理解していたゆえの反応だった。
確かに、〝骸の荒野〟での会戦の折、彼は敗走を余儀なくされた。戦場に突如現れた、にっくきラナンの艦隊を蹴散らしたにもかかわらず、だ。
原因は、ベル・ゴ自身が身をもって体感している。
あろうことかラナンの助太刀に飛び込んだ<祈り手>を殺すべく戦った折、生き残ったラナンの雄が、想定外の反撃を行ったためだ。
よりにもよって、ラ氏の擁する神器を使って。
神器持つベル・ゴにとって、あらゆる武装と
神器をその身に有する者は、相応の代償を支払う代わりに、同じく神器を持つものにしか討たれない特権を得る。
神器とは、蟲神キョトーに下賜された最高位の神呪である。
それより位の低い武装に、討たれる道理を打ち捨てることが出来るのだ。
唯一
だが、彼とて何も無策のままに事を起こしたわけではなかった。ベル・ゴは入念な調査の上に、『当代の<祈り手>が神器に認められていない』事を掴んでいたのだ。
伍するべき神器が権能を顕わさないなら、状況はこちらに有利。事実、彼らを本来の
あの瞬間まで、ラ氏の神器は権能すらろくに発せぬ出来損ないであったのだ。
だが、その前提は崩れ去る。生き残ったラナンの青年、彼によって権能らしき挙動を神器が呈してしまったゆえに。
確実に勝てる道理を失った彼は、迷わず退いた。
傷を負った娘を腰に下げたまま、命を賭すなど狂気の沙汰だ。
ゆえにこそ、優に
取り残された
そして、愚かな野心を持つものが――それを好機と誤認した。
ただ、それだけのことなのだ。
「『娘が惜しくば神器を渡せ』、か」
ベル・ゴが零す。
「仮に我が従ったとして、それを守る殊勝さを欠片でも持つものならば、今ここで我に抗するわけもなかろう」
「焦ったのかな」
「時を読む
もとより、甲翅の民は夜に狂する節がある。己の闘争本能が、極限まで研ぎ澄まされてしまうのだ。
ベル・ゴすら、
「さて、民よ。誇り高き甲翅を背負う
黙して動かぬ彼らに向けて、ベル・ゴは命ずる。
「今宵の月はとみに眩しい。魅入られぬうちに、疾く己が塒に戻るがいい」
それが、終。これでこの場を治めると、彼らの長が下した合図。
奇しくも長の打擲を免れた野次馬達が、引き始めた潮のごとく去ってゆく。
おそらくは、今死んだ首謀者の係累たちも共にこの場を逃れただろう。だが、ベル・ゴにそれを捜し出すつもりはなかった。
そうしたところで欠片も利などないことを、彼は十分承知していた。
彼に反旗を翻すもの。それは、力に優れた戦士であることと同義であるのだ。
戦は近い。今度こそ、ラナンの横槍など生じない万全な状態で、<祈り手>擁するラ氏を滅ぼさねばならぬ。
そのために、いたずらにすぐれた手駒を潰しはしない。
「ねえ、パパ」
「どうした、ファラよ」
「はやく、ママが帰ってくるといいね」
「……そうだな」
娘の言葉に口ごもる。己の欲を――此度の戦の真意を突きつけられたことで、今更な自責の念が鎌首をもたげたからだ。
この戦に、大義など存在しない。
あるのはただ、徒に死んだ己が片割れを、どうにかして取り戻すという望みだけ。
だが、それでも。
「望みは果たされねばならぬ」
この身に宿した『剛毅』の神器の代償は、『不屈であること』。
神器を保つ意思在る限り、諦めは許され得ない。
それこそが、ゴ族の神器を継承する唯一にして絶対の条件なのだ。
「さあ、ファラよ。塒へ帰ろう」
「うん!」
にっこりと微笑む娘。
その笑みに片割れの面影を見て、ベル・ゴは静かに頭を振った。
総ては彼女を、娘として守り抜くため。
不甲斐なくも片割れの蘇生を求めてしまった弱い己は――今ここで、神器を失うわけにはいかない。
ゆえにラ族は、疾く滅ぼさねばならぬのだ。
◆
岩場に隠れたゴ族の集落。その北側にそびえ立つ岩の頂に、彼女は在った。
「あーあ。失敗しちゃったか」
残念だなぁ、と零す声には、無念さなど欠片も見えない。
血なまぐささを楽しむような悪辣な情が、可憐な声の中に滲んだ。
「ここで神器を取られた方が、ベルにとっては幸せだろうに」
七枚の羽根持つ少女――クルスィは踊るようにその身を揺する。
月光を受けて淡く輝く彼女の翼は、微風を孕んでふわりと膨れる。
「ベル、哀しくも一途な『剛毅』の天位。私は貴方を祝福するよ」
くすくすと、少女は笑う。小脇に抱えた本を片手に、まるで舞台の語り手のように、芝居がかった一節を詠む。
「『黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった』」
翼から、淡い青紫の魔力が漏れる。
それは彼女のもたげた右手に集まって、ひとつの星を形作った。
「『もろもろの国を倒した者よ、あなたは斬られて倒れてしまった』」
魔力の星は、やがて鈍色に輝く石塊となり。本を閉じた翼の少女は、まるで宝物でも得たかのように、星形の石塊を胸に抱いた。
「あと、一週間ってところかな」
予見するのは、ラ族とベル・ゴの決戦の時。
既に多くの戦士達が陣へと戻り、陣容は整いつつある。
十中八九、ラ族は滅ぼされるだろう。
末を見定めたゴ族の長に、彼らが勝る道理はなかった。
「……そういえば」
ふと、クルスィは一人の青年のことを思い浮かべた。
ラ族に一人招かれて、蟲神に触れようとした青年を。
「ラ族のことだし、巻き込みはしないだろうけど」
無意味にラナンを殺すのは、契約上すこし不都合。
「最悪、助けに行くことにするか」
さてと、と彼女は思考を止める。
「そろそろ、戻ってもいい頃合いかな」
彼女は元々、ゴ族に招かれた客人である。あまり集落から消えているのも問題だろう。……ただ単に、争いの気配を感じて逃げ出していただけなのだから。
「ああ、主よ――我らが奉ずる佞神よ」
満月へ向けて、彼女は短い祈りを済ませる。
「旅路の末に、良きセカイと
そして、一歩。
彼女は甲翅の集落に向けて、真っ逆さまに落ちてゆく。
一陣の風が、岩場の中を吹き抜けた。
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