Entr'acte -Ⅱ 端末神殿にて

 カルセドニアの文化について語るとき、後世の学者たちの多くは、その特有の都市設計について触れることから始めるという。理由は様々だが、その方が説明しやすいからだというのが、広く一般論として受け入れられていた。

 それは、都市の構図を一通り覚えていれば、生活史から地政学まで、広くその基礎を固めることができたからだ。カルセドニアが擁した都市が、その設置場所に関わらずほぼ同一の構造を有していたためだ。

 これには『碑』によって環境が一定に保たれていたことが要因として挙げられているが、最も顕著な原因は、それらすべてが同一の機能を期待されていたことにあったとされている。

 すなわち――『前線基地』だ。


 帝国西側の都市を除けば、政府によって設置された都市のすべてが、一度は『境界都市』の名を冠している。帝国は境界都市を外へ外へと建設し続けることで、版図を広げていたためだ。

 その性質上、境界都市は武装隊商の拠点となることが宿命づけられ、商業と信仰、そして軍事拠点としての機能すべてを十全に満たすことが要請された。だからこそ、都市固有の機能と居住性を追求するのではなく、あらかじめ設計されたユニット同士を組み合わせたような、いわゆる『無個性』な形態を持つに至ったのだ。


 さて。

 そんなカルセドニアの建築物は、煉瓦造りを中心とした組積造で建てられている。

 白亜の城と呼ぶにふさわしいカルセドニアの諸都市において、権威の象徴たる神殿や行政府建築は、原則として中心街の広場を取り囲むように建設される。

 畢竟ひっきょう、カルセドニアの大都市といえば、ほとんどが中央に象牙の塔がそびえ立つ、星形の城塞となるのだった。

 なかでも、神を祀るだけでなく、実際に神々が滞在することすらあった神殿には、ある種の定位置が存在していた。

 広場の外周、その西の端だ。


           ◆


 閑話休題。

 ここはそんな城塞のひとつ、境界都市『セイル』の中央区域。

 まだ外壁の白が眩しいままの新しい神殿の中に、彼女はあった。


「神官様」


 あどけない声で尋ねかけるは、亜麻色の髪をばさりと揺らす小柄な少女。

 名は、テマ・アスラ。〝骸の荒野〟にて勃発した『七八第一号会戦』、その数少ない生き残りのひとりである。

 彼女がここセイルに命からがら逃げ延びてから、早一月が経とうとしていた。

 テマはセイルに来てよりこちら、来る日も来る日も、セイルの碑へと跪いていた。

 首輪を通して、カルセドニアの版図より出た旅人達の安否を観測する石碑。そこから彼女の許婚、カイト・スメラギの名が抹消されないことを祈っていたのだ。

 そんな彼女の元へ、ある日突然、名も知らぬ神官たちが現れる。

 曰く、『神が其方にお会いになる』と。

 その足で神殿へと連行されて、神官用の浴場で身を清められ、慣れない白衣を着せられて、挙句の果てにここまで欠片も説明はなし。カイトと別れて長く無気力状態が続いた彼女も、ようやく微かな苛立ちを覚えたのだった。


「どうして急に、神殿になんか」

「先も伝えたはずだ」

「分かってます、神に拝謁できるのは分かったんです」


 十分に分かっている。

 そもそも、

 多くの場合は水盆を通して声のみやりとりするもので。これが異例なことだというのは、十分に分かっているのだ。

 テマが聞きたいのは、そういうことでは断じてない。


「なんで急に、私なんかが」

「首元を見よ」


 言われ、手鏡を突きつけられる。銀に輝く小さな円をのぞき込んだ第一印象は、


(ひどい顔)


 という単純な感想だった。

 最低限の艶だけ残して、柔らかさを失った髪。頬はこけ、落ちくぼんだ目元は赤く腫れている。これが齢十三の少女だと、一目で信じるラナンはいまい。

 さて、神官は首元を見ろと言ったか。

 ゆっくりと視線を落とし、テマはそこで、ようやく巨大な違和感に気づく。


「……金色?」


 自らの首元に結わえ付けられ、己の抱える神呪の種類と格とを示す板。

 光沢など期待できない陶板であったそれが、陽光をうけて金色に煌めいていた。

 光沢といえば、真っ先に思い浮かべるのが同僚である『剛毅フォルス』の男。グレン・クラインと名乗るカイトの友人は、上位の『剛毅』持ちだった。そのため、首から下げる識別票も光沢のある金属だったのを覚えている。

 でも、それは確かに銀色だった。

 こうまで目立つ黄金であれば、嫌でも思い出すはずだ。


「確かに其方は、陶の『太陽』であったはず」


 鏡を戻して、名も知らぬ神官が告げる。

 感情の読めない平らな声に、テマはわずかにたじろいだ。

 神官は、自ら進んで神の奴隷を自称している。そのためなのか、それとも単に、何かの利便性を追求したのか。彼らは常に個人の識別が難しい神官服を着用している。筒状の白い帽子を目深に被り、口を除いた全身を白い被服で覆っているため、テマには相手がどちらの性であるのかも判別できない。


「だというのに、〝骸の荒野〟より戻った折には、既に金へと変質していた」


 神は興味を示しておられる、と神官が告げる。止まっていた歩みが再び進みだし、複雑に交差する穹窿ヴォルトの回廊を、ただ静かに渡り始めた。


「そんなこと言われても」


 沈黙に耐えかねて、テマが零した。

 彼女とて、今しがた自分の異変に気づいたばかりだ。そもそも金の識別票なんて初めて見るもの。これが何を意味して、どうして自分の首にぶら下がっているのかなんて、聞かれても分かるわけがない。

 分からずともよい、と神官が言葉を続ける。


「もとより、我らもあずかり知らぬこと。純粋に、其方の話を聞きたいのだろう」

 

 初めて、神官の言葉に動揺が滲んだ気がした。


「其方はただ、門を潜ればそれでよい。

 なに、招いたのであれば、神は多くの非礼を許そう」


 要は、『こっちも分からん、後はお前が上手くやれ』ということらしい。

 まあ、神官職は神の意思を実行するのが職務の総てだ。そこにいちいち疑問を挟めと求める方が、おそらく非常識なのだろう。総ては文字通り、神のみぞ知る、だ。

 そう、テマは自分を納得させることにした。


(そうだ)


 折角神に拝謁を許されるのだ。この際、思い切ってカイトの助命を希おう。

 役人に頼んだところで意味がないのは、既に痛感しているのだし。

 何より……何より、テマはあまりに無力なのだ。

 カイトが隣にいなければ、くらいには。

 

(助けないと)


 脳裏に浮かぶ、ペリスコープの向こうの景色。

 自分のために荒野に残る、大切な人の最後の姿。


「ここだ」


 白木の側に金線で象嵌された、豪奢な扉の前にたどり着く。

 扉に切れ目は見られない。あるのはただ、不自然に大きな金輪の把手ひとつだけ。

 それはもう、扉というより、一種の絵画か何かのようで。


「ノックも、開閉も不要だ。其方はただ、拝謁の栄に浴する意思のみを持って、把手を握るだけでよい」

「分かりました」


 首肯すると、神官は静かにテマの後ろに立った。後は自分で、ということだろう。

 深呼吸。


「……入ります」


 小さくそれだけ呟いて、テマは真鍮色の把手を握った。

 刹那。


「っ」


 ふいに感じた落下感。何事かと思う間もなく、その感覚はほどけて消えて。

 気づけば彼女は、不自然に明るい真っ白な空間にいた。


「ここは……うぅ」

 

 どこまでも広そうでいて、一歩でも進めば壁か何かに行き当たりそうな、矛盾する空間識を呈する景色。遠近感が揺さぶられる気持ち悪さに、テマは思わず目頭を強く押さえた。


「目を開けなさい」

「へっ?」


 唐突に、背後から声。

 思わずテマは振り返り、そのままぺたりと腰を抜かした。

 背後の至近に――巨大な面が浮いていたのだ。


「ひっ」


 それは、誰かの美貌を型取りして、樹脂か何かで複製でもしたかのような、硬質な面。細く切られた眼窩の底には、針水晶に深く穴でも穿ったような、無機質すぎる瞳が静かにうごめいていた。

 神。

 テマは瞬時に、その正体に行き当たる。

 神々しさより不気味さの方が強いとはいえ、これは確かに神サマなのだ。

 きりきりと、機械の動く音がする。テマを見つめる奇妙な面の、すぐ後ろからだ。

 よくよく見れば、面の後ろには真鍮と銀の背骨じみた骨格があり、さらにその後ろには、細長い異形の身体が、ゆったりと鎮座していた。

 小山のような金属塊から、八対伸びる樹脂製の腕。それらは各々線対称に折れ曲がり、総体として幾何学的な祈りの姿勢をみせている。

 背後にあった面は、ただテマに近づけただけの一部位に過ぎなかったのだ。


「ようこそ、我らが端末神殿シナプスへ」


 面の奥から声がする。

 無機質で平坦。神官たちと同様に、性別の読み切れない色。


「ようこそ、テマ、小さきラナンよ」


 きりきり、きりきり。


「『太陽ソレイユ』のを備えた、旧き世界の愛し子よ」


 いやに響く機械の音が――瞬間、はたと途切れて消えた。

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