第2章 |蠍姫《ククリ》⑧

“殻の荒野” 北西部

マトラ・オアシス臨時集落付近 某所


 案内された先は、草原と荒野の境目、赤茶けた岩場の入り口だった。


「この岩場は?」

「このオアシスに私達が居着いてから、聖室を建てた場所です」


 聖室。……おそらくソレは、ラナンの言う簡易神殿のようなものなのだろう。あるいはもっと正式な、言葉や知識だけでなく、たしかな奇蹟を享受するための神殿か。

 赤茶けた砂岩の岩場は、何百年と風雨に晒され続けていたのだろう。滑らかで曲線的な表面には、いくつもの同系色の層が見られた。もしかすると、元々はもっと大きな山の一部だったのかもしれない。

 ふと、ククリがその足を止める。目の前には、岩場が浸食によって崩れたのだろう、やや深い谷が刻まれている。


「カイトさん、ここからは、私の上に」

「分かった」


 元々、単なるクラックだったのだろう。谷そのものの大きさはそこそこあるが、底は狭く、二足歩行のラナンが歩けるような場所ではなかった。進むのであれば、それ相応の――それこそ、蟲人族が足に持つ鉤爪のような部位が必要だ。あと、命綱。

 ククリに従い、彼女の胴の上に跨がる。固定具はないけれど、思った以上にしっくりとくる座り心地。硬いけれど、不思議な弾力のある外骨格だ。

 いきますよ、とククリ。それから彼女は、鋏脚と通常の脚をを器用に引っかけ、危なげなく岩壁を登り始めた。

 揺れは驚くほど少ない。思えばカロンのような風力艦も、揺れは少ない方だった。多脚故の優位性とでも言うべきなんだろうか? そんな風に考えるカイトをよそに、彼女はずんずん谷のあいだを進んでいった。


「ずいぶん長いね」

「岩場のちょうど中央に建てていますから。あんまり簡単に入れるところでは、わざわざ隠す意味がありません」

「隠さなきゃいけないことがあるの?」

「殺しても死なない、問題ないとは主のお言葉ですが……それでも、害意を抱く方はいますから」


 まあ、十中八九ベル・ゴのことを言ってるんだろう。大変だね、と当たり障りのないコメントを投げておく。実際、それ以上にコメントのしようがないし。


「ラナンの方の神様は、聖室をお作りにならないのですか?」

「似たようなものならあるよ。神殿っていうんだけどさ――」


 岩場は存外広かったらしい。少なくとも、カイトとククリが、己の種族が奉ずる神様について十分雑談できたほどには。


「そうなんです。兄様ったら、うっかり別の歌詞を――あっ、そろそろですね」

「どれどれ」


 ククリの肩越しに前方を見やる。長い長い谷がようやくとぎれて、その先に深い緑が見えた。


「あの木が?」

「ええ。聖樹であるタチバナの木です。聖室の目印ですね」


 ククリが歩みのペースを上げる。毒尾に揺れる鈴の音とも、そろそろお別れだ。


「よいしょっと……あれ?」


 最後の岩を乗り越えたと同時、ククリが小さく首をかしげた。


「先客がいます」

「えっ?」


 そこは、岩場の中にぽっかり空いた平らな空間。一本のタチバナの木に隠れるように、赤茶けた砂岩の壁に小さな洞が作られている。

 その洞の前――正確にはタチバナの梢のうえに、一枚のコートが掛けられていた。背中や腰にいくつか穴が空けてある、変わったデザインのダッフルコートだ。

 加えて、木の根元には荷物がどんと据えられている。鞄の蓋は半開き。

 明らかに、洞に誰かが入っているのだ。


「大丈夫なの?」

「今なら、まだ。……主も未だ聖室においでではありませんし」


 ククリの背から平地に降りつつ、問うてみる。応えるククリの声色は、不快感の表明ではなく動揺のそれ。そりゃあ、隠してたはずの聖室に知らない誰かがいたら困惑もする。

 

「荷物からするに、他の蟲人族ではなさそうですね」

「ダッフルコートにバックパックだもんなぁ。というか、暑そうな」


 カイトの表現通り、コートはかなり厚手のものだ。それこそ、真冬の北方でもない限り着ることはなさそうな類。

 骸の荒野は、気候としては砂漠に近い。

 夜ならともかく、少なくとも日中でこの防寒着は必要ないだろう。


「もしかすると、旅の方なのかもしれませんね」


 ククリが評す。亜人種にも時折、自身のコミュニティを出て、世界を渡り歩こうとする個体が生まれることがあるという。さすがにカルセドニアの版図に入ろうとする暴挙には出ないらしいが。


「害はなさそうですし、出てくるまで待ちましょうか」

「分かるの?」

「何か細工をされたときには、主が知らせて下さいますから」


 そういうのには敏感なのか。

 積極的なのか消極的なのか、いまいち分からない神様だな――と、カイトは思う。

 さて。ちん入者を待つことにしたふたりだったが、そう時を置くことなく、事態は順次推移していく。

 外の会話か、あるいは鈴の音にでも気づいたのだろう。

 背に翼を持つひとりの少女が、洞から顔を出したのだ。


「こ、こんにちは~」


 コルセット付きのオーバーオールスカートに、やや袖が広めのボタンシャツ。首にはなぜか、やはり厚手のフェルトマフラー。その風体は、ちょっとおしゃれにしたカルセドニアの作業着そのものだ。小脇には、一冊の分厚い本が抱えられている。


「もしかしなくても、お邪魔、よね……」


 岩場の中に隠された聖室の中に、いかにも儀式然としたな格好をしたふたり。彼女はすぐに、儀式の邪魔をしたと思い至ったのだろう。その声音には、ややおどおどした態度が滲む。

 薄明るい金髪に吊り目気味の碧眼と、活発そうな見た目の割には弱腰だ。

 ふぅ、とククリが息を吐く。それから、やや目を細めて凜とした表情をした。立場上、威厳をもって接さねばと考えたんだろう。実際、侵入者には違いないのだし。


「こんにちは。ラ族が長、<祈り手>のククリが問います。あなたの名は?」

「クルスィ。翼人種アルケーのアル・クルスィよ」


 翼人種。

 生まれながらに強靱な翼を持ち、空を縦横無尽に飛び回る、亜人種の中でもとりわけ強力な種族だ。自らを天使の一角だと公言してはばからない、プライドの高い種族でもある。

 当然、大帝国カルセドニアは彼らと既に衝突済だ。彼らの治めていた国家『サファ』は、おおよそ二十年ほど前にカルセドニアに併呑されたという。というより、旧サファ領が自分たちの出発地であるセイル市――ひいてはセイル地方なのだ。

 併呑の際、多くの翼人種たちが奴隷として捕らえられ、翼を断たれた。

 彼女はたぶん、その際逃げ延びたうちのひとりだろう。


「なぜ、ここに?」

「ちょっと、空から見たタチバナの木が珍しくって、つい……というか」


 クルスィがカイトの方を指さした。


「なんで、こんな所にラナンが居るの?」


 怯えている気配はない。どちらかというと、純粋に興味が湧いたといった声色だ。

 さっきまでの弱腰気配はどこへやら、スタスタとこちらの方へと近づいて、あろうことかカイトの姿をじろじろと検分しはじめるではないか。そのうえ、用意された貫頭衣の上から身体を触ってくるおまけ付き。

 なまじ見た目が可愛いだけに、居心地が悪い。


「ちょっ」

「ふむふむ、首輪は陶、魔術師のくせに筋肉あるじゃん、魔力は……陶にしてはやたらめったら多くない? 宿った神呪アルカナが弱すぎたクチか――」

「まだ途中です」

「ぐえ」


 会話を無視された格好のククリが、クルスィの襟首を毒尾の先ですくい上げる。都合、クルスィはいたずらを阻止された猫のように宙ぶらりんに。

 恨めしげにククリを見るクルスィに対して、ククリは大きくため息ひとつ。


「聖室に何もされてはいないようでしたし、今回は不問とします。でも、次はありませんし、儀式を見せる気もありません。疾くお引き取り下さい」

「えー、そんなー」

「もしかして、何か調べてるのかな?」


 彼女の態度にピンときて、カイトはすかさず問いかける。小脇に抱えた本といい、なんとなく同族の気配を感じたのだ。

 そうなの! とクルスィは首肯する。


「私、実はいろんな種族の宗教について調べてて。あっ、宗教って言っても、調べてるのは内容じゃなくて。神殿とか祠とか、そういう信仰の拠点についてね。蜥蜴人族の調査が終わって――そうそう聞いて、彼ら水の底に神殿を作るのよ! だから今度は乾いたところにしようと思って蟲人族のテリトリーに来てみたら、あっちもこっちも戦争でそれどころじゃなくって。<祈り手ほんしょく>はゴ族に追われて望み薄だから、とりあえずタチバナを探せ、って聞いたの。だからこうしてここまで飛んできたわけ!」


 あっ。

 この子、自分の好きなことだと話が止まらなくなるタイプだ。

 ククリを見やると、「どうしましょう?」とでも言いたげな困り顔。まあ、確かに扱いには困る。いろんな意味で。


「なるほど。……その本は、クルスィの研究資料?」

「そう! あっ、でもまだ完成してないから見せるのはダメ。資料は完成させてカタチにしてナンボのもんだし!」

「そっか。実は、僕も方々で“本”を集めてるんだ」

「集めるの? 何のために?」


 きょとんとするクルスィ。

 カイトは鷹揚に頷いてみせた。


「クルスィみたいな人が集めた知識を、皆に見せたい。誰もが知識にアクセスできる、それでいて簡単には消えない場所を作りたいんだ」

「あー、だから亜人種の領域にいるのね。ラナンはあまり本を書こうとしないから」

「まあ、そういうこと」


 わざわざ、『武装隊商が負けてはぐれました』なんて言う必要はないだろう。


「とりあえず。今からする儀式は、きちんとした手順を踏んだ人だけで行わないといけないらしいんだ。見たことはまた教えるからさ。残念だけど、今回は帰ってあげてくれないかな?」

「絶対?」

「ああ、絶対。……さすがに、神様にダメって言われたことは言えないけどね」

「落とし所かぁ。仕方ない」


 吊り下げられつつ、ぐったりと脱力するクルスィ。


「いいよ。時間が惜しいから、一度また別の所に調査に行くけど」

「じゃあ、情報交換はまた会ったらということで」

「ん」


 頷きながら、右手を差し出してくる。

 なるほど、と微かな疑問の答えに至る。ウルスがどうして握手を知っていたのか、という点だ。……握手は翼人種のジェスチャーだったのか。


「よろしく」


 握ったクルスィの手は、随分とひんやりしていた。


「よし、じゃあ目的も達成したことだし――よっ」

「わっ」


 握手をほどいたクルスィは、唐突に体を揺すって大きく振れた。

 毒尾から器用に逃れて、タチバナの傍に至る。

 ダッフルコートを手早く羽織り、ベルトを締めて固定。

 最後にバックパックを腹側に掛け、わざとらしく敬礼してみせた。


「それじゃ、ばいばい!」


 瞬間。

 彼女の背中で、が開く。


「七枚羽根!?」


 驚くククリをよそに、彼女が一度ひとたび、強くはばたく。

 烈風。

 彼女の翼を介して放出された魔力の風が、物理法則を書き換えたのだ。

 いたずらっぽいウィンクの後、衝撃。

 あり得ないほどの初速を付けて、放たれた矢のように飛び出していった。

 残るのは、静寂。


「……嵐のような方でしたね」


 いいね、文字通りだ。


「まったくだよ。あの勢いで飛んでるなら、厚手のコートも納得だ」


 さて。

 そろそろ本題に戻るべきだろう。


「ククリ」

「はい。いつまでも主をお待たせする訳にはいきませんね」


 頭を振って気を持ち直したククリはそのまま、タチバナの木から一枚の葉を切り取った。若葉色が瑞々しい、まだ新しい梢の一葉いちよう

 その葉に薄く魔力を込めて、口元へ。


「――――♪」


 甲高く、澄み渡る音。

 そう。

 彼女は先の一葉で、草笛を吹いてみせたのだ。

 ざわざわと、梢が揺れる。

 先のクルスィの烈風ですら揺るがなかったタチバナが。

 ことり、と、小さく音がする。

 見れば、小さな黄色いタチバナの実が、木立の下に落ちていた。


「さあ、カイトさん。……この果実に触れて下さい」


 タチバナの実を拾ったククリが、洞の入り口に立つ。導かれるまま、カイトも彼女の動きに倣った。

 そして、彼女の差し出す果実に触れる。


「――っ」


 突如襲った浮揚感。

 視界は黄金色の光に覆われ、一刹那だけ、カイトは空間識を失った。

 瞑目する。視界は金色に耀いたまま。

 もう少しです、とククリの声が近くに聞こえた。

 それから、数秒。

 浮揚感が薄れ、だんだんと視界を潰す耀きが大人しくなる。

 さわさわと、木の葉どうしがこすれ合う音。

 ひとつではない。……明らかに、全方位から聞こえてくる。

 

「大丈夫ですよ」


 未だ瞑目したままの彼に、ククリが優しく声かける。


「どうか、目を開けて下さい」


 ククリの言葉に従って、カイトはゆっくり眼を開く。


「……わぁ」


 目にした景色に、彼は思わず声を漏らした。

 それは、一面に広がるタチバナの杜。

 緑と黄、そして空の青とに彩られた空間が、そこにはあった。

 

「ようこそ、我らが主、蟲神キョトーの聖室へ」

 

 ククリが微笑む。

 次いで。


『そして、初めまして、だ。……愚かなラナンの小童こわっぱよ』


 遠雷のような低音。声の元へと視線を向けると、かさりと梢が小さく揺れた。

 ゆるり、ゆるりと、声の主が梢の中から降りてくる。

――それは、巨大な緑の芋虫だった。

 カイトの腕二本分はあろうかという太さ。

 そして、一抱えほどもあろうかという、その全長。

 それほどまでに巨大な蝶の幼虫が、糸を伝って降りてきたのだ。

 慌ててカイトは膝を折る。瞬間的に、その正体に思い至ったからだった。


「お初にお目にかかります」


 真似るのは、カルセドニアの神官の所作。

 片膝を折り、両手は胸の前で組み。

 ソレは、神への祈りの姿勢。


「ラ族が守護神にして、ゴ族の庇護者――蟲神キョトーよ」


 こうしてカイトは、敵地の神とまみえたのだった。



          ◆



の荒野” 某所



 夜陰に塗れた荒野の砂が、一筋の光とともに舞い上がる。

 この一帯には、岩場も草木も何もない。

 ただ、かつて死したる蟲人族の骸たちだけが転がっている。

 そこに伸びる砂塵の筒は、いっそどこか幻想的な風情さえ感じられた。

 筒の中には、青紫の魔力光。中心に、三対と一翼を背に持つ少女が立っていた。

――翼人種がひとり、アル・クルスィである。


「……ふぅ」


 ほんのり小さく息をつき、荷物とコートを脱ぎ捨てる。

 砂漠の上に打ち捨てられた彼女の私物は、地中から這い出てきたたちに回収される。


「戻ったよ、

「――首尾は」


 彼女がどこへともなく声を掛けると、闇の中で小さな山がもぞりと動く。

 否。正確には山などではない。

 黒光りする外骨格を身に纏う――ひとりの偉丈夫の姿であった。


「祠は見つけた。あなたの言ってた、変なラナンもそこにいた……<祈り手>も」

「ならばなぜ殺さなかった」

「言われてない――」

「『Il――」

「『黙れShult』」

「……ッ」


 偉丈夫が己の武器を抜くべく発した虹色の魔力。

 それが、青紫の魔力光に押しつぶされる。


「ソレは、あなたの戦争。……私には関係ないし、巻き込まれるつもりもないの」

「ぬぅ」

「あなたはただ、私達との契約通り、協力し合うだけ。違う?」

「……」

「お願いだから、いい子にしてて」


 そうしたら、とクルスィはにぃっと笑う。


「――大事なつがいの片割れも、戻ってくるかもしれないよ?」

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