第2章 |蠍姫《ククリ》⑤

「別の武器として、使い方を探していく必要がある」


 結論として、この神器は既にククリの知るものではなくなっている。

 投槍としての権能は既になく、代わりに発現したのは魔力を推進力へと変換する一連の機構。それも、未知の主たる権能の一部に過ぎない。

 ならば、まずはこれを『剣』として扱えるように修練しつつ、本来の姿が何であるのか検討していく必要があるのだろう。

……それだけの時間があるかどうかは、ともかくとして。


「そう、ですか」


 うつむき気味にそう答えて、息つくククリ。けれどもすぐに視線を上げて、にこりと強気に微笑んでみせる。


「残念ですが、慣れるしかなさそうですね」

「助かる」


 カイトが示したのは、純粋な感謝の念だった。

 解決策を示したところで、投槍にこだわるのなら、話が終わってしまうから。


「ククリは、剣についての心得はある?」

「いいえ。蠍人族は下半身が大きいので、長物ばかり使っています」

「それなら、少しその神器を振ってみよう」


 本音を言えば、神呪に頼った戦い方をしている自分に、正しい剣の扱い方を教示できるかという不安はある。多少鍛えているとはいっても、若干のズルをしていることに変わりはないからだ。特に、先ほどの夢のことを思えば。

 それでも、やらなければカルセドニアへの帰途につくのは難しいだろう。

 カイトは周囲を見渡して、より鍛錬に適した場所を探した。ここは少し、手狭で傾斜があったのだ。


「手狭ですか?」

「うん。ここは確かに安全だろうけど、得物が得物だしね」

「それなら、良い場所があります。折角ですから、皆さんとの挨拶がてらオアシスのほとりまで行ってみましょう」


 オアシスというと、先ほどククリが投槍で狙い撃とうとした場所か。カイトが見やれば、そこには確かに、平らに開けた草原がある。

 あれなら、周囲を気にせず動き回れそうだ。

 カイトの視線を、ククリは肯定と受け取ったらしい。


「それでは、こちらへ」


 言いながら、ククリは身体をオアシスへと向け、前へと軽く跳び上がった。

 瞬間、周囲に渦巻く虹色の魔力光。魔力の光に隠された彼女の身体が、同じくらいに唐突に、大地に降りた。

 生成りのチュニックは軽金属の鎧の中に押し込められて、辰砂の髪には、鈍色に耀く古風なティアラが掛けられている。


「かつて私達と出会ったラナンは言いました。『善は急げ』、と」


 荒野の中で出会ったときと同じ姿で、ククリは笑う。


「脚は多い方が速いんです。さ、私の背中に乗ってください」

「え、別に自分で歩けば――わわっ」


 同意があっても、女の子の背中に乗るというのは気が引ける。断ろうとカイトが振った右手を、ククリはがっしりと掴んで自身の背へと引っ張り上げてしまった。

 当然、カイトに心の準備などない。引き上げられた勢いのまま、カイトは彼女の背――正確には蠍の外骨格に強く顔を打ち付けてしまう。


「ふべっ」

「だ、大丈夫ですか!?」

「大丈夫、怪我はしてないから」


 じんじんと痛む鼻を袖で擦りつ、苦笑する。

 図らずしも、カイトは亜人種の膂力について今更ながらに思い知るのだった。



          ◆


むくろの荒野 北西部

マトラ・オアシス臨時集落 沐浴場



「来たのは良いんだけどさ」

「はい、何でしょう?」


 なんとなく釈然としないふうのカイトに対して、無邪気に応える少女ククリ。手には神器を携えたまま、下半身は既に、ラナンのそれに変化している。

 渡された木剣の感触を確かめながら、カイトはぐるりと周囲を見回す。

――ふたりの周囲を遠巻きに、蠍人族の女性たちが囲んでいた。


「これ、すごくやりづらいんだけど」


 衆人環視の中で、彼らの長たるククリと対峙し木剣を握る。

 行きがけに挨拶はしてあるものの、立場上いたたまれない。

 

「あー、それは……」

「みな不安なのです。致し方ないでしょう」


 曖昧に笑うククリの代わりと言わんばかりに、環のただ中から声がした。

 彼女の声音とどこか似ている、玲瓏な音。

 けれど、その質は間違いなく男のそれだ。カイトが見やると、人垣が静かに割れて、そこからひとりの偉丈夫が姿を見せた。

 微風に揺れる、滑らかなプラチナブロンド。

 刺繍のある華やかなトーガを纏う、筋肉質だがどこか気品を感じる出で立ち。

 

(長物、いや、アレは楽器か?)


 加えて彼の手に握られた、弦を備える白木の長杖。

 その威圧感に身構えるも、男は「構えないでくれ」とかぶりを振った。


にぃ様」


 呆れたようなククリの言葉に、なるほどと得心がいく。髪の色は大きく違えど、どことなくククリと似た雰囲気を感じた理由が分かったからだ。

 

「急に来て神呪アルカナまで携えていれば、身構えもします」

「いや、すまない。木陰で瞑想していたら、側の子トゥッティたちが慌てて知らせに来たものだから。……つい、ね」


 。およそ初めて聞く名称だ。

 カイトは意味を図りかねたが、答えはすぐに明らかになる。兄と呼ばれた男の後ろに、同じ杖を携え、目元を薄布で隠した蠍人の少女たちが現れたのだ。

 そのうち最も彼に近い側のひとりに、ふわりと男は苦笑する。


「駄目じゃないか、エイ。きちんと経緯を話してくれないと。私はてっきり、お客人と愚妹とが喧嘩でも始めたのかと思ったじゃないか」

「申し訳ありません、マスター。事実確認を怠りました」

「構わないよ。こうして大事ないと分かったのだからね。……で、ククリ」

「はい、兄様」

「気の合うお客人と盛り上がるのは良いけれど、せめてきちんと触れでも出してから動きなさい。

 ここに居る民の半数は、伝聞での情報しか有していない。エイのように、あなたたちが信を以て鍛錬を行うつもりだと、理解してもいなかったのだから」

「申し訳ありません。以後気をつけます」

「うん、それが良い」


 どうやら、ククリの兄らしいこの男。彼は妹がラナンの客人と戦うと聞いて、仲裁にきたようだった。アルカナをあらかじめ出していたところを見るに、最悪カイトを制圧するつもりでもあったのだろう。

 このときばかりは、彼が理性的であることに感謝するほかなかった。

 さて、と男が手を打った。


「と、いうわけでお説教はここまでだ。見苦しいところをお見せしたね、お客人。

 私はウルス。ウルス・ラという。祈りの歌を奉る<奏手そうしゅ>を司っている」

「ああ、いえ。こちらこそお騒がせしました。武装隊商アルフ五番隊、“藍鯨”所属のカイト・スメラギです」


 流れるような謝罪に、気圧されつつも握手する。

 そういえば、と考える。ククリは握手を知らなかったな、と。 


「握手をご存じということは、以前にラナンと交流したことがおありで?」

「ん? ああ、確かにラ族に握手の文化はなかったね。<奏手>はラ族の外交の役も担っている。外にもよく出るからね、通り一遍のジェスチャーは身につけているよ」

「なるほど」

「それでも、ラナンと話すのはこれが初めてだ。粗相があったら許して欲しい」

「大丈夫です。こちらも似たようなものなので」


 この態度は、間違いなく他種族とも話し慣れている。ラナンの感性に基づけば、下手するとククリよりも族長らしいかもしれない。

 前置きが長くなってしまったね、とウルスがわずかに目を伏せる。


「キミと愚妹の鍛錬、差し支えなければ私が音頭を取っても良いだろうか」

「音頭、ですか?」

「ああ。蟲人族はが良いからね。基礎的な鍛錬よりも、見るもの全員が技を盗める実戦形式の鍛錬が好まれているんだ」


 要するに、今ここでククリと仕合って見せろということらしい。


「ククリは剣を扱ったことがないと聞きましたが」

「でも、一度キミが扱ったのははずだ」


 カイトはウルスの顔を見つめる。その空色の瞳には、ただただ真っ直ぐな期待の光が宿っていた。……ククリがそれを出来ないとは、欠片も思っていない顔だ。

 分かりました、とカイトは頷く。


「勝敗の裁定はウルス、貴方にお願いします」

「任された。贔屓はしない、存分にたたきのめしてやってくれ」

「善処します」


 さすがにそれは、リーチの都合で無理だろう。

 苦笑しながら、カイトは借りた木剣を握り直した。

 両手は下に、鋒も地面へと向けて。一見すれば、ほぼ無防備にも見える構え。

 瞑目、そして深呼吸。


「『我請わんIl Beque; 遠き汝の耀きをLu Glos xi Lis Arcturu』」


 ふわり、と空気が変わった気がした。全身に感じるのは、強風に煽られた瞬間のような浮揚感。

 目を開けば――


(俯瞰か!)


 初めて起きた現象に、カイトはわずかに面食らう。あえて言葉で表現するなら、自身の視界がふたつに分かれてしまったような感覚だった。

 ひとつは、もとのままの自身の視界。

 地に立つ自分の視界そのまま、自分の前に何があるかを感じ取るビジョン。

 そしてひとつは、空に浮かんだ自身の視界。

 まるで凧にでもなったかのように、空から自身の有様を見下ろすビジョン。

 ただし、その周囲は地に立つカイトを中心に円形に縁取られ、おおよそ五歩を半径とした範囲のみに限られている。

 五歩。およそ、藍鯨隊士の修練に使う区画の径の半分ほどか。

 つまりは、視界がそのまま修練場と同等の広さになる。

 

(……これは、ちょっとずるいかも)


 新たに生じたカイトの権能。その有用性に、彼は微かな身震いを覚えた。

 こと武器を用いた戦闘において、視野の広さはそのまま対応力へと直結する。

 例えば、一対多の戦闘。

 ラナンは身体の構造上、背後からの攻撃に気づきにくい特性がある。その弱点が、このアルカナを用いる限りゼロになるのだ。

 問題は『どうしてこんな権能が現出したのか』だが、カイトはその遠因を、エンジュを失ったことに見ていた。


(あのときだ)


 ククリの神器を操って、ベル・ゴと対峙したあの瞬間。

 生じかけた光の筋を、否定した瞬間の心境に遡る。


――『ここから道を選ぶのは、あくまで自分だ』。


 確かに、この権能ならば見定められる。

 自身が握る武器を使って、立ち回るべき道筋を。


「こっちは準備できてる。いい、ククリ?」

「はい、もちろんです」


 カイトの問いに、ククリは頷く。彼女が神器を剣のように構えると、空の視界に映るククリも、同様に己の得物を構えてみせた。


(正眼……たぶん、突っ込んでくる)


 もとより、彼女に剣術の知識はない。戦い方という選択肢がない以上、彼女は当然、。そうでなければチャンバラだ。

 では、とウルスが咳払い。


「これより生ずは聖なる戦、その写し事。ゆめゆめむくろ落とすべからず」


 彼の変わらず玲瓏な声が、試合の開始を宣言した。


「蟲神キョトーに奏手ウルスが奉る――双方、初めッ」

「ッ!」


 開始と同時、猛烈な密度の魔力を感じる。

 魔力を練り込み神器の中へと通したククリが、大地を蹴って突っ込んだのだ。

 


(もう、魔力の通し方を体得したのかッ)


 つまり、一度見ただけで大体理解するだけの眼はあるということ。

 なるほど、ウルスが自信を持って押すだけのことはある。

 だが。


「見えてる」

「っ、な!?」


 対するカイトの動きは、ごく単純なものだった。

 わずかに身体を左に引きつつ、木剣を上へと向けて振り上げただけ。

 だが、それだけで十分だった。

 彼のもたげた鋒は、まるで狙ったかのようにククリの腹へと吸い込まれ、直撃。

 神器を大上段に振り上げてしまった彼女は、防御に徹することが出来ない。

……この時点で、本当の戦であれば五臓六腑がまろび出ている。

 ダメ押しとばかりに、カイトは彼女の膝裏を後ろへ向けて蹴り飛ばす。着地と攻撃の荷重を支えるはずだった彼女の脚は、その瞬間に総ての意義を失ってしまった。


「ふべっ」


 当然、結果は派手な転倒。

 込められていた魔力が霧散し、一面に枯れ草混じりのつむじ風。


「来ると分かってる攻撃を、素直に受ける気なんて無いよ」

「……参りました」


 一瞬だけ呆けた顔をしてみせて、それから残念そうに降参を宣言する相手方。

 勝負、あり。


「どうしたもんかな」


 言葉をもらしつ、カイトは小さく息をつく。

 とりあえず、剣については完膚なきまでド素人。

 結論。……これをベル・ゴと戦えるように育てるのは、たぶん無理だ。

 

「どうにかして、神器の使い方を調べるしかないな、こりゃ」


 とりあえず方針が定まったので良しとするかと、内心で肩をすくめた。

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