第2章 |蠍姫《ククリ》④

■■■■■,■■■■■■■■■■■Las Alha. PEULAS wis Mil Arcturu.



「――っ、はっ!」


 一瞬、呼吸を忘れていた。

 いや、呼吸だけじゃない。

 カイトは確かに、のを自覚した。

 現在進行形で、己の体感覚がほとんど無い。

 心音は分かる。呼吸も今今取り返した。

 腕は、脚は、どこにある?

――そもそも視界はどこへと消えた?

 思い出せ。

 己がどこに立っていたのか。

 己が何をしようとしたか。


(そうだ。僕はいま、まさに荒野の死地にある)


 まずはひとつ。己の脚を取り戻す。

 荒野の乾いた大地の上に、ふらつきながらも立っている。


(僕は確かに、つるぎを取った)


 何のために?


(――戦うために!)


 どう、と暴れる一陣の風。

 瞬間、カイトの視界は白く開けた。


「……は?」


 周囲をついと眺めて一瞬、思わず口から間の抜けた言葉が漏れた。

 呆けた理由は、視界の中に飛び込む景色。赤茶けた大地の広がる“骸の荒野”が、白亜でできた都市へと置き換わってしまっていたのだ。

 蠍の少女、<祈り手>と呼ばれた個体が落とした剣を握った瞬間、自分は確かに荒野の中にいたはずだ。それがなぜ、陽光煌めく白亜の巨城に取り囲まれてしまっているのか。


(いや、そこは考えるまでもないか)


 理由はおそらく、今もこの手に携えている剣だろう。

 既にカイトは、モストーラとの接続で似たような現象を経験している。意識を失いかけたのがアルカナの副作用なら、この異様な景色もまた効果のひとつと考えて差し支えない。

 咆吼。

 不毛の大地を駆けていたはずの蟲の巨人が、突如として動きを止める。視線の迷い方、そして足を止めた場所からするに、迷宮メイズのような白亜の壁に阻まれて、行くべき途を見失ってしまったのだろう。

 モストーラですら、自己の認識のみが塗り変わるだけにとどまっていた。

 だが、今度はどうだ。

 相手にも変化が及ぶだけでなく、物理的な効果すらも生じている疑いがある。


(だとすると)

 

 自分は何か――途轍もないものと接続してしまったのではないか?


(いや、今は深く考えている場合じゃない)


 必要なのは、ベル・ゴをどう退かせるか、それだけだ。


――“■■■■■■Lu's Whitus.


 カイトの思いに応えるように、手に持つ剣が微かに震えた。自身から魔力が抜かれる感覚がして、同時、剣から青い燐光が立ち上る。


「うぇ」


 指先から、体が拡張されてゆく感覚。神経の先に新たな骨が、筋肉が、そして関節が構成されてゆく不快感に、カイトは思わず声を漏らした。


(分かるのは、魔力の変換機構と、出力口と、その操作機能だけか)


 どうやらこの異常な剣は、言葉や視覚ではなく、実際の体感覚として己の使い方を示してくれるらしかった。……それも、ごくごく最低限な部分だけを。

 その理由は容易に察せられた。


「嫌われてるなぁ」


 端的に言えば、使用者として認められなかったのだ。

 与えられる情報を噛み砕く限り、このアルカナの有する本来の機能、その副産物だけ借り受けることを許された――そう感じられる。


「要するに、魔力を推進力に変える力でぶん殴れ、ってことだな」


 独り言つ。

 要点さえ分かってしまえば、後はこちらが慣れるだけ。

 握る持ち手に力を込める。再度魔力の抜かれる感触がして、燐光が、青い光の奔流へと姿を変えた。濃密な魔力の波が、周囲に踊る砂埃を蹴散らしてゆく。

 手探りで、拡張された体感覚を確かめる。細かな部品が複雑に折り重なった剣の一部が、カチカチと小気味いい音を立てて動いた。

 前を見る。


「――ッ」


 一瞬だけ、視界の中に光の筋が見えた気がして、かぶりを振った。

 既にエンジュは折れてしまった。

 

 瞑目し、今一度狙うべき相手を見据える。

 今度こそ、視界に光の筋はない。


「悪いけど」


 誰にともなく、カイトは零す。

 魔力を溜めて、今にも暴れ出しそうな剣を握りつ。

 大地を踏みしめ、跳躍の構えを取って。


「まだ、止まれないんだ」


 そして、地を蹴る。

 青く耀く魔力に押されて、カイトはベル・ゴの下へと飛んだ。



          ◆



「……つまり」


 荒野での衝突――ベル・ゴを撃退せしめたあの瞬間。

 カイト視点で何があったのかを、十分に説明して、のち


「カイトさんは、この槍を剣として振るったということですか?」


 心底信じがたいという顔で、ククリは手に持つ神呪アルカナを見た。乱暴に扱ったにもかかわらず、その白い筐体フレームには擦り傷一つみられない。

 遠くの方で、少女たちが談笑する声が聞こえた。近寄ってこないのをみるに、おそらくこの空間は、あらかじめ人払いでもされていたのだろう。

 

「そうなる。……そもそも、ククリはどうしてこれが槍だと?」

「教えです」

「教え?」


 およそアルカナとは関連性が低そうな単語。

 そもそも、アルカナは生まれ落ちると同時にその身に宿すもの。アルカナの形質について“教え”なんて言葉が成立するなんて構図自体が、既に想像の埒外だった。

 けれどククリは、問い返すカイトの言葉に首肯する。


「もとより、このアルカナは代々族長たちが受け継ぐモノです」

「アルカナを?」

「……正確には、ですが」


 どこから話したものでしょうか、と気遣わしげな視線を向ける。


「じゃあ、まず『教え』について聞いてもいいかい?」

「はい。かいつまんででよければ」


 そうして、訥々とつとつと語り始めるククリ。

 内容をまとめると、以下のようなものだった。


          ・


――かつて、王たる麗翅れいしの民がいた。

 遙か遠く、ラナンとの戦が始まるよりも大昔。

 彼らは『神』に、三つの神器を賜った。

 一つは斧。あまねく鋼を断ち切りて、彼らの途を切り開く未来の象徴。

 一つは槍。何物も穂先をとどめること能わず、戦禍を貫く意志の象徴。

 一つは錫杖。広く世界の理を識り、総てを統べる智慧の象徴。

 麗翅の民はそれらを戴き、けれども独占することを良しとしなかった。

 かくして、三つの神器は同数の氏族がそれぞれ分け持つこととなる。

 斧は甲翅に。蟲人の武を司るゴ氏の長へと。

 槍は蠍に。蟲人の祈りと法とを司るラ氏の長へと。

 杖は麗翅に。蟲人の王となるべきナ氏の長へと。


 麗翅の民たるナ氏は告ぐ。

 我ら三氏は、相食むことを禁ずると。

 これら神器は三にして一。何れを欠いても、その役割は果たせぬと。


          ・


「……ラ族の長は、代々雌性しせいがその地位を継いできました」


 ククリは続ける。


「神器の継承は、当代の長が仔を生む際に行われます。仔のうちに親より素質が高いものがあれば、母の命を費やすことと引き換えに、当の神器を受け継ぐのです」

「じゃあ、ククリも?」

「ええ。母は私を産むと同時に、その命を落としています」


 強い人だったと聞いています、とククリ。


「一族を率いる才はもとより、神器以外では傷つかぬ強壮な身体。そして、神器を用いた遠当てにおいて、右に出るものはいなかったとも」


 遠当て。

 つまり、彼女の母が有していたとき、その神呪は投槍ピルムのカタチをしていたということか。

 なんとなく、彼女の心中を察した気になる。

 神器として神呪を継承したはいいものの、それは伝え聞くものとは似ても似つかぬ巨大なもので。使い方も分からないので、上手く戦うことも出来ず。

 おそらく、ベル・ゴ率いる甲翅族にはその隙を突かれたのだろう。

――でなければ、

 そんな最中に、それを使って戦う相手を捕まえたのだ。


「で、さっきの話に戻るわけか」

「その通りです、カイトさん。私の持つ今の神器は、先代までのそれとはまったく異なります。伝え聞いた使い方では、使うどころかまともに魔力も通らない。せめて、その問題点だけでも解決してから、戦に臨みたいのです」


 でも、と眉根を寄せるククリ。


「先ほどのお話を聞くに、そもそも神器は、私を使い手として認めていないということになるのではないでしょうか?」

「うん?」


 予想外に後ろ向き。反応に違和感を覚えて、カイトは小さく首をかしげた。

 だって、とククリ。


「神呪とは魔力を通してその権能を解放するものです。そもそも魔力が通らないのは、神器に拒否されているとしか」


 確かに、魔力が通らないというのは変な話だ。

 神呪に限らず、魔力とは遍く物質に含まれて循環するものだとされている。意味があるかどうかはともかく、例えばカイトからテマに対して魔力を一方的に押しつけることだって出来るはず。

 それがそもそも通らないというのであれば、魔力に対する絶縁加工があるか、それとも強固に抵抗されているか、そのどちらかだと考えるだろう。

 しかも、前者についてはカイトが魔力を抜かれているので成り立たない。順を追って考えてみれば、確かにククリの憂いももっともだった。


「とりあえず、一度見せてみてくれないか」


 何の検証も無しにいい加減なことを言うのも気が引ける。まずは彼女がどうこの神器を使おうとし、そして失敗したのかを見てみなければ。

 分かりました、と頷くククリ。そして、神器たる白い剣を持ち上げた。


「……おう、なるほど」


 次いで彼女が取った構えは、カイトから見てもかなり奇妙なものだった。

 この神呪を“剣”だと思うカイトにとっては、予想外な構え。

 柄を右手一つで握り込み、左手を剣身に沿わせて、鋒を鋭角にピタリと向ける。

――あまりにも美しい、だからこそ違和感しかない槍投げのフォームだった。

 ぎりり、と何かが軋む音がする。

 見れば、彼女の右手から濃密な魔力の靄が立ち上っていた。周囲の景色を歪めるほどに濃密なそれは、けれども神器に吸収されていく気配を欠片も見せていない。

 彼女の言うとおり、本当に魔力が通っていないのだ。


「わかった、一旦止めて欲しい」


 カイトの制止と同時、虹色の靄が霧散する。ククリはどこかしょんぼりとした様子だったが、とりあえず、とあえて気にせず言葉を続けた。


「今のは、神器を遠くに投げようとした、というので合ってるかな?」

「はい。向こうにある、オアシスのほとりへ投げようと」


 話を聞くに、先代までの神呪は『落とす場所を念じながら魔力を練り、そのまま投げることで必中の効果を得る』権能を持つものだったらしい。彼女の母に至っては、

地平線ギリギリに揺れるナツメヤシをも射貫くことが出来たというのだから驚きだ。

 けれど、今の神器にはそれがまったく通用しない。

 具象型の神呪として他の個体に扱わせてはみたらしいが、投げることはおろか、持ち上げることすら困難という結果に終わっている。


「もしかすると、出来ないのかも」

「出来ない?」

「うん。……少しだけ、その神器を借りても良いかな?」

「ええ、どうぞ」


 ククリから、ずっしりと重たいそれを借り受ける。今度は急を要する事態ではないため、カイトの神呪は励起させない。

 握った瞬間、わずかに体感覚が広がる感覚。試しに少し動かすと、魔力の抜かれる感覚と、剣の内部が駆動する感触がした。

 ここまではいい。神呪を介さずとも、正常に動くのだと証明できた。

 それなら――投槍として扱うならばどうだろう。

 カイトは己の姿勢を変えて、ククリの示したフォームをなんとか真似てみる。


「重っ……!」


 当然、剣の重みは右腕のみに集中する。『剛毅フォルス』を持たないカイトにとって、これはかなりの負荷だった。


「だ、大丈夫ですか?」

「大、丈夫……ッ」


 歯を食いしばりつつ、カイトは神器へ魔力を送った。

 言われたとおりに、槍の先を落とす場所を念じながら。

 が。


「動きませんね」

「やっぱりか……ふぅ」


 神器を下ろす。

 、神器はまったく動かなかった。


「ありがとう、ククリ。少しだけ、理由が分かった気がするよ」

「というと、さっきの『出来ない』という話ですか?」

「うん」


 今一度、今度は剣として構えなおしつ、カイトは頷く。

 そして、ベル・ゴを倒したときと同様、己の魔力を変換機構に送り込む。

 唸るような低周波音。神器に備わる出力口から、青い光が零れ始めた。

 鋭く一息。剣の柄を握りしめ、カイトはそれを、大きく上へと持ち上げた。

 イメージするのは、青い三日月。

 素早く大剣を振るイメージで、青い魔力を爆発的な推進力へと置き換える。

 果たして、跳ねるように動いた神器は、その鈍すぎる鋒を草原の上へと落とした。

 小規模な炸薬に似た破裂音。

……下草に覆われた地表は、半球状にひび割れていた。


「――たぶん、今の神器に、投槍としての機能はないんだ」


 急な変化に眼をしばたいたククリに向かって、苦笑気味にカイトは告げた。


「別の武器として、使い方を探していく必要がある」

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