第2章 |蠍姫《ククリ》②

 ――また、無茶をして。


 そんな声が聞こえた気がして、カイトはゆっくりまぶたを開く。

 ピントが合わない。瞬きするに見いだせたのは、自分がどこか、白い部屋の隅で寝かされているということくらい。

 それも、およそ数秒のこと。だんだんと鮮明になるディテイルのなか、カイトはひとりの少女を視界に認めた。

 微風をはらんでふわりと踊る銀色の髪。

 身に纏うのは、滑らかな絹糸の質感が美しい、純白のドレス。


「……ッ!」


 同時、カイトは思い出す。

 青い光。強い慣性、そして衝撃。

 蠍の少女のを用いて戦った、その瞬間を。

 上半身を跳ね上げると、上等なベットのバネが大きくたわむ感触がした。

――大丈夫。

 目覚める間際に聞こえたものと同質の声が、カイトの頭の中に響いた。

 ゆっくりと、白い少女のほうを見上げる。


『ここには、あの甲翅族カブトムシはいないから』


 彼女は確かに口を動かしている。

 だがその声は、耳から聞こえてくるものではない。


『おはよう、カイト。――ううん、正しくは“おやすみ”、なのかな』

「“おやすみ”? じゃあ、ここは」

『そう、夢。カイトが見ている夢の中』


 少女は笑んで、腰掛けていた大きな箱から飛び降りる。

 高さがテマほどもある大きな箱だ。必然、少女のドレスは空気を含んで、一瞬だけその細い足を露わにしてしまう。


『……見た?』


 いたずらっぽく問うた彼女に、なんとなく視線を逸らす。

 えっち、と少女の甘い抗議が聞こえたけれど、黙殺した。


「それより、どうして僕は此処に?」


 問いかけながら、ふと思う。

 神呪の副作用で見る“夢”にしては、やけに会話が多い気がする。こうまで積極的に対話が出来る“夢”なんて、初めてなのではないだろうか、と。


『それはね。……


 問いかけに対する答えは、思いのほかにあっさりともたらされた。

 

「やっぱり、エンジュなんだね。キミは」


 カイトの言葉に、ドレスの少女は榛色の瞳を伏せた。


『カイトと話すのは、たぶん、これが最後』

「……」


 当然だろう。

 斬られて機能を失ったことを仮に“死”と定義するなら――エンジュは確かに殺されてしまったのだから。

 むしろこうして話が出来ていること自体、奇跡に近いできごとだろう。


『ありがとう。私をずっと使ってくれて』


 記憶の失せた自分が知りうる“最初”から、ずっと背負ってきた杖だ。使い勝手を論じるよりも、もはや『ないと落ち着かない』レベルで使い慣れた相棒。


『悔しかったから、ちょっとだけズルしちゃった』

「悔しい?」

『死ぬときくらい、カイトのを支えたいじゃん。

……もう、もとの“杖”としてカイトを支えることは出来ないけど』


 だって水先案内人カイトの杖だもん、とはにかむエンジュ。


『だから、この夢は最期の抵抗。思い出せる記憶の代わりに、私の意識を差し込んじゃった』


 この箱はその証拠ね、と乗っていたそれを優しく叩く。……言われてみれば、それは確かに、前回に見た神呪アルカナの夢にも出ていた。

 それはそれで、少しだけ勿体ない気もする。


『勿体なくないよ。割り込むときに覗いてたけど、正直ハズレっぽい』


 心の底を見透かしたのか、エンジュは小さく肩をすくめた。


『でも、ごめんね。この記憶だけは、思い出せないと思う』


――たぶん、私といっしょに消えちゃうから。


「そっか」


 それ以上、言うことはない。

 やっぱり勿体ないけれど、それでもエンジュとこうして語り合えるのだ。記憶の数分ぶんくらい、欠けたところで逆におつりが来るというもの。

 カイトがそう結論づけると分かっていたのか、エンジュは静かに苦笑する。それはどこか、諦念のような気配すら纏っていた。

 すぅ、と一息。

 意を決したような顔をして、エンジュはカイトの胸へ飛び込む。しなやかな腕がカイトの背へときつく回され、そのまま彼女は、愛おしげに胸板に頬ずりをした。


『――カイト』

「うん」


 華奢な身体を抱きしめて、カイトは彼女の言葉を待った。

 その行動はどこまでも“少女”のソレであるのに、ぬくもりも、鼓動も息吹も感じない。一瞬だけそう感じて、すぐにその感想を頭の中から追い払う。

 お前は道具に何を求めているのか、と。

 

『こっちを、みて』


 カイトの背に回されていた腕が緩んで、彼女の顔が上を向く。

 人形のように整った顔。極細の筆でまつげの一筋まで丁寧に描かれたような目鼻立ちの下に、洗いたての桃を彷彿とさせる、つややかな唇。

 彼女が何を求めているのか。それは、火を見るよりも明らかだった。


「『我請わんIl Beque; 遠き汝の耀きをLu Glos xi Lis Arcturu』」


 神呪を励起させると、満足した表情でエンジュがこちらへ伸び上がる。

 程なくして、カイトたちの唇どうしがわずかに触れた。



―― XalN'oi Reap私は“杖”にはもどれない ,

―― FalN'oi Tressそれでもどうか棄てないで.

―― Il Zas Leinどれだけ時を経ようとも, Al xas Tems vis Pastかならず貴方を救うから.



 脳裏に響く三つの言葉。

 フレーズとともに、いくつものイメージがカイトの意識の流れ込む。

 イメージの正体は、知識だった。

 杖としての彼女が持ち得た、渡せるだけの“道具”の知識。

 それを、エンジュはカイトへ受け渡そうと試みたのだ。

 流量は時を経るごとに細り、やがてふつりと途切れてしまう。


『残念。ここまでかぁ』


 唇を離して、エンジュは残念そうに苦笑する。その姿は、既に半ばほど透明に薄れてしまっていた。

 ぴしり、と何かがひび割れる音。

 エンジュの消滅と同時に、空間の崩壊が始まっていた。

――目覚めの時が近づいている。


『カイト』

「なに」

『絶対に、死んだりしちゃ駄目だからね』

「もちろん」

『危ないところに近づかないでね』

「分かってる」

『誰彼構わず助けようとしちゃわないでね』

「気をつける」


 言葉は努めて明るめに。まるで、ちょっとそこまで出かけるような気軽さで、カイトとエンジュは最後の言葉を交わし合う。


『カイト』

「ああ」


 とん、と胸に軽い衝撃。

 奇しくもそれは、彼女エンジュが折れたその瞬間と、ほとんど同じ感触で。

 瓦礫のような影たちが、視界を黒く埋め尽くしてゆく。


『行ってらっしゃい』

「行って、」


――行ってきます。

 その言葉を言い終わるのを待たずして、夢の世界は消え失せた。



          ◆



「……ぅ、ん」


 ちりちりと、鳥か何かの声がする。

 頬を撫でる微風は涼しい。荒野らしい乾いた風とは、やや性質が異なる気配。

 そして、カイトの頭の下に感じる、柔らかく温かい何かの感覚。


「お目覚めですか?」

「……ああ」


 聞き覚えのある、柔らかな少女の声音。

 瞼を開くと、風に踊る辰砂の髪が間近に見えた。

 よかったと、小さな言葉が落ちてきた。


「改めて、初めまして、ラナンのお方」


 あくまでも友好的に、辰砂の少女は言葉を紡ぐ。


「そしてようこそ――終わらぬ乱世、その最果てへ」


 けれど、紡ぎ出された文字列は震えるほどに物騒で。

 彼を支える彼女の背には、鮮烈な紅色の旗が揺れていた。


 軍旗ヴェキシロイド



「……あぁ」


 その旗の意味に気づいて、カイトは小さく息を漏らした。

 とどのつまり。

 自分は今、まさに虜囚となっているのだ、と。

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