第2章 蠍姫 -ククリ-
第2章 |蠍姫《ククリ》①
通聖歴1578年 8月10日
“骸の荒野” 北西部
<カイト>
「キミは、」
辛うじて、その一言が口から漏れた。
どうして。
なぜ。
どうやって。
何のために。
――様々な憶測と疑念とが頭の中を飛び交って、思うような言葉にならない。
金属が強くこすれ合う音。蠍の少女の掲げた得物が、巨人の斧を受け止めていた。
黒金の斧に対して、少女が掲げたその長物は、眩しく思えるほどの純白。直線的な構造体が組み合わさった、馬上槍とも、剣ともとれる不可思議なカタチのそれは、巨人の斧を受け止めてもなお断たれることなく拮抗していた。
「……く」
こちらを見返す蠍の少女が、苦しげに顔をしかめる。
カイトを庇った少女の身体は、重心を低くそなえた安定姿勢。そのうえ、地に立つは八本の脚。何かを受け止めるには、おそらく最善の状態だった。
それでもなお、じりじりと押されつつある。後肢がいくつかたたらを踏むのは、甲翅の巨人の膂力によって、文字通り押し返されているからだ。
「さ、すが、“
「<祈り手>よ。その細腕ではラナンは守れん。大人しく退け」
途切れがちに投げかける少女とは対照的に、淡々と返す巨人――ベル・ゴ。
「我は今、神聖なる
<祈り手>。
ベル・ゴの言葉を解釈するに、おそらく祭祀を司るもの。
なるほど確かに、彼女の装いはどこか浮世離れしているような風情があった。
美しく梳られた辰砂の髪には、三本角を思わせる銀のティアラが被せられ。両の耳には、やや大きめのフープピアスが揺れている。唐草様に薄いレリーフが施された金属鎧も、儀礼用と説明されれば納得がいく。
ここに至って、ようやくカイトは理解した。
おそらく、彼女は戦闘要員ではないのだろうと。
(……うん?)
ふと、違和感を覚える。
ならばなぜ、彼女の剣は未だに断たれていないのか。
戦闘要員でもない彼女が、具象アルカナの切断に耐えうるほどの武器をどうして持っているのだろうか。
「ぅ」
軽いめまいを覚えるカイト。脳裏に両断されるエンジュの姿がちらついたのだ。
いけない、と自分自身に言い聞かせる。
失ったものに引きずられては、その先を見ることが出来なくなると。
「確かに貴方の言う通り、戦とは聖なるもの。……ですが!」
少女の言葉に力がこもる。同時、彼女の脚が力強く大地を踏んだ。
「だからこそ、
言いながら、少女が腕を振り抜いた。
それだけで、わずかにベル・ゴの斧を弾いて飛ばす。
がいん、と響く衝突音。
それでも、彼女の得物に傷はない。
「笑止」
ベル・ゴに慌てた様子はなかった。
寧ろ、驚くほどにあっさりと姿勢を変えて構え直してみせる始末だ。
まるで、そうなることを予見でもしていたかのように。
「戦場で我ら甲翅に物申す――神器を得て思い上がったか、こそ泥が!」
そして、大地に一撃。
虹色の光を纏った黒金の斧が、乾いた大地を打ち砕く。
「わっ」
「く、う……っ」
言ってしまえば、カイトはただのラナンに過ぎない。地を掴む八本の脚もなければ、手に持つ折れた杖以外、さして荷物も抱えていない。
そんな彼が、大地を砕く斧の一撃を至近に受ければどうなるか。
当然――その衝撃に煽られるまま、遠くへ吹き飛ばされてしまう。
「おぉっ」
気合一閃、ベル・ゴが蠍の少女へ肉薄する。
胴ごと袈裟斬りにでもしようというのか。頭上高くにもたげられたその大斧は、ただただ、力任せに振り下ろされて。
「……っ、はぁあっ」
対する少女も、己の剣に虹色の魔力光を纏わせ始める。
具象アルカナ。
なるほど、と、カイトは思う。
確かにそれなら、かの大斧にも耐えうる強度を持つかもしれない。
だが。
(まずい)
カイトは予測する。
この打ち合い――彼女は勝てない。
単なる水平の打ち合いですら、膂力で劣って押されていたのだ。
大上段から十分な位置エネルギーを付加された一撃に、彼女の腕が耐えきれるはずもなかった。たとえ剣が耐えたとしても、彼女はそれを取り落とすか、悪くすればそのまま斬られてしまうだろう。
「ダメだ、避けろッ!」
警告するも、手遅れ。
虹色の斬線どうしが衝突し、朱金色の火花が散った。
耳障りな金属音。同時、カイトの眼前に一本の剣が突き立った。
――蠍の少女が携えていた剛剣である。
「あああぁっ」
少女の悲痛な声が聞こえた。
だらりと下がった左腕。脱臼したか、あるいは筋がやられたか。
それでも、辛うじて撥ねのけることはできたらしい。両断される様を予想してしまっただけに、わずかな安堵が胸裏を撫でた。
とはいえ。変わらず、状況は一刻を争っている。彼女は無手で、左の腕は使えない。始めから両腕で振るっていた剛剣だ。呼び戻したところで、満足に振るうことは出来ないだろう。彼女は既に、戦闘能力を喪失したに等しかった。
対するベル・ゴは五体満足。予想以上の抵抗に驚きでもしたのだろうか、彼は感情の読めない瞳で、少女を静かに見据えていた。
「<祈り手>よ」
「何、でしょうか」
「退け。……さもなくば、同胞の死を早めるぞ」
「お断りします」
短い応酬。蠍の少女は下半身の黒々とした
「戦場では戦場の掟に則り決着しましょう。――ラナンの方」
「……ッ」
「逃げて」
唐突に投げかけられた一言が、合図だった。
「
短い呼気とも、気合ともとれる単音とともに、蠍の少女がベル・ゴへ向けて踏み込んだのだ。
「なっ」
あり得ない、とカイトは思った。
神呪を携えぬまま、神呪持ちに挑みかかる。――ラナンの常識で言えば、それは自殺とほぼ同義。奇跡の発現に時間のかかる抽象型なら、あるいは先手で殴れば倒せることもあるだろう。
けれど、ベル・ゴは具象型。
殴る以前に、近づくことすら困難だろう。
けれど、ベル・ゴたちはそうは思わなかったらしい。
「――ファラ!」
「『
巨人の切迫した声に、肩の少女が守護の奇跡を発現する。
蠍の少女とベル・ゴの間に、オパール色の壁が生じる。
それは、
だが。
「らぁああああっ!」
突進しながら、蠍の少女が触肢を壁に突き入れる。
瞬間、何十もの薄いガラスが一斉に割れたかのような、耳障りな音が響いた。
ファラの神呪が。
“藍鯨”の艦隊ですら撃ち抜けなかった魔力の壁が、あっさりと砕かれたのだ。
同時、カイトは知覚する。
己の背後を塞いでいた彼女の壁も、諸共に失せていることに。
――逃げて。
ふいに、先の一言について理解する。
初めから、彼女はこれを狙っていたのだ。
そして、同時に思い至った。
それだけで死ぬつもりだと。
「小癪なッ」
黄金の巨人が、蠍の少女を蹴り飛ばす。そのまま斧を放り捨て、肩から落ちた甲翅の少女を恭しく両手の中へと拾い上げた。
「おお、おぉ、ファラよ。今は休め」
おそらく、神呪を打ち砕かれた反動だろう。ぐったりとした甲翅の少女が、動き始める様子はなかった。息も絶え絶えであろう彼女を腰の袋に収め、ようやく、彼は蠍の少女を睨めつけた。
「汝の死に様、今決めた。
一肢一肢の甲を剥ぎ、己の尾針に串刺しにしよう。
荒野の熱に干涸らび朽ちよ。
一太刀にて死ねると思うな。
繰り返そう。甲翅族の表情は読み取りがたい。
普段であれば、発する言葉の真意でさえもまったく読めないはずの種族だ。
けれど。……けれども、今のカイトは理解していた。
ベル・ゴが発する言葉のすべてが、蟲人にとっての最大限の侮辱であって。
それを発するベル・ゴ自身が、すさまじいの怒りのなかにあることを。
背筋に氷でも投げ込まれたかのような、怖気。
カイトは、彼女を助けなければと強く思った。
助けなければ、また目の前で失ってしまう。
(武器がいる)
あのような脅威には、それ相応の武具がいる。
甲翅の剣は彼に通じず、
ならば、今要するは――。
「……」
眼前の剛剣を見る。馬上槍とも、巨大な剣ともとれぬ偉容を。
剣と呼ぶには長すぎて、突き貫く槍とするには鈍すぎるそれ。
けれども、けれそもその武具は。
――かの
「『
詠唱を口ずさんだのは、必然だった。
それほどまでに強力なこの
これだけの得物に神呪を使ってしまえば、反動が恐ろしくなることも察せられた。
「――『
けれども、彼は言葉を留めない。
がっしりと、その長大な柄を掴む。思いのほかしっくりと馴染んだそれは、冷ややかな重金属の質感を呈していた。
重そうだな、と思った。
使えないとは、不思議なことに思わなかった。
「――『
だからこそ、カイトは己の神呪を完結させる。
そして、空白の刹那。
――カイトは、己が何に触れたのかを思い知る。
◆
同年 同日 同地点
<祈り手>
「こは、かはっ……」
全身が痛む。黑鉄の甲に覆われた下半身ならいざ知らず、蹴られた腹部は、痺れるような疼きとともに皮膚の下で乱舞していた。
間違いなく、臓腑に傷を負っている。
命に関わるものではなくとも、戦闘には重い枷となりうる痛み。加えて彼女の左の腕は、筋が断たれて動かない。
「調子に、乗りすぎたのでしょうか」
戦場に踏み込んでしまった故に、踏み散らされたラナンの群衆。
彼らの命を重んじたゆえ、救いに走ってこのザマだ。奉ずる“主”がこれを知ったら、どのくらい呆れるだろう?
(まさか、ゴ族の頭が出ているなんて)
いや、考えてみれば驚くようなことではないのか。
蟲人にとって、ラナンの名は死を意味する。彼らと邂逅してしまえば、何をされても頭を垂れて心を殺すか、でなければ抗って死ぬかのふたつしか道はなくなる。それほどまでに、彼らの群れは抗いがたい強さを秘めていた。
それに抗するのであれば、■■を持つ支配者級が出張ってくるのもうなずける。
(まあ、私もその一人の筈なんですけど)
苦笑する。
もとより、<祈り手>がゴ族の首領に白兵戦で勝てるものではないのだ。彼の持つ■■のようには、私のそれは強い膂力を与えてくれるものではない。それどころか武器としての性能ですら、凡庸な槍にも劣る。
見栄えだけは白く立派で、とても頑丈。……言ってしまえばそれだけのもの。その力の程は、生まれてこの方荒野の中で辛うじて生を繋いだ自分が十分味わっている。
視線を上げる。
陽炎に揺らめく金色。――瞋恚の炎にその身を浸した当の
手には大斧。彼の用いる神呪の結晶である。
幸いなことに、彼の視線は私だけを捕まえていた。先ほどまで付け狙っていたラナンの少年のことなど、既に意識の外だろう。
当然だ、と思う。
ベル・ゴはそういう人間であると、私は十分知っていた。
そういえば、と思う。
助けた彼――黒髪をもつラナンの方は、無事に逃げてくれただろうかと。
■■を持つ私の体質で、ファラの壁は砕いたはずだ。
今から逃げれば、ゴ族は長く走れない、逃げ切ることも不可能じゃない。
(駄目)
攻防で、一帯には砂埃が上がっている。ラナンとしては長身だったかの少年も、まばらに踊る砂の中では見いだしにくい。
まあ、いいかと視線を下げる。どのみち、あと数分は動けそうにない。それだけの時があれば、ベル・ゴが私を八つ裂きに処すのもたやすいだろう。
私は死ぬ。それだけだから。
抗うことを諦めて、全身から力を抜いた。
視界の端に青い光が見えたのは――その瞬間のことである。
(……?)
青い光というものに、私はあまり馴染みがなかった。
青と言えば、晴れた空、それを移すオアシスの水面、小さな花、そして蝶……それくらいだ。いずれも決して、自ら光を発しはしない。
神呪の魔力光も大抵は虹色だ。例外があるとすれば、某かの体系に属する『魔術師』の神呪くらい――神呪?
(まさか)
動かぬ身体にむち打って、半身を上げる。かすむ視界。両眼をこする。
瞬間。
圧倒的な魔力の圧に、砂埃が追い散らされた。
そのただ中にあったのは――私が落とした
(なんで)
なんで逃げなかったの、と、心の中で小さく零した。
いや、愚問だろうと頭の中の冷めた部分が結論づけた。
もとより、彼はベル・ゴと戦っていた。あり合わせの剣を放り投げてまで、彼に一撃を与えようと苦心したのを知っている。
ならば、かの神呪に抗しうる私の神呪は、さぞ魅力的に見えたことだろう。
でも、それは何の力も持たない武器だ。
刺すことも貫くことも、まったく出来ない欠陥品だ。
やめて、それを捨てて今すぐ逃げて。
そう、叫ぼうとした次の瞬間。
少年が――目にもとまらぬ速さでベル・ゴを殴りつけていた。
「……えっ?」
一瞬、神呪が青く耀いたのは分かった。
だが今のは何だ?
気づけば彼はベル・ゴの頭部に肉薄していて、あまつさえ槍の腹で巨人の頭部を横殴り。
しかも、片手で。
それからも繰り返し、肉薄し、殴り、瞬時に遠ざかるのを繰り返す少年。
あの理解しがたい踏み込みに、私の神呪が関わっているのは間違いなかった。
なんで、と言葉が漏れる。けれども今度は、その意味合いが大きく違った。
「なんで、そんなに」
――そんなに上手く、その槍で戦えるのよ?
「――ぬぅん!」
ベル・ゴが焦りを含んだ声を漏らした。
「埒があかぬ――仕切り直す!」
言い捨てて、全力の一撃を大地へ撃ち込む黄金の巨人。
衝撃波。次いで、もうもうと立つ砂埃。
私は見ていた。
周囲を隠す砂に紛れて、ベル・ゴが全速力で疾走していくその様を。
蟲人族希代の武人が、恐怖と暴力の権化であるとも言える彼が、敗走してゆくその様を。
信じがたいところだけれど、確かに今、恐怖は去った。
唐突に、魔力の圧が失せる感覚。見れば、ラナンの彼がその場に倒れ伏していた。
戦場に、静寂の帳が落ちる。
ようやく動き始めた身体を起こして、私はラナンの彼に近づいていく。
(何が起こったのかは、分かりませんが)
とりあえず、今動けるのは自分だけ。
ならば生き残りを救助するのが使命であると、そう思ったのだ。
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