第1章 |異言《カイト》⑥
“骸の荒野” 北西部
旗艦 “カロン”内 艦橋最奥
「あぁああっ!?」
薄暗い部屋の中央で、ひとりの少女が悲鳴を上げる。
起動したままの『隠者』の神呪が、激しく乱れた映像を表示していた。
「……っく、各艦、損害報告を」
『こちら“プシュパカ”。損害なし』
『“アルゴ”、損害なし。貴艦の被害は甚大に見える、指示を求む』
『同じく“マカラ”。被弾一、損害ありません』
『“フリング”、問題ない』
『こちら“スヴェル”、甲板に被弾、負傷者多数も航行に問題なし』
彼女の言葉に、神呪の端末を持つ艦長達が次々答える。
狙われたのは、本当に
ギシギシと嫌な響きが階下から突き上げてくる。確認するまでもない。この反応は、前方の肢がもがれたそれだ。……もう、まともな航行は出来ない。
それならば。
敵の意識を
「各艦に告げます。横列を解き、最右翼“プシュパカ”、最左翼“スヴェル”を突出させた翼型陣を組んで下さい。中央は“アルゴ”とします。
当艦は航行不能に陥りました。カロンを置いて戦闘行動を継続しなさい」
“アルゴ”を実質的な旗艦として、今度は多方面からの攻撃を行う。
旗艦を潰しても有機的に行動出来る――それを示すことで、いったんはこちらから目を外していただこう。彼女はそう考えたのだ。
「敵方の神呪は『
その上で、じっくり対策してやる。……そうすれば、後は丸裸だ。
物騒なことを考えながら、彼女はモニターを睥睨しつつ唇を噛む。
この先、いくら旗艦を潰されようと、各艦の艦長達には『
「当たり前じゃない」
艦長達に聞こえないよう、彼女は零す。無意識のうちに、指先が胸元の銀板へと伸ばされていた。灯火を掲げる老爺、『隠者』の意匠を持つチョーカーへ。
「私は、勝つの。これだけの神呪を持って生まれてきたのに、退くなんて」
誰が好んで、こんな薄暗がりにに引きこもるのか。
誰が望んで、外界と自分とを切り離すのか。
総ては、この神呪を最も好条件で使うために他ならなかった。
私は勝つ。勝って、無事に
そして、彼と――
『こちら“アルゴ”、中央配備の栄に浴します。救助は如何に』
いけない。
彼女は熱くなった頭を冷やして、モニターに視線を向ける。
「先に通達したとおり、敵方に腕のいい狙撃手がいます。身を晒すのは得策ではありません。カロン独自で艦載船に分乗し、戦線を離脱します。指揮はこちらで。そちらは戦闘に専念して下さい」
『はっ』
静かに、けれど確かな闘志を裏に湛えて、“アルゴ”艦長は通信を切る。こうした瞬間に余計な権力闘争が発生しないところを見ると、神が配する“天職”も捨てたものではないなと感じる。……明らかな無能は、あらかじめ排除されているのだ。
そして、数分。はたして、彼女の指示は速やかに反映された。
直射、曲射、弓なり投射。
中央三艦は最前線の近接部隊だけを吹き散らし、合間を縫って先行する二艦が、ありとあらゆる方向から間断のない砲撃を試みていた。
『“プシュパカ”より“カロン”、壁を抜いたぞ! 左右各方三十度までしか対応出来ない!』
『こちら“スヴェル”、上方六十度は完全に遮断されている。“プシュパカ”と連動して、両翼より一斉射で対応されたい』
少しずつ、でも確実に、敵の弱点をあぶり出してゆく。
行ける。……崩れかけ、大きく傾いた自室の中で、少女は薄く微笑んだ。
「中央三艦は前方からの集中砲火を。壁を釘付けにしなさい! ……“プシュパカ”“スヴェル”二隻は、仮称『
『『
獲った。指示を通達した段階で、彼女の役目はすべて終わった。
そう、彼女は確信する。
だが。
『こちら“スヴェル”。どういうことだ、砲撃が通じていない!』
『“プシュパカ”より“カロン”、壁がこちらを向いているっ』
「なっ……!?」
異常事態を告げる報告に、少女はわずかに狼狽した。
外を見るわけにはいかない。目視をしようとこの身を晒せば、おそらく自分は打たれてしまう。
想像する。コレまでの砲撃が示す事実と、スヴェルとプシュパカの砲撃が突如として効かなくなった原因を。
プシュパカの報告があった。――防御範囲は左右の各三十度。
スヴェルの観測結果があった。――上方は、ドーム状に保護されている。
ふと、幻視する。
両手を前方へと向けて持ち上げ、
「まさか、」
――誘い込まれた?
「“カロン”より“アルゴ”、前方中詰めに向けて一斉射! ……早くッ」
『はっ!』
間に合えと、少女は願った。
おそらく、相手は自分の手を読んでいた。翼型陣で先端から防御範囲をあぶり出しつつ、近接戦を忌避するゆえに中央付近を露払いにする。
ゆえに、中央からの砲撃は前線だけに集中する。
そして、いざ中詰めを殲滅すべく攻撃を始めた瞬間。
――聖女が不意に、両の腕を横に広げる。
開くのは魔力の城門。剥き出しになる異形の砲口。
遮蔽物は既になく。本来であれば真っ先に飛んでくるはずの光線も、その瞬間においてのみ、何ひとつ届くことなく。
そう。それは。
絶好の、分岐点だった。
「――っ!?」
轟音。爆音。破砕音。
次いで、天から
……少女の周囲に展開されたモニターが、きっかり三つ光を落とした。
『まずい、“カロン”が剥き出しだ!』
大型艦三隻が、瞬時に墜ちた。およそ考えがたい事態の変化に、平静を失ったのだろう。スヴェルの艦長はそう零し、自らの船の行き脚を止めてしまった。
「馬鹿、そのまま走って!」
少女が檄を飛ばすが、遅い。スヴェルが進路を変えきる前に、獲物に群がる黒蟻のごとく、甲翅族たちがその肢に向けて食らいつく。
あれよあれよという間に肢が壊され、スヴェルはその下腹を大地へと下ろしてしまった。……後はもう、絶望的な攻城戦を残すのみ。
単独の
程なくして、また一つ光が消えた。
同時、“スヴェル”は最悪な置き土産を残してしまう。
針路を大きく――“カロン”へ向けて変えてしまったその事実である。
『提督ッ』
“プシュパカ”の艦長が警句を発する。
「分かってる!」
吐き捨てて、立ち上がる。
もはや、窓際が怖いなどと甘えたことは言っていられない。
発条仕掛けのように素早く、彼女は部屋の外へとその足を向ける。
行き先は最下層、艦載船の駐機場。
そこまで逃げれば、少なくとも、
歪んで止まったドアを蹴破り、廊下へと出たその瞬間。
――轟、と。
彼女の頭上が、火球によってえぐり取られた音がした。
「……ぁ」
この先に起こる事象を理解して、彼女はゆっくり天を見上げた。
青天。
そのただ中に、彼女はひとりの少女を認めた。
白い翼を空に広げた、人形のように美しい天使の姿を。
嗚呼、と思う。
「グレ――」
霹靂。
唐突に彼女を襲った雷は、同じくらいに唐突に、彼女の命を燃やし尽くした。
心の裡の独白も、零した名前も諸共に。
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