第1章 |異言《カイト》⑤
遠く、雷の音が聞こえた。
視線を上げる。砂塵を噛んだ紅色の髪が、生ぬるい風に翻る。
魅入られる。
遠く、遠く。未だ地平の遙か先。
一隻の巨大な
数多の脚を祈るように天に掲げて、
ああ、今、まさに。
かの大艦は、その心臓を失ったのだと。
「――助けないと」
ひとりごつ。あの
西の果てからやってきた、文化と物資、そしてユメとが諸共に。
それをみすみす見過ごすことは、出来ない。
「主よ、独断をお許し下さい」
彼女の脚は、枯れた大地を踏みしめた。
・
“骸の荒野” 北西部
旗艦 “カロン”内 艦載船駐機場
――最初に見えたのは、七色の奔流だった。
カロンの船腹から幾筋もの光条が迸り、大地に刺さる。
蟲人族たちの黒い群れが、その一斉射で吹き散らされた。……文字通りの殲滅だ。
わぁ、となんとも言えない表情で感嘆するテマ。
「今ので、何匹死んだんだろう」
「十や二十は、下らないだろうな」
応えるカイトも、あまり気持ちのよい顔はしていない。如何に相手が怪物だとして、その命を磨り潰していることに変わりはないから。
甲板での一幕から約数時間。数少ないのぞき窓から、カイトとテマは
よくある話だ。
友好的な亜人種たちは教化して、敵対的な亜人種たちと遭遇すれば、蹴散らして次の場所へと突き進む。今の構図は、武装隊商における基本方針そのままだ。
いつも通りに、圧倒的であるだけで。
「あんまりモストーラから離れるなよ」
と、別れたはずの男の声が耳朶を打つ。
「どうした、グレン。忘れ物か?」
カイトが問うと、なわけねぇだろ、とグレンが唸る。
テンションが低い。ということは、なにがしか提督とやり合ったんだろう。ここに配置されたということは、たぶん言い負かされたのだ。
「提督に言われたんだよ。ここで守りに付けってな」
「あんま納得してない顔だ」
テマの茶化しに、ふん、と鼻を鳴らしたグレン。
「自分の天職を全うしようとしただけだ」
「提督はなんて?」
カイトが問うと、もし乗艦してくるならここだから堰き止めろだとさ、とグレンは小さく肩をすくめる。
「あと、図書館組を護れだと」
「また妙な」
「今度しっかり顔を合わせて挨拶しようって魂胆だ。……ご近所の夫婦同士、顔も知らんじゃ困るだろ」
グレンはおもむろに腕を伸ばして、テマの頭をわしゃわしゃ撫でた。
「わぁああ、やめてよ髪が崩れるからぁ!」
「反応がガキだな」
「ガキ言うなー!」
「そりゃ、まだ十四だからね」
「カイトまでー!」
「そういうところがガキだってんだ。カイトの許婚なら少しは大人になりやがれ」
「うるさい、この唐変木っ」
唸るように応える彼女の姿は、怒れる猫の様相だ。
今にも毛を逆立てそうな勢いに、男ふたりは戦にそぐわぬ笑みを浮かべた。
「なあ、カイト」
「変えないよ」
一応、許婚に異議を唱えることは可能だ。なんなら割り当てが為される前に、決め打ちで相手を指定することも。認められれば、晴れて想い合うふたり同士の許婚が成立するのだ。
でも、カイトはそれをしなかった。
それが、今は亡きテマの父が望んでいたことだったからだ。
先手打つなって、とグレンが笑う。
「まあ、意思が堅いならいい。……俺とあいつは、この遠征が終わったら結婚する」
「知ってる。この間鍛冶屋の介添えしてたじゃないか」
カルセドニア大帝国では、結婚をする順番がある程度決められている。行政区単位で三ヶ月おきに、集団結婚が行われるのだ。総てのカップルに同じ数だけ介添えが付き、そこで介添えをした許婚たちが、次の集団結婚で結婚する。カルセドニアの正国民は、そうして所帯を持っていく。
グレンたちが介添えを務めてから、おおよそ半月。そして、遠征の予定期間は二ヶ月間。十分に、結婚式には間に合う予定だ。
「その時にな。――カイト、お前に介添えしてもらおうと思ってるんだ」
「ああ、そういうことか」
さっきから夫婦だ許婚だと続けていた理由を垣間見た気がして、カイトは少しほっとする。結婚のことともなれば、彼らしからぬ歯切れの悪さも理解出来た。グレンの申し出によって、カイトとテマの結婚が決まることを意味するからだ。
「僕でよければ喜んで。テマもそれでいい?」
「うん、大丈夫」
それでも、カイトたちの反応はあっさりとしたものだった。たった一言のやりとりだけで、あっさりとそれを受け容れてしまう。
ある意味で考えなしとも取れる同意に、グレンがわずかに逡巡する。
「あー……遠征は長いんだ。そんなに答えを急がなくても、帰り際に返事をくれれば、俺としては満足だよ」
「急いでなんかないよ、グレン」
「そうそう。だって、結婚ってそういうものでしょ?」
どこまでも純粋に、カイトたちはそう応えてみせる。少なくとも、ラナンの中ではグレンのように結婚に慎重な方が少数派だった。
その原因へとグレンが思い至るより先に、ずん、と下腹に響く短い衝撃。
――被弾。
グレンは即座に拳鍔を嵌め、カイトはテマをモストーラへと放り込みつつ、背中に回した杖を取る。……瞬時に異常に気づいた彼らが、各々で臨戦態勢を取ったのだ。
「グレン、カロンの被弾って」
「ない。建造以来一度もだ」
「だな。場所は?」
「近くはない。……たぶん、狙いは艦橋だ」
警報はない。
たった一度の砲撃だけでは、カロンの外殻を撃ち抜けなかったのだろう。
それでも、とカイトは考える。
彼が藍鯨に配備されてから、武装隊商が亜人種の攻撃を受けたことは一度もなかった。それが軍備を整えた敵勢力が相手であっても、だ。事実、艦隊は先ほどまで圧倒的な火力をもって殲滅にかかっていた。とても、反撃の態勢を整えられる状態ではなかっただろう。
それなのになぜ、敵は反撃可能になったのか。
その原因に、カイトは強い興味を覚えていたのだ。
「グレンはここに。外を見てくる」
「窓は開けすぎるなよ。取り付かれたら厄介だ」
「分かってる」
「ねぇ、わたしはー!?」
「テマはモストーラから出ない」
「はぁい……」
グレーチングを数歩踏み越え、のぞき窓。遠眼鏡を引き延ばしてから、跳ね上げの戸を薄く開いた。
そして、観測。
「……なんだ、あれ」
総じて、カイトはそう表現することが精一杯だった。
まず見えたのは、均整の取れた軍勢。
鎧と盾で武装した近接部隊は両翼の最前面に、四足歩行のゴミムシめいた異形の砲は、中詰めに配されている。後方に詰める黒山の異形の騎士は、指揮官個体の近衛だろう。……とても、先ほどまで蹴散らされていた集団には見えない布陣だ。甲虫のような外骨格に覆われた亜人種たちは、相も変わらず、とても人とは思えない恐ろしげな造形をしていた。
蟲人族。その中でも、強硬な外骨格を持つもの。
甲翅族と、カイトたちは呼称していた。
かっ、と、乾いた音が頭上で響く。横列に並んだ風力艦が、カイト以外の『魔術師』たちの奇跡をもって一斉射を行ったのだ。
紅、碧、黄、蒼。
極彩色の光条は中央の砲台部隊に殺到し、
「なっ」
――跡形もなく消えてしまった。
カイトの目に映ったのは、
薄く広がる魔力の壁が、光線による砲撃を打ち消したのだ。
そして、異形の砲がその尻をゆっくりと天に掲げる。
「グレン」
カイトは零す。
「なんだ、声が震えてるぞ」
茶化すグレン。異形の砲はその脚を大きくたわめ、大地を強く踏みしめている。
「今すぐ伏せろ」
砲の根元が大きく膨らみ、砲口から橙色の光が漏れる。
「なんだって?」
その照準は――真っ直ぐにカロンへと向けられていた。
「全員、今すぐその場で伏せろッ!」
強く叫んで、カイトはその場にしゃがみ込む。
そして、一拍。
旗艦“カロン”に、十は下らぬ火球の群れが襲いかかった。
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