第1章 |異言《カイト》④

 総ての帝国臣民は、人生の殆どを“神”によって定められている。

 生まれたときには神呪の種類と強さで分類され。

 幼少期が終わる頃には、住む場所を決定づけられ。

 青年期にさしかかるより少し前、許婚と“天職”とを割り当てられる。

 彼らに許されたのは、“神”が管理し、“神”が護ると保証した生き方のみで。

 そう。

 ――純粋人類ラナンの民に、自由な生など存しないのだ。


      ・


“骸の荒野” 北西部


武装隊商アルフ五番隊 『藍鯨』艦隊


旗艦 “カロン”内 艦橋最奥



 薄暗い闇に沈んだ、泥濘のような沈黙。

 それを打ち払うかのように、ノックの音がこだました。


「はぁい、グレン」


 特別仕様の安楽椅子に、ゆったりと横たわる少女がひとり。彼女が一言声を掛けると、背後のドアがゆっくり開く音がした。

 確認せずともすぐ分かる。彼女の神呪アルカナ隠者エルミット』には、聴かずとも知れ、視ずとも見える権能が備わっている。

 だからこそ、彼女には手に取るように分かるのだ。

――愛しい彼女の許嫁が、至極不機嫌そうな顔をして立っているのが。


「何か不服なことでもあるの? ……非戦闘員だからって、水先案内人カイト君は安全な場所に入れたんでしょう?」


 言いながら、ああ、まただと自己嫌悪する。

 こんな言い方、まるで彼を詰っているみたいじゃないか。


「えこひいきなのは分かっている。ダメなら今から艦の外へ――」

「いいえ、いいえ。そんな事はしなくていいの。理由のない撤回はなし」


 一言「問題ないから大丈夫」と言えばいいのに、口から出るのはこの言葉。出した命令を理由もなく引っ込めるなという、遠回しにグレンを責めるかのような言い回し。ああ、手に取るように分かってしまう。今の言葉で、グレンがさらに苛立ってしまったことに。


「彼の価値は、わたしも十分理解してるわ」


 彼。……カイト・スメラギ。グレンがひどく入れ込むこの少年は、武装隊商アルフが抱えるあらゆる商人達の中でも、いっとう奇特な存在だった。

 それは、彼が集めて取り扱う、“本”という商品にある。


「神に問えばあらゆる問いに最新の答えを得られ、神に祈れば、あらゆる大地に豊かな実りが約束される。……そんな世の中、不確実で、情報も酷く古くて、しかもすぐに傷んでしまう“本”を売る。そんな彼だからこそ、藍鯨わたしは風力車を分け与えたの」


 “本”とは何か? その問いに、彼女はこう答えるだろう。

――「神を奉ずるこの世界では、価値がないもの」と。

『世界に神が顕れて、霊長の時代は死んだ』。

 この伝承が示すとおりの“神”がいない旧世界なら、確かに価値もあったのだろう。だが、今となっては単なる蒐集品の一つだ。

 アンティークの一環として好事家に売りつけるなら、確かにそれは骨董屋として真っ当だ。けれど、彼はそれをよしとしなかった。……商人としてのカイト・スメラギは、本に記された情報たちの価値を知り、それを欲する人にこそ売るべきだと考えていた。

 あまつさえ、将来的には書庫だけの館を構えて、単に読みたいだけの人にも貸し与えたいとまで言い出す始末だ。グレンはそれを、「図書館」と名付けていたか。

 正直に言って、狂っていると彼女は思った。

 ただ、意味がないとも思えなかった。

 おそらくは。神呪エルミットの根本となる性質故に引きこもりがちな彼女だからこそ、その考えに至ったのだろう。


 かつて、“神”の居ない世界があったというならば。

――いつの日か、“神”が去った世界が来るかもしれないと。


 純粋人類ラナンにとって、神とは絶対にして不可侵なもの。そこにいるのが当然で、傅くのもまた、ラナンにとって必要不可分。そう思い込むのは簡単だ。

 それでも、の保険は、あるに越したことはない。

 彼女の“天職”は、武装隊商五番隊、『藍鯨』の経営者。潤沢な資金の使い道は、彼女ひとりに託されていた。……大型風力一台の建設くらい、彼女にとっては誤差でしかない。

 

「だから、わたしもえこひいき。……ね、気にする必要なんかないでしょう?」


 そこまで語って、不意にグレンの苛立ちが落ち着いていることに気づく。

 はて、自分は何かしただろうかと内心で首をかしげていると、ったく、とグレンが頭をガシガシとかくのが感じられた。


「相変わらず回りくどい……」

「わたしの神呪をご存じでしょう?」

「そういうところだよッ」


 分かっている。『隠者』の持ち主がことごとく社会性を欠いていることくらい。

 神に指定された許嫁でなければ、グレンがこうして側にいる事自体、自分にはもったいないと感じている位なのだ。それを理解して、きちんと歩み寄る努力を惜しまないグレンだからこそ、彼女は彼が愛おしい。

 だから。


「艦長として命じるわ。……あなたは駐機場で待機して、万が一の事態に備えて」


 自分からグレンを遠ざけてしまう。

 もったいないほどいい人だから、自分のせいで傷つくことを恐れているのだ。


「俺は用心棒だったはずだ」


 当然、彼は抗議する。敵が艦まで踏み込んだとき、艦隊の提督ずのうを護る最後の壁となる男。そういう“天職”をけたがゆえに。


「骸の荒野には徘徊型の蟲人族が定着していたはず。彼らは既に滅んだ麗翅族と違って、空を飛べないわ」

「来るなら下から、って訳か」

「そう。ぶつかるなら彼らとよ。ただでさえ個体戦力は向こうの方が上なんだから、戦力の分散配置は愚策でしかない。――分かってくれる?」

「……ああ」


 反論の糸口を探したグレンが、ため息交じりに承諾する。一応、筋は通っていると判断されたのだろう。


「何かあったらすぐ呼んでくれ」

「善処する」


 そう言うものの、彼女に彼を呼ぶ気はなかった。

 グレンが踵を返し、ドアがゆっくり閉まり始める。


「ああ、そうだ」


 蝶番にわずかな軋み。彼が扉を少しだけ開け直したのだ。


「事が終わったら、カイト達に直接顔を合わせてやってくれ。お互い、散々世話になってるからな」

「……うん」

「それだけだ」

「待って、グレン」

「なんだ」

「わたしが会うまで、きちんと二人を護ってね」

「もちろんだ。一応ここは安全だろうが、気をつけろよ」


 心配する言葉を残して、今度こそ扉が閉じる。

 はぁ、と特大のため息が、ひとつ。


わたしは望むIl Beque;――』


 唱えきるまでもなく、彼女の神呪は起動する。

 彼女の周囲に浮かぶのは、宙に浮かぶ数多の映像。……端末が周囲から収集した情報群を、彼女は閲覧し、分析し、全体としての指針を決める。

 その中に複数、何も映っていない枠があった。

 枠の数は端末の数。彼女の端末は、各風力艦の幹部クラスと、飼い慣らした猛禽たちに余すことなく与えられている。

 映像が途絶えている数は、だ。

 水先案内人カイトに警告されてから、彼女はより詳細な情報を得るべく必要な行為を行っていた。全方位に1匹ずつ、端末をしっかり着けて。

 その総てが――墜とされていた。

 つまり。


「安全じゃあ……ないんだよ、グレン」


 どこに逃げても、鷹を墜とせる飛距離と精度の攻撃が飛んでくるということ。

 彼らはおそらく、こちらの“目”を潰しに来ているのだろう。

 既に彼女は、主立ったものに身を晒さぬよう警告している。戦場に入った時点で、狙撃されるのが見えているから。


「ごめんね」

 

 その事実を伝えることなく、彼女はグレンを遠ざけた。駐機場という環境のよくない窓のほとんど無い場所に、閉じ込めたのだ。


 ふと、思い出す。

 そういえば、グレンに名前を呼んでもらったことがないな、と。


「あー、そうか。……名乗ったこと、なかった」


 今更ながらに思い出す。

 許婚として会ったときから、提督と用心棒という立場だったと。


「今度、カイト君達に会ったら一緒にしようかな。自己紹介」


 そのためにも、まずはこの局面を乗り越えなければ。

 彼女はひとり地図を広げて、航路の策定を始めるのだった。


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