第1章 |異言《カイト》③
“骸の荒野” 北西部
旗艦 “カロン”内 艦載船駐機場
『――世界に神が顕れて、霊長の時代は死んだ』。
この言葉が示すとおりに、人類史は一度滅んだ。
かつて栄華を誇った国家群、そして彼らの支柱となった宗教勢力は個々人レベルで分断されて、新たな秩序が構成された。……カルセドニア大帝国は、そうした“秩序”の一形態だ。
けれど、全てが破壊され後世に何も残らなかったかというと、そうでもない。
今こうしてカイトが立つ風力車、『カロン』の名前もそのひとつ。けして、神々はラナンの文化を拭い去ったわけではなかった。
「片手落ちなんだけどなぁ」
「どうしたの、カイト?」
思わず漏れ出てしまった愚痴に、隣のテマが問いかける。
ここはカロンの駐機場。空調が弱いうえに不規則にガタガタ揺れる劣悪な環境の中、書庫内のストッパーをかけ直している最中のことだ。
いや、とカイトは一瞬口ごもる。いくら相手がテマだとしても、神サマに対する愚痴を旗艦の中で零すというのも具合が悪い。
「こうやって、大事に本を保管しているのはいいんだけどさ。……行き先の亜人種どころか、藍鯨の隊員すら読まないっていうのが気になってさ」
神サマと明言せずに、何とか上手く取り繕う。神だ文化だと色々並べ立ててはいるものの、要するに、カイトの気がかりはそこにあるのだ。
「知識や記録は、誰かが記して、誰かが集めて保管して、そしてまた別の誰かが手に取らなきゃ意味がない。提督達から目こぼしされて蒐集してはいるものの……いつまでも、このままだったらどうしようってね」
言いながら、湿気調節の魔道具を起動する。こぉお、という乾いた音を立てながら、カエル型の置物が呼吸を始めた。これで、温度変化があってもモストーラ内の湿度は維持されるはずだ。
んー、と小首をかしげるテマ。
「たぶん、大丈夫。そんな心配しなくても」
「そうかな?」
「うん」
あっけらかんとした返答に、なんとなく拍子抜けした気持ちになる。確かに、ちょっと勇み足気味な悩みなのかもしれないけれど。
冊数確認、落下無し。空調良好、――異常なし。
確認板のスライドを動かしていると、だって、とテマが言葉を続けた。
「カイトがそうやって、本のことを考えてるから」
「どういうこと?」
振り返ろうとすると、とすん、と背中に軽い感触。
おそらくは、テマが背中合わせにもたれかかってきたんだろう。
「カイトはね、自分が思ってる以上に、誰かとか、何かのために頑張ってる。
私のことだってそう。……神サマが“天職”に悩むくらい
だからね、と続く。
「そんなカイトが悩んでいるなら、それはいつか、きっと解決すること」
「買いかぶりだよ」
「違うもん」
背中からぬくもりが消える。
「実感なんてなくていいよ。それが当たり前っていうのが、一番綺麗なんだから」
「……そっか」
振り返れば、柔らかな微笑みを浮かべたテマがそこにいた。
不意に、彼女の神呪名が脳裏をよぎった。
なるほどと、カイトは自分で納得してしまう。彼女が『太陽』を持つに至った根本は、おそらくその心根にあるのだろうと。
さて。そろそろ、わざわざモストーラを飛ばしてここまで来た理由に戻ろう。
カイトは
うえぇ、と傍らのテマが呻いた。
その声音に、先ほどまでの優しげな響きはない。
「コレ嫌い」
「この浮遊感は気持ち悪いよな」
基本的に、
肢で大地を踏みしめる以上、風力車には揺れがつきもの。それに耐えられないようであれば、そもそも隊員が"天職"として配分されることはないからだ。
それでも、大型艦に配置されるこの『浮遊する廊下』だけは、苦手とする隊員達が非常に多い。どうにも、頭の血が足へと下がり続ける感覚に悩まされるのだ。
まぁ……時々こうして、船外の隊員が苦い顔をするくらいの話。任務にも影響がほとんどないため、放置されているのが現状だ。
カイトとテマが揃って顔をしかめていると、男の笑い声がする。
「はっはっは、今日も揃ってシケてんなぁ、おい!」
視線の先には、長い金髪を三つ編みにまとめた偉丈夫がひとり。
戦士仕様の隊服を身に纏い、堂々と仁王立ちするその姿。どうやら彼は、二人が上がってくるのを終点で待ち伏せていたらしかった。
彼の名はグレン・クライン。『
「筋肉ダルマは黙っててくれ」
「だるまァ? ……また本からの引用か? もう少し伝わる言葉で喋ってくれ」
「バカは黙ってて」
カイトの言葉を、テマが端的に翻訳する。
「そうだそれでいい」
グレンはふんすと鼻を鳴らした。いいのかバカで。
「まあなんだ、お疲れさん。早速で悪いが、図書館組にはすぐ甲板に出てもらう」
グレンが胸に手を当てる。分厚い胸板の上に、小舟と
「いつもの奴だ。行けるか?」
「やれなかったら来てないよ」
「上等」
そして、どちらからともなく握手。なんのかんのと暑苦しくは思いながらも、カイトはグレンをそう嫌ってはいなかった。豪放磊落という概念をそのまま人のカタチにしたような性格も、距離感さえ間違えなければ心地いいのだ。
お互いの手を強く握ったその瞬間。唐突に、グレンが用心棒らしい顔つきになる。
「珍しく提督が焦ってる。何かあるかもしれない。……頼んだ」
「もちろん」
同じくらい神妙な顔で、カイトは大きく頷いた。
◆
数分後
旗艦 “カロン” 甲板
肢を動かす動力機構の低い音。微かな振動を足の裏に感じながら、カイト、テマ、グレンの三人は甲板に佇んでいた。上と左右に遮蔽物無し。全周の景色と風とを一身に受け止められるこの甲板は、普段であれば常に強風に晒されている。
けれど。
「風がない」
テマが一言。ああ、とグレンが頷いた。
「確かに追い風の中なら、お嬢なら吹っ飛びそうな風じゃなくなることだってある……でも、コレはおかしい」
いぶかしむ二人をよそに、カイトは指先を口に含んで、おもむろに持ち上げてみる。水に濡れた指先であれば、わずかな風でも感じ取ることが出来るからだ。
だが、結果は空振り。湿った指に風の感覚はつかめなかった。
「確かに、これは変だ」
大気の塊は、もとより絶えず流動している。ほんの些細な加減速でも、むしろただ突っ立っているだけでも、微風は生じうるものだ。
その気配すら、ゼロ。――明らかに不自然だろう。
「提督は、なんて?」
「『
「あんまり頼りすぎないで欲しいんだけどなぁ」
エンジュの杖を握りしめ、カイトは首に手を当てる。
紐付けられた陶板に、自身の魔力を集中させるイメージを形作った。
『
ふわり、と虹色の魔力光が拡散する。
対象が定まりきらない状態のまま、神呪が発動した副産物だ。
今回はこれでいい。
……知りたいものは、カタチを持っていないから。
『
唱えた瞬間、世界が大きく姿を変えた。
周囲が色褪せ、世界の動きそのものが、緩慢になってゆく錯覚。そのただ中に、色とりどりの光の球が無軌道に踊っているのを視認する。
彼らは風だ。
もっと言うなら、周囲に浮かぶ大気の粒子、その意思だ。
神呪で通じたところで、彼らに使える力は皆無。雨も嵐も、彼ら自身が意思を以て起こすものではないからだ。……彼らが持つのは、ただ遍く大地にある故の、広く浅い情報網だけ。
神呪によって彼らから情報を得る――旧文明風に換言するなら、『レーダー』として行く先の無事を確保する。それが、カイトの“天職”だった。
さて。
カイトは周囲を見渡して、手近な紅い光の球に手を伸ばす。それは彼の手をすり抜けるでも、まして避けるでもなく吸い込まれてゆく。
同時、彼の脳裏に中性的な子どもの声がこだました。
『――気をつけて』
それは、端的な警告だった。
『――前は血だまり、後ろは嵐。
――どちらも来る。追いかけてくる。横に逃げたら鉢合わせ。
――前か、後ろか、どちらかひとつ。
――気をつけて。
――気をつけて』
「どういう、」
どういうことだ、と言い切る前に神呪の効果が切れる。
カイトの神呪、その制約の二つ目だ。
――この神呪は、対象が協力を拒んだ時点で効果を失う。
この件について、これ以上の情報提供はあり得ないと見るべきだろう。
「どうだった?」
我に返る。振り向くと、グレンがやや心配そうな顔をしていた。
「顔が青いぞ。何が見えた?」
案じながらも、神呪の結果を求めるグレン。
カイトは少し思案して、先ほどの謎かけめいた警告を解釈する。
「……今から言うことを、一言一句そのまま提督に伝えてくれ」
「ああ」
「――『
前方にて戦闘行為、ないしそれに準ずる災害級の事象が発生中。なお後方では艦隊に甚大な被害を及ぼしうる砂嵐が発生中。詳細不明。危険度は両者同等。いずれも高速で当艦隊へと接近中。転針困難、迎撃または被害局限措置の準備を求む」
「分かった」
しばしの沈黙。グレンがブローチに手を当てて、提督に伝令を行っている。
その間、カイトも自身で解釈の見直しをする。
実際のところ、光の球――大気の意思は、語彙が非常に貧弱だ。彼らは意味と目的が明確に在る道具とは違う。ただそこに在ることだけが存在意義の大半を占めているからこそ、エンジュのようにハッキリと複雑な反応を示さないのだろう。
カイトの神呪は、ほとんどの人に視認出来ない。
彼らのもたらす情報は感覚的で、言語へと変換しづらい。
そんなプリミティブすぎる情報を、カイトは翻訳せねばならない。……その所業は、まるで聖なる霊を宿した末の
さて。
“血だまり”とは、おそらく多くの生き物が出血多量で死んでいることを指している。彼らは『災害』や『戦争』という人間視点の概念を用いない傾向にある。しかも、死者をあらわす言葉は常に、その外見的な様相を以て表現するのだ。
全身から出血して死ぬ伝染病は、今のところ確認されていない。……なぜなら、神サマが自らの手で根絶させた記録が残っているからだ。結果的に、それだけの失血死が起きる理由は限られる。十中八九、亜人種同士の小競り合いだろう。
対して、“嵐”のような自然現象そのものを指す語彙については、そのまま用いることが多い。だからこちらは、特に検討することもない。
「提督から質問だ。……『必ず両方とぶつかるの?』だそうだ」
「いや」
彼らは言った。
横に逃げたら鉢合わせ。――前か、後ろか、どちらかひとつ、と。
ならば、前に進めば“血だまり”に、後ろに進めば“嵐”に遭遇するのだろう。回避に焦って転針すれば、結果的に両方に巻き込まれるということだ。八方塞がりとはまさにこのことなんだろう。
「どちらかに真っ直ぐ向かえば、一方を回避出来ると言われた。どちらにするかは提督が決めることじゃないかな」
「そうだな。……テマ嬢」
「え、あっ、うん、何?」
ぼーっと事の推移を伺っていたテマが、グレンの声に背筋を伸ばす。
「提督は『選べるのなら戦場を選ぶ』と仰せだった。
――赤一に、次いで白三、大玉で信号球を上げてくれ」
意味は、『
「……突っ込む気!?」
「今そう言ったろ。さあ、通信士だろ、早くッ」
「あ、アイ、サー!」
旗艦付きの構成員で、提督のブローチ持ち。実質的には艦隊の中でもかなり上位に位置する男に叱責されて、テマは慌てて魔力を練り込む。
天へと向けて右手を掲げ、詠唱開始。
『
虹色の魔力の星が明滅し、三つの球を形成していく。それらは順に天高く打ち上げられて、指示通りの信号となって破裂した。
途端、ざわり、と周囲の空気が切り替わる。
信号を受け取った構成員が、一斉に戦闘配備につき始めたのだ。カロン自身も、だんだんと速度を上げて歩き始める。完全に無風であった周囲の空気が、ようやく少し動き始めた。
お疲れさん、とグレンが笑う。
「後は
「ああ」
歩兵としてならいざ知らず、こと艦隊における作戦において、カイトの役目はないに等しい。モストーラ付きで戦闘時の指揮系統から逸脱しているテマも然りだ。あくまでも、本を扱う商人のひとりという扱いになる。
「ご武運を、グレン」
「お嬢こそ、コケたカイトに潰されるなよ」
「そんなにチビじゃないから!」
「はっはっはっは」
なんとなく締まらない一幕を挟みながら、カイトたちは甲板を降りてゆく。
このとき、彼らは知るはずもなかった。
こうして平和な話を出来るひとときが――永久に失われようとしていたことを。
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