第1章 |異言《カイト》②
総ての帝国臣民は、生まれてすぐに己の力を見定められる。
目も開かない赤子のうちに、神の
神は問う。――『汝はいかなる
赤子に応える術はない。それは同時に、抗う術すら持たないことを意味していた。
故にこそ、神は識るのだ。
生まれ落ちた新たな赤子を、如何にして
・
同年 “骸の荒野” 北西部
図書運搬車 “モストーラ”内
「白い部屋に――箱?」
「うん。それも、とびきり大きいやつだ」
「それだけ?」
「それだけ」
図書運搬車“モストーラ”。
規則的に上下に揺れる車内の居住スペースに、カイトとテマは腰掛けている。
小柄な――彼女が十五に満たないことを加味しても――テマがやや身を寄せる一方で、カイトは無心に何かを書き込んでいる。
「この丸は?」
「人。でも、どんな人相だったかがまるで思い出せないんだ」
彼女との対話を背景音楽に、かりかりと、カイトの握る鉛筆が紙面に踊る。
格安の筆記紙には、曖昧なスケッチが記されていた。白塗りの殺風景な密室に、黒ずんだ巨大な箱が鎮座する絵だ。テマの問いは、その絵があまりに単純で、何を意図したものか分からなかった故のもの。
小刻みに揺れる車内は、読書用ランプの明かりで満たされていた。カイトとテマの周囲では、梁とベルトで固定された数多の書棚が列をなす。“モストーラ”は、さながら移動する図書館である――そう言って差し支えない様相だ。
「いつもより、情報量が少ないね」
固定されたテーブルに身を乗り出して、テマが言う。
「コレがどんな過去なのか、全然読めてこないもの」
「……確かに」
――“
神を除いた
その形態は複雑にして曖昧。同様に、その効果も多くの場合は一定しない。
分かっているのは、神呪同士に序列があるらしいことと。そして、おおよそ二十近くにわたる系統樹があるらしいという、ふたつの予測。
それでも奇跡を二十の種類に類型化して『天職』を割り振るひな形を整えただけ、彼らは有能だったのだろう。かくして、人々の宿す“奇跡”は、タロットのモチーフの下に管理されることとなる。
たとえば、テマが持つ神呪の力――『
他にも、『
閑話休題。
つまるところ、神呪というのは思った以上に複雑で、予測しがたい副産物を生み出しやすいというところだけ、理解できればいいだろう。
余計な講釈はいらない。
なぜなら……まさに今、その副産物と格闘しているところだからだ。
「神呪を使う度、記憶が夢に蘇る……ずいぶん面倒くさい特性を持っちゃったよね、カイトの神呪」
テマの評価に、まぁね、とカイトは苦笑する。
彼女の言うとおり、カイトの神呪『
『
「知りたい」と願った物の情報を、対象が許す限り体得出来るという権能。
――先の衝突で、杖から『エンジュ』を喚び出したように。
その副産物が、件の『夢』だ。見た瞬間に、コレこそが自分の記憶の一部なのだと、否応なしにすり込まれる奇妙なそれだ。
「まぁ、何も思い出せないよりは遙かにマシかな」
前提として――スメラギ・カイトは、過去の記憶の大半を失っている。
カイトが有する最初の記憶は、荒野で一人、一本の杖と共に放り出されたその瞬間。……誰が、なんのために、どこから荒野に投げ捨てたのか。そもそも自分がどこから来た誰なのかすら、覚えていない有り様だったと聞いている。
スメラギ・カイトという名前は、身につけていた服のタグから付けられていた。
名付け親は、テマの父だ。
それから、およそ五年と少し。
『神呪を使う度、記憶が夢に蘇る』。この特性を知ったふたりは、カイトの夢を協力してつなぎ合わせることにしていた。
いつの日か、記憶を総て掘り起こすまで。
「もっとこう、さ」
考えるのに飽きたのだろう。テマがやや大げさな身振りで語る。
柔らかな飴色の髪が、ふわりと跳んだ。
「毎日じゃんじゃん神呪を使っちゃうのはどう? そしたら毎日夢が見れるよ」
妥当な案だ。……でも、カイトは頷く気になれなかった。
「僕の神呪は、使えばいいってものじゃないんだ」
言いながら、手近な棚に手を掛ける。
「『
神呪の起動。杖の時とは打って変わって、弱々しい光が頁の隙間から漏れる。
「おいで」
本を開く。……顕れたのは、しわくちゃなニンジンに手足を無理矢理くっつけたとしか思えない、得体の知れない生き物だった。
カイトがそれに触れる間もなく、その生き物は塵となって消えてしまう。なんの結果も残せぬままに、カイトの神呪は不発に終わった。
「僕の神呪には制約がある。……知りたいと強く願っていないものに対して、ほとんど効果を発揮しないのがそのひとつ。そうなった神呪は、夢を見せてくれない」
乱発しても、無駄撃ちに終わるだけなのだ。
「そっか、残念」
「そう上手くはいかないってことだ」
とはいえ、手応えがなかったことに変わりはない。
実のところ、カイトはずっと自身の生い立ちに強い興味を持っていた。
すっぱりと消えてしまった自身の記憶。
どうしてか、神呪で見せつけられる過去の断片。
そして、そこに必ず現れる、正体不明の誰かたち。
知らないと。――捕まえないと。
そんな淡い焦燥感が、カイトの胸に根を張っていた。
さて、と空気を切り替える。
とりあえず、今日のところは諦めようと考えたのだ。
カイトの視線の先には、モストーラ備え付けの砂力時計が掛けられていた。
「そろそろ、仕事の時間かな?」
「あ、ホントだ。もうお昼じゃん」
席を立つ二人。とんとんとんと、二人は軽快にキャットウォークを駆けていく。
目指すのは操縦室。本棚のひしめく区域を抜けて、最前方に。
テマが道すがらいくつかの紐を引っ張ってゆく。それらはモストーラの内部構造と連動して、来た通路を塞ぎ、行く先の採光窓を跳ね上げてゆく。
程なくして、カイトたちは操縦室へとたどり着く。入り口横の紐をたぐると、ひときわ大きな採光窓から、乾いた風が吹き込んだ。
ふとカイトは立ち止まって、採光窓から外の様子をうかがった。
“骸の荒野”。
大帝国より東側、亜人種たちの住まう大地はそう呼ばれていた。
そこに命の気配なく、命をつなぐものもなく。
見えるのはただ、全き砂と蟲人族の骸のみ。
カイトが採光窓から見たのは、まさに言葉通りの荒野であった。
水気はない。草や苔すら見渡す限りありそうにない。
赤茶の大地に転がる骸は、蠍か蜘蛛の遺骸のようだ。
風化して崩れたそれを、巨大な影が踏み砕く。
これは、荒野を征く箱船の群れ。
――
砂岩の荒野に立ち並ぶのは、風を受け、魔道の幌で走り続ける風力車。大小多種の帆船を模した風力車たちの隊列は、戦地への途上に在る艦隊を彷彿とさせる。
帆船と風力車との唯一無二の相違点は、船腹から複数伸びる蟲状の脚。海の上を走れぬ代わりに、山も砂漠も湿地でさえも、この脚ならば問題なく走行できる――そんな部品だ。
設計当初は勿体つけて象脚などと呼ばれていたが、今となっては単なる『
現に今立つモストーラさえ、外から見ればずんぐりとした雌蜘蛛にしか見えないだろう。……白旗よろしく背中に一本マストを立てた、随分間抜けな姿だろうが。
さて。
「
「まだ右翼側。マストが回ってる。近づくなら今のうちかも」
カイトの問いに、遠眼鏡をのぞき込むテマが答える。
わかった、とカイトは頷く。
採光窓からその身を離して、部屋の中央――操舵輪のある位置に立つ。
「……神呪使う?」
「使わないよ」
茶化したテマに苦笑する。散々訓練したきた船だ。今更神呪を使う意味はない。
ただ、モストーラを回頭させて旗艦の中に駐機するだけ。
叩き込まれたマニュアル通りにやればいい。
「面舵一杯。目標、“カロン”格納庫――!」
お仕着せの号令を零しつつ、カイトは力一杯舵を回した。
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