33:学年末のパーティ
学年末のパーティのために用意したシェリルのドレスは、細い首を強調する大胆に肩を出したドレスだ。
胸元の淡いイエローが膝下に行くにつれて鮮やかなライムグリーンに変わるグラデーションで、まるで春の陽射しを表現したかのようなあたたかでやさしいデザインだった。
首には大きすぎず小さすぎないペリドットをあしらったシンプルなチョーカー、耳元は同じく大ぶりのペリドットを使ったイヤリング。
ふわふわの髪を結い上げてライムグリーンのリボンでまとめる。
「素敵ですよ、お嬢様!」
コニーが目を輝かせてドレス姿のシェリルを絶賛する。こんなに褒められるなんて人生で初めてなのではというほど、使用人から両親からと褒め言葉が降るように聞かされる。
シェリルの自惚れかもしれないが、リタとヴィヴィアンの協力で出来たこのドレスを着ている自分は、どんな令嬢にも負けないくらい素敵な少女に見えた。
(でも、こんな素敵なドレスもろくな出番がないわね。……パートナーは見つからなかったもの)
クライヴに四年前のことを謝ることも出来ず、他の誰かをパートナーにする気にもなれず、結局シェリルは父からの条件を満たすことが出来ないまま学年末のパーティの日を迎えた。
パートナーが決まっているなんて嘘をついた手前、クライヴと顔を合わせることも出来なくてまた彼を避ける日々が続き、そんな様子のシェリルにリタやヴィヴィアンは何も言わなかったけれど、時折顔を見せるエヴァンは呆れ果てたようにシェリルを見ていた。
いってらっしゃいませ、と見送ってくれるコニーたちにどうにか笑顔で応えて、馬車の中でシェリルはため息を吐き出す。
(……クライヴも参加してるわよね。パートナーがいるなんて言っちゃったから、どうしようかなぁ……)
こんなに素敵なドレスを作ったのにパーティに行かないなんて選択肢はシェリルにはなかった。せめてリタやヴィヴィアンにはこの姿を見せたい。それが最低限の礼儀でもある。
けれど会場内でクライヴと遭遇するかもしれないということを想像すると、気が重い。きっと意地悪なエヴァンがクライヴを連れてシェリルに挨拶にくるだろう。
目を閉じてシェリルはまた息を吐き出した。会場には行かずに他のところでパーティが終わるまで時間を潰そう、と心に決める。
会場は学園にある大ホールだ。イベントなどで使われるので普段は鍵がかかっているのだが、そのエントランスには既にたくさんの生徒がいた。
「シェリル!」
エントランスに足を踏み入れた途端に声をかけられる。ヴィヴィアンだった。
細身の彼女は大人っぽいデザインのドレスで、以前に話していたようにそのドレスは夜明けの空のようなグラデーションが印象的だった。
「ヴィヴィアン様」
「ちょっとー! あたしもいるけど」
ヴィヴィアンのあとから姿を見せたのはリタだ。珍しく眼鏡をかけておらず、男子生徒は「あれは誰だ」とチラチラとリタを見ている。
「いやぁ、自画自賛になるかもしれないけど、よく似合っているねシェリル。すごく綺麗だよ」
ドレスを作るにあたってデザインなどはほとんどがリタの意見だ。こんなに素敵なドレスが仕上がったのもリタのおかげだ。
「ありがとう。リタもとっても可愛いわ」
「まぁこれは変装みたいなもんだから」
リタは鮮やかな朱色のドレスだ。リタが動くたびに折り重なった裾がふわふわとしている。眼鏡がない上にドレスを着ているのでまったくの別人に見える。
「わたくしたちはもう会場に入るけど、シェリルは?」
ヴィヴィアンやリタにはパートナーがいないので、一人ずつ会場入りする。二人ともとても綺麗だからきっとダンスの誘いはひっきりなしにやってくるだろう。
「……わたしは、あとから行きますね。ここに来るだけでちょっと疲れちゃったので、外の空気でも吸ってきます」
「……そう?」
会場には入らないつもりだなんて言ったら、きっとリタとヴィヴィアンはシェリルのことを心配してくれる。せっかくのパーティなのだ、二人には気兼ねなく楽しんでもらいたい。
シェリルはにっこりと笑顔で「それじゃああとで」と言ってエントランスを離れる。
ここからなら学園の中庭が近い。まだ肌寒いこの季節の夜に、外に出る者はそういないだろうから一人でゆっくりできるだろう。
去って行くシェリルの背中を見て、リタはため息を吐き出した。
「あれはたぶん、会場に来る気がないですよね」
「そうね、どこかで時間を潰そうって顔だったわ」
シェリルはわかっていないが、二人はもう随分とシェリルの考えていることがわかるようになっている。
どうやらクライヴとうまくいかなかったらしいということは知っているし、パートナーが見つかっていないこともわかっている。
「より詳しく知っていそうな奴を捕まえましょうか」
リタは人混みの中で女子生徒に囲まれるエヴァンを見つけるとそう言った。
エヴァンは特定の誰かのパートナーにならなかったのだろう、その周囲には今からでも遅くないと思っている女子生徒が集まっていた。お目当ての相手に振られて、エヴァンでもいいから形だけでもパートナーが欲しい見栄っ張りな令嬢たちだ。
エヴァンは自分が本命ではないと知っているから、周りの女子生徒たちからの誘いを笑顔でやんわりと断っている。
「エヴァン様」
にっこりと微笑むとリタはエヴァンに話しかける。その瞬間、エヴァンとその周囲の女子生徒たちの視線がリタに集まった。
「こんなところにいらっしゃったんですか。ちゃんとエスコートしてくださらないと困ります。お友達を紹介したいんだけどいいかしら?」
「え? あ? ……うん?」
女子生徒の中に割って入って、リタはエヴァンの腕に自分の腕を絡ませた。きっとエヴァンは眼鏡をかけていないリタが誰なのかわかっていないのだろう。
混乱している隙にリタはエヴァンを強引に女子生徒の集団の中から引っ張り出す。
「……君、誰?」
女子生徒たちから離れてヴィヴィアンのそばまでエヴァンを連れて来たリタに、エヴァンは訝しげに問いかけた。勝手にパートナーですという顔で引っ張り出されて困惑しつつ、リタを警戒しているのだろう。
「別にあたしが誰とかどうでもいいんで。クライヴ・ロートンについて何か知ってるなら洗いざらい吐いてください」
媚びることをしない冷ややかな声音に、エヴァンはたった一人だけ心当たりがあった。
「おまえまさかリタ・コーベット?」
「聞こえなかったんですか? クライヴ・ロートンについて――」
「その様子じゃ、シェリルは会場に来ないのかな? ほんとしょうもない奴らだなぁ……」
はぁ、とため息を吐き出すエヴァンに正直リタも同意したいところだが、そうのんびりもしていられない。
パーティの開始時間は迫っているのに、むしろ中に入った生徒たちは既に和気藹々と盛り上がっているのに、クライヴの姿はない。
「クライヴもちゃんと来るはずだよ。シェリルのパートナーを確かめに」
「……シェリルのパートナー?」
――そんなものはいないはずだ。
パートナーの件に関して、シェリルがリタに隠し事をするとは思えない。シェリルが口を閉ざすのはクライヴ・ロートンに関することだけだ。
リタの反応に、エヴァンは確信を得る。彼もシェリルにパートナーがいるなんて信じていなかったのだろう。
「やっぱりいないんだ? またしょうもない見栄張ったのかなぁ」
「はっきりしないでぐだぐだしてるのはそっちでしょ」
「それは同意するけど。つまりこれは共同戦線ってこと?」
「まぁ、物騒な物言いね」
エヴァンに詰め寄るリタを見守っていたヴィヴィアンは笑顔でそう告げる。しかし声はあまり笑っているようには聞こえなかった。
会場内からは華やかな音楽が聞こえてくる。
パーティが始まって三十分ほど経っただろうか、わざと遅れてやって来たクライヴはこっそりと会場に入る。
色とりどりのドレスがあちこちで誇らしげに咲き誇っていた。もはや無意識に、その花の中からたった一人を探してしまう。
――いない?
クライヴは首を傾げた。
ホールの中央で踊る男女のなかにシェリルはいない。その周辺で談笑する人のなかにも、軽食を楽しむ人のなかにも。
どんな男を選んだんだ、ともやもやとしながらそれを見届けるためにやって来たのに。
「よ、クライヴ」
会場内のあちこちを見回していたクライヴに、エヴァンが声をかけてきた。その隣には見知らぬ女子生徒がいる。
「……エヴァン? その子は?」
「んー……成り行きでパートナーにされて困っているけどお互いにいい虫除けになるからこのままでいいかなって感じ?」
「……はぁ」
よくわからないがエヴァンのパートナーらしい。特定の誰かを作らないエヴァンには珍しい。
「愛しのお姫様がどこにいるか知りたい?」
エヴァンが意地悪な笑みを浮かべて、クライヴを見る。
言い回しに悪意を感じながらも、ああそうかエヴァンはシェリルのパートナーではなかったのか、と認めている。シェリルの言葉は照れ隠しの嘘ではなかったのか、と。
エヴァンに会いに来たり、二人きりで話していたり、随分と仲良くしていると思ったのに。シェリルがエヴァン以上に親しくしている男子生徒なんて、クライヴには心当たりがなかった。
だから、今日この目で確かめるしかないと思ったのだ。
「……シェリルは?」
知りたい? なんて言うのだからエヴァンはシェリルがどこにいるのか知っているということだろう。そのことにまたもやもやしながらも、クライヴは仏頂面で問う。
「無駄な覚悟は捨てて自分に素直になるのが成功の鍵かな。いい事を教えてやる。シェリルにパートナーはいないよ」
「……なんだって?」
「いないよ。でもおまえにはいるなんて嘘ついちゃったシェリルなら、どこにいると思う?」
――おまえなら心当たりがあるんじゃないの?
エヴァンはそう笑って、呆然とするクライヴを置いて去って行った。
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