32:素直になれない
あの日のことを素直に謝ることが出来ていれば、そもそもここまでシェリルとクライヴの関係も悪化していない。
学年末のパーティはどんどん近づいてくるのに、シェリルはクライヴに話しかけることも出来ずにいた。会っても当たり障りのない会話をしてすぐに逃げてしまう。
きちんと謝ることが出来たとして、クライヴがシェリルを許すだろうか。許してくれたとしても、心の底ではシェリルのことを嫌っているんじゃないだろうか。
(わたしも悪かったんだけど、でもそもそもはクライヴが悪いって気もするし……いや、盗み聞きした私が悪いのかな……?)
いろんなことを考え始めたら、身動きがとれなくなってしまった。
結果的に、クライヴと話すのがなんだか気まずくなってつい避けてしまう。
「最近のシェリルはすばやさに磨きがかかっているよね」
遠目にクライヴの姿を見つけたシェリルは、すごい速さでその場から逃げた。そのあとをゆっくりと追いかけてきたリタは感心するように呟いている。
「ちょっと、合わす顔がないというか……心構えが出来てないっていうか……」
ぐるぐると考えていると、自分が悪かったという点は浮き彫りになってくる。きっとこの喧嘩はどちらも悪いところがあったのだと思う。
だからきっと、シェリルが謝ればそれをきっかけに元に戻れる気がするのだが、四年も経っているのに今更と言われるとそれまでだ。
ぐったりと机に突っ伏しているシェリルの背中をヴィヴィアンがやさしく撫でる。
「クライヴ・ロートンと何かあったの?」
シェリルを労るやさしい声に、弱音も簡単にぽろりと零れる。
「いや、何かっていうか……仲直りしたいというか、謝りたいっていうか」
「謝る?」
「……心にもないことを言ったことを謝ることが出来たら、元に戻れるのかなって」
この恋が叶わないものだとしても。
せめて、元に戻りたいのだ。四年前にひび割れてしまったところを埋めて、元に戻したいのだ。
「でもいざ謝ろうと思うと……怖くて」
小さな声でそう零したシェリルの背中を、ヴィヴィアンはまたやさしく撫でた。
「誰だって素直になるのは怖いものなのよ。当たり前じゃない。……でもね、言葉にしなくちゃ伝わらないこともあるの」
だから、とヴィヴィアンはやさしい声で続けた。
「大事なことはちゃんと伝えなくちゃね」
その声と手に背中を押されているような気がして、シェリルは覚悟を決めた。
真面目な話をしたいと思うと、人がいない場所に呼び出さなくてならない。近頃クライヴから逃げ回っていたシェリルにとってはクライヴを連れ出すという行為すら緊張するものだった。
しかし相手がクライヴだからこそ使える手段もある。
「……迎えの馬車が来ない?」
放課後、クライヴを探し回ってようやくその姿を見つけたシェリルは、真っ先にそう嘘をついた。
迎えはいらない、ロートン家の馬車で帰るからと伝えているので、迎えが来ないのは嘘ではない。
「そ、そうなの。朝に乗った時になんだか調子がおかしかったから、帰りは誰かに乗せてもらうからいらないって伝えてて……」
必死で考えた言い訳だが、おかしくはなかっただろうか。
「リタは徒歩だし、ヴィヴィアン様は用事があるらしくて……その、クライヴは面倒だと思うんだけど、乗せてもらえないかなって……」
本当なら、ヴィヴィアンがダメでも、パティたちのうち誰か一人くらいはシェリルを乗せて送るくらい平気だろう。しかしそこを悟られると怪しまれてしまうから、シェリルは畳み掛けるように続けた。
「やっぱり急に迷惑だよね、わたしは歩いて帰れるから忘れて」
「まだ何も言ってないし迷惑だとは思ってない」
そそくさと帰ろうとしたシェリルの腕をクライヴが掴む。
(……やっぱり)
やっぱりなんて思うのはひどいのだろうか。でも、クライヴならこの寒い冬の日に、シェリルが歩いて帰るなんて選択肢を絶対に選ばせないと思った。
無事に二人きりで会話できる状況にまで持ち込んだものの。
(か、会話がない……)
もともと無口なクライヴだが、今日はいつもに増して口数が少ない。
沈黙が続いても居心地が悪くならない関係というものは、お互いにやましいことがないからだ。シェリルとクライヴの場合はますます気まずくなるばかりで、馬車の中は重い空気に満たされている。
(けど、黙ったままじゃせっかくのチャンスを無駄にしちゃうし!)
ブライス家まではそう遠くない。のんびりしていたら無言のまま家に着いてしまう。
「あの、クライヴ……!」
意を決してシェリルは口を開いた。
何から話すか頭の中で何度も考えていたはずなのに、青い瞳がシェリルを見つめてきた途端に頭が真っ白になる。
四年前のことを謝って、出来たら昔のような関係に戻りたいのだと話すだけなのに、言葉は喉に張り付いて声にならない。
「……何度も言うようだけど、エヴァンはどうかと思う」
沈黙を破ったのはクライヴの控えめな、躊躇うような声だった。そのくせ意見を変える気はないという強い意志さえ感じられる。
(……うん?)
なぜここでエヴァンの名前が出てくるんだろうか。まったく関係のない人の名前がクライヴの口から出てきたことで、シェリルは困惑した。
「悪いやつではないが……趣味が特殊というか、ひねくれているというか、おまえみたいな根が素直なやつはただ振り回されるだけだろうし」
わかりにくいところがあるから絶対に喧嘩が絶えないだろうし、やっぱり趣味が特殊だし、おまえを泣かせることもあるだろうし、とこれでもかというほどエヴァンの微妙な評価をつらつらと話す。普段の無口さはどこへ行ったのだろう。
そんな長い話を聞いていたシェリルはだんだんと冷静になってきた。
「……クライヴ。何度も言うようだけど、わたしはエヴァンを恋人にしたいと思ったことはないから」
怒りで声を荒らげないように、シェリルは冷静にと自分に言い聞かせながら静かに告げる。正直いつものシェリルならとっくに怒鳴っていただろう。
クライヴは目を丸くして、なんで? と言いたげな顔をしている。
「でも、あいつを学年末のパーティのパートナーにしたんじゃないのか?」
(なんっっっでそうなるのよ!?)
叫びたくなったところを心の内のみで堪えたのは本当に偉かったと思う。反射的に声に出ていてもおかしくなかった。
どうしてよりにもよってクライヴに、他の男をパートナーにしたんじゃないのかなんて聞かれなければならないのか。
ちょうどその時、馬車が止まる。ブライス家に到着したのだ。
シェリルは御者が扉を開けるのを待たずに自分から扉を開ける。謝ろうと考えていたことなんて頭の中から吹き飛んでしまった。
「それこそクライヴには関係ないでしょう!?ご心配なく! パートナーはもちろん決まってますから!?」
見栄を張ってそんな嘘をついて、シェリルは馬車から下りる。
なんだかもう、怒りを通り越して泣きたくなって仕方なかった。
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