31:善意と悪意

 放課後、シェリルはエヴァンを探して学園内を歩いていた。

 朝一番に落とされた爆弾に、シェリルも動揺したものの答えはひとつしか出てこなかった。エヴァンの意図がどうであれ、シェリルは早めにはっきりさせておきたい。

「シェリル? どうしたこんなところで」

 エヴァンの教室近くを歩いていると、クライヴがシェリルを見つけて話しかけてきた。

「ちょっと、エヴァンに用があって」

「エヴァンに……?」

 不思議そうな顔をしているクライヴの背後から、エヴァンが「どうも」と手を振っている。まったく緊張感がない。

 こちらはわずかな時間とはいえ頭を悩ませたし、今だってどんな言葉を選ぶべきかと考えているというのに。

「話があるんだけど、いいかしら?」

「もちろん、シェリルの誘いならどこにでもついて行くけど?」

「はいはい」

 エヴァンの言葉は話半分で聞き流すのが正解だろうとシェリルは生返事で、とりあえず人のいる場所でする話でもなかろうと移動する。


 クライヴは妙な顔をして、そんな二人を見送るしかなかった。




 人がいない場所というと学園内の林が一番人気がないのだが、真冬に防寒具も無しで行くようなところではない。

 結果的には空き教室のひとつに入って、シェリルは話をすることにした。試験期間も終わった今は空き教室で勉強をするほどの生徒はいない。

「早くもお返事が聞けるってことかな」

「そうね」

 椅子に腰かけることもなく、シェリルもエヴァンも立ったまま向き合う。腰を落ち着けてするほど長話にはならない。


「パートナーの件、丁重にお断りさせていただきます」


 エヴァンは笑みを崩さないまま受け止めている。まるでシェリルの答えを始めから知っていたみたいな顔をしていて、それがまたシェリルには腹立たしかった。

「やっぱりそうなるか」

 腕を組みながらじとりとシェリルはエヴァンを睨む。

「そう思っていたならなんでわざわざあんなことを言ったの」

 エヴァンはシェリルをからかっているだけなのかもしれないが、律儀に振り回される方の身にもなってほしい。

「んーと、それはほら、善意で?」

 首を傾げてとぼけてみせているが、シェリルはそんなことで騙されるはずもない。

「笑顔で嘘をつくのはどうかと思うわ」

「そんなにはっきり嘘って決めつけなくてもいいでしょ」

 きっぱりと切り捨てたシェリルに、エヴァンはくすくすと笑うばかりでショックを受けているような気配はない。それどころかシェリルをじっと見つめて、まるで大切な未来を予言するかのように静かに告げる。

「シェリルみたいな子には、俺みたいな存在は必要だと思うよ」

「……どういう意味?」

 シェリルの認識では、エヴァンとは友人ですらない。どうしてはっきりと『必要』だなんて言えるのかシェリルにはわからなかった。

「周りから愛されてばかりで嫌われるってことに慣れてない。なんせあのヴィヴィアン・ベックフォードまで落とすんだもんなぁ。シェリルは天然の魔性の女か何かなの?」

 魔性の女というのはいくらなんでも人聞きが悪いし、そもそもシェリルはそんなものになった覚えもなければ目指した覚えもない。

「エヴァン、あなたの目は節穴なの? わたし、これでもけっこう女子生徒からは煙たがられているんだけど」

 入学当時に比べればマシになったものの、シェリルが令嬢らしくない、はしたない、と近寄らないようにしている女子生徒は少なくはない。

「そういうのは『嫌い』に数えてないから。貴族連中が煙たがるものなんてたくさんあるし、悪意をぶつけてくる奴らなんてそうそういないでしょ」

「それはそうだけど……」

 シェリルを煙たがって近寄らない、というのは存在を無視していることに似ていて、それらはシェリルが気にしなければなんの問題もない。向こうがこちらを無いものだとするなら、シェリルも同じように彼女たちを視界に入れなければいいのだ。

 思えばシェリルにはしたない、ありえない、と突っかかってきたのはパティたちだけだった。

「そこそこ親しい人間に嫌われるってことを君は知らないんだよね。嫌われて、傷つくことに慣れてない」


 ――そんなわけ。


 反射的に飛び出しそうになった言葉に、シェリルは困惑した。本当にそうなの? と頭の中で自分に問いかけて、けれどやはりシェリルの答えは変わらなかった。

「そんなわけ、ない。だって……」

 わたしは、クライヴに嫌われているから。

 物心つく頃からずっと一緒にいて、家族のように過ごして、かけがえのない友人であった、初恋の人に。

「俺の悪意と、クライヴのを比べてみたらわからない?」

 エヴァンがシェリルに向けてきた悪意。悪意というほど攻撃的なものではない気がするけれど、善意でなかったのは確かだ。嫌っているでしょう、とシェリルが迷いなく本人に言えるほどには、好かれていない自信があった。

 クライヴから、それに似た感情を感じたことはない。ただの一度だって、クライヴはシェリルに負の感情を向けたことなんてなかったはずだ。


『あんなじゃじゃ馬と結婚なんて絶対にごめんだよ!』


 あの時ですら、そこに込められた感情に悪意はなかったと思う。

 けれどシェリルはあの頃から動けずにいる。クライヴに恋したシェリル・ブライスは、どうしたってあの日のあの言葉を忘れられない。

「シェリルはクライヴから嫌われているなんて言うけど、根拠は? あいつが君に向けているのはそれこそ善意以外のものはないと思うけど?」

 畳み掛けるようなエヴァンの言葉に、シェリルは俯いて言葉を飲む。

 わかっている。わかっているのだ。

 いつだってクライヴはやさしい。面倒なこともシェリルのために簡単に請け負ってしまうほど過保護で、こちらが呆れるくらいに心配性で、それらの行為や言葉からはシェリルに向けられたあたたかな感情しか感じられない。間違っても、シェリルを傷つけようとするものではなかった。

 けれど、それを素直に受け止めることはシェリルにはもう出来ない。

 だって、とシェリルが零す。

「……だって、クライヴが言ったんだもの。わたしみたいなじゃじゃ馬との結婚なんて絶対にごめんだって」

 口に出すと、以前よりもそれは鋭い棘になってシェリルの胸を突き刺してくる。

「それ、いつの話?」

「……四年前」

「それからずっとこんな状態なわけ? ほんと君らさぁ……」

 はぁ、とエヴァンが呆れたようにため息を吐き出す。

 ああでも、なるほどね。エヴァンは呆れながらも納得したようにそう零した。


「君たちさ、本気の喧嘩もしたことがなくて仲直りの方法がわからないんじゃないの? 言い過ぎましたごめんなさいで済むことを、何年引きずっているわけ?」


(本気の喧嘩……)

 クライヴと喧嘩したことがないわけではない。幼い頃はけっこうな数やり合っていたし、それこそ掴みあって喧嘩することもあった。けれどたいてい一晩経てばお互いにすっぱり忘れていつも通りだったのだ。

 ちょっとのしこりがあったとしても、翌日にはどちらかが手を差し伸べていた。そのときにごめんね、と言えばそれで良かったのだ。

「正直さ、こっちは見ていてイライラするわけ」

 それが理由だと言う。好転するのでも悪化するのでもかまわないから、早くどうにかなれ、と。

「……わたしに関わらなきゃいいと思うんだけど」

「クライヴとは友人だからね、嫌でもシェリルだって視界に入るでしょ」

 それはそうかもしれないけれど、それにしたってエヴァンらしくもないお節介だと思う。

「だから出来れば早く仲直りしてくれる?」

「……エヴァンの言うことが真実だとは限らないじゃない」

「いやいや、八割方当たってると思うよ」

 へらりと笑うエヴァンに、シェリルも肩の力を抜いた。


 言い過ぎたの、本当はそんなこと思っていなかったの。

 そう言えばすべて元通りになるだろうか。


 ほんの少し、ほんの少しだけ胸に刺さった棘が溶ける。

「……今日はもう帰るわ。一応ありがとう」

「一応ってつけるあたりシェリルは素直じゃないよね」

 くすりと笑うエヴァンをじとりと睨んで、シェリルは教室を出る。

 扉が閉じたのを見届けて、エヴァンは苦笑した。


「……それにまぁ、俺が言ったことも全部が全部嘘だったってわけでもないよ」

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